第03話「獣たちの狂騒曲」
文字数 1,605文字
フランツの葬儀の後、アンヌも憲兵への届け出のために、村長たちに話を聞かれた。
「フランツとは仲良しでした。でもあの日は一緒には居ませんでした。フランツが『ソレアおばさんたちは、アンヌのお父さんを飲んだくれのゴロツキだって言ってるよ』と言ったからです。何度それは間違ってると言い聞かせても、街の市場の友達も同じことを言っていたと聴かないので、喧嘩になって別々に遊ぶことにしました。その後の事は知りません」
大人に囲まれながらも堂々と話すアンヌに、村長は少し同情の目を向け、軽い尋問のような話はすぐに終わった。
アンヌが母の所に戻ると、マリアはソレアおばさんと話をしている所だった。
「……ねぇ、あんなゴロツキとは別れて正解だったんだよ。本当に。でも、こんな事があって女2人じゃ心配だろう? 私が以前話しをしたピエールと所帯を持ったらどうかねぇ? ピエールは牛飼いとは言っても学もあるし、時々街で読み書きを教えてはお金を稼いでるから安心だよ? あんたもまだ若いんだし」
「ピエールさんは良い方ですが、娘が牛を怖がりますので……」
困ったような笑顔で答える母の背中に、アンヌはいつもの様に飛びついた。
「お母様、村長さんとの話は終わりました。帰りましょう?」
「あらアンヌ。早かったのね。ええ、帰りましょう。それでは、失礼します」
「ソレアおば様、お体にお気をつけて。ごきげんよう」
考えといておくれよ! と言う声を背中に受けながら、2人は頭を下げて小道を歩き、マリアの望むいつもの日常へと戻っていった。
自宅のテーブルで、頼まれた衣服の修繕をしている途中で眠ってしまったマリアが目を覚ましたのは、もう外が薄暗くなっている時間だった。
「……アンヌ?」
燭台に明かりを灯し、娘の名を呼ぶが返事はない。
「アンヌ!」
ドアを開け表に出ると、山の陰に最後の陽光が陰り、今、正に夜が訪れたばかりだった。
(狼がまだ退治されていないというのに! 私は……!)
「アンヌ! アンヌ!」
オロオロと庭の柵を開けて小道を駆け下りようとするマリアの視界の端に、刹那、禍々しくも神々しい銀色の毛並みの巨大な獣の姿が掠める。言葉を失い振り向いたマリアの目に写ったのは、獣ではなく愛しい娘の姿だった。
「お母様……遅くなってごめんなさい」
小道ではなく林の中から現れた娘は、体のあちらこちらに擦り傷を負い、お気に入りのワンピースにもかぎ裂きが出来ていた。
「アンヌ!」
名前を呼ぶ以外の言葉は見つからず、娘を抱きしめる。
叱ることも忘れて2人は手を繋いで家に帰った。
ソレアおばさんが狼に襲われて亡くなったと言う報が届いたのは翌朝だった。
夕暮れ時に牛飼いのピエールと話をして来ると言って家を出たきり、夜が更けても帰ってこない妻を心配した夫がピエールの家を尋ねたが、ソレアはそもそも家に訪れていなかった。
ソレアの遺体は森の奥深くで見つかり、その頭は真正面から噛み砕かれていたと言う。
ソレアの死後は酷い事件が立て続けに起こり、被害者は増え続けた。
村を上げての山狩りにもかかわらず、狼は見つからない。
幾つかの目撃談も寄せられたが、「牛ほどの大きさの巨大な狼のような獣である」と言う事以外、何も分からなかった。
被害者は村の住人に留まらず、麓の大きな街の住人や旅人まで、広範囲に広がっていた。数十人の命が失われた頃から、この狼は「ジェヴォーダンの獣」と呼ばれるようになる。
村の少年ジャックが、畑仕事の手伝い中に現れた銀色の狼を数人の友人と共に鍬や鋤で撃退したという武勇伝が広がると、その噂は国王ルイ15世の耳にも届き、褒賞金を与えらた。
