まだ二年,2022/2/4
文字数 570文字
イトーヨーカドーの駐輪場で、お母さんが自転車を出そうとしている。はじめは声だけ聞こえた、よく見ると荷台に設置された後部座席?チャイルドシート?に座っていた男の子が、「まだ二年も使ってないのに」と言うとお母さんは「でもそんなもんだよ。」と答えた。
男の子は、いかに童顔だったとしても、まだ幼稚園を出ていない。せいぜい五年くらいしか生きていない人が「まだ二年」なんて考え方をするものだろうか。彼の知っている全時間の半分に相当する長さだ。というだけでなく、時間にかんして幼稚園児が大人と同じように感じるとは思えない。つまり、大人は、「二年」とくくられるその距離がときに永遠のように、ときに一枚のCDを聞き終える程度の長さに、伸び縮みすることを知っている。幼稚園児というのは、なんというか、時間をもっと手探りで掘り当てるものではないのか。そんなにさらりと、よどみなく「まだ二年」と言ってしまうほど高度な教育を、近頃の幼稚園では提供しているのか。
私は幼稚園児の頃、というのは私は小学生のとき今の実家である一軒家に越したからまだフレグランス清水というアパートに住んでいたころ、夜寝てから朝起きるまでの八時間か九時間が永遠のように感じられて、そのあいだ眠ることなく起きていられたら、もっとたくさん遊べて、もっとはやく大人になれるのに、そう思っていた。