同時に「ジェヴォーダンの獣を退治したものには褒美と爵位を与える」と言う宣言が行われ、国を上げての大騒動に発展していった。
「フランツとは仲良しでした。でもあの日は一緒には居ませんでした。フランツが『ソレアおばさんたちは、アンヌのお父さんを飲んだくれのゴロツキだって言ってるよ』と言ったからです。何度それは間違ってると言い聞かせても、街の市場の友達も同じことを言っていたと聴かないので、喧嘩になって別々に遊ぶことにしました。その後の事は知りません」
大人に囲まれながらも堂々と話すアンヌに、村長は少し同情の目を向け、軽い尋問のような話はすぐに終わった。
アンヌが母の所に戻ると、マリアはソレアおばさんと話をしている所だった。
「……ねぇ、あんなゴロツキとは別れて正解だったんだよ。本当に。でも、こんな事があって女2人じゃ心配だろう? 私が以前話しをしたピエールと所帯を持ったらどうかねぇ? ピエールは牛飼いとは言っても学もあるし、時々街で読み書きを教えてはお金を稼いでるから安心だよ? あんたもまだ若いんだし」
「ピエールさんは良い方ですが、娘が牛を怖がりますので……」
困ったような笑顔で答える母の背中に、アンヌはいつもの様に飛びついた。
「お母様、村長さんとの話は終わりました。帰りましょう?」
「あらアンヌ。早かったのね。ええ、帰りましょう。それでは、失礼します」
「ソレアおば様、お体にお気をつけて。ごきげんよう」
考えといておくれよ! と言う声を背中に受けながら、2人は頭を下げて小道を歩き、マリアの望むいつもの日常へと戻っていった。
自宅のテーブルで、頼まれた衣服の修繕をしている途中で眠ってしまったマリアが目を覚ましたのは、もう外が薄暗くなっている時間だった。
「……アンヌ?」
燭台に明かりを灯し、娘の名を呼ぶが返事はない。
「アンヌ!」
ドアを開け表に出ると、山の陰に最後の陽光が陰り、今、正に夜が訪れたばかりだった。
(狼がまだ退治されていないというのに! 私は……!)
「アンヌ! アンヌ!」
オロオロと庭の柵を開けて小道を駆け下りようとするマリアの視界の端に、刹那、禍々しくも神々しい銀色の毛並みの巨大な獣の姿が掠める。言葉を失い振り向いたマリアの目に写ったのは、獣ではなく愛しい娘の姿だった。
「お母様……遅くなってごめんなさい」
小道ではなく林の中から現れた娘は、体のあちらこちらに擦り傷を負い、お気に入りのワンピースにもかぎ裂きが出来ていた。
「アンヌ!」
名前を呼ぶ以外の言葉は見つからず、娘を抱きしめる。
叱ることも忘れて2人は手を繋いで家に帰った。
ソレアおばさんが狼に襲われて亡くなったと言う報が届いたのは翌朝だった。
夕暮れ時に牛飼いのピエールと話をして来ると言って家を出たきり、夜が更けても帰ってこない妻を心配した夫がピエールの家を尋ねたが、ソレアはそもそも家に訪れていなかった。
ソレアの遺体は森の奥深くで見つかり、その頭は真正面から噛み砕かれていたと言う。
ソレアの死後は酷い事件が立て続けに起こり、被害者は増え続けた。
村を上げての山狩りにもかかわらず、狼は見つからない。
幾つかの目撃談も寄せられたが、「牛ほどの大きさの巨大な狼のような獣である」と言う事以外、何も分からなかった。
被害者は村の住人に留まらず、麓の大きな街の住人や旅人まで、広範囲に広がっていた。数十人の命が失われた頃から、この狼は「ジェヴォーダンの獣」と呼ばれるようになる。
村の少年ジャックが、畑仕事の手伝い中に現れた銀色の狼を数人の友人と共に鍬や鋤で撃退したという武勇伝が広がると、その噂は国王ルイ15世の耳にも届き、褒賞金を与えらた。
同時に「ジェヴォーダンの獣を退治したものには褒美と爵位を与える」と言う宣言が行われ、国を上げての大騒動に発展していった。