第2話 新しい朝

文字数 3,320文字

 入学式の朝。僕はスズメの鳴き声で目を覚ました。穏やかな朝日が窓から差し込んでくる。
 今日からの新生活を祝福するかのような陽気さだった。
 ああ、これで春の嵐が吹かなかったらなー。昨日、桜が散ってしまったことが残念でたまらない。

 階下から人が動く気配を感じる。
 穂乃花(ほのか)ったら、こんな日まで。
 自分も入学式があるだろうに。

 幼なじみに感謝しつつ、僕は着替えようと上半身裸になる。
 その時だった。自室のドアが開いて、

「ユウ、朝ご飯できたよ……ぶはっ」

 幼なじみの青木穂乃花が真っ赤になっていた。お玉を握りしめて。

「ご、ごめん」

 僕が慌てて胸を手で隠すと、我が幼なじみは予想外の行動に出た。

「ユウ、あたしが着替え手伝おっか?」

「えっ?」

「あっ、ちがくて」

 穂乃花が手を横に振る。お玉がブンブンと音を鳴らした。

「今日から、また同じ学校の制服を着るわけだし。記念にって」

「き、記念で、着替えさせてくれるの? 写真を撮るとかじゃなく……」

「あっ、なに言ってるんだろ、あたし」

 穂乃花って、変になることがあるんだよね。普段は気配り上手で優しいのに。

「じゃあ、下で待ってるから」

 幼なじみは部屋から出て行った。

 支度を済ませ、リビングへ。築四十年の木造一戸建て。亡き祖父が建てた家である。
 年季が入っているせいか、ところどころ隙間風が入ってくる。

 六人用のダイニングテーブル。いつもは二人分の朝食が乗っていて、余ったスペースに花瓶が置かれているはずなんだけど……。今日に限ってはちがった。

「穂乃花。朝から……こ、こんなに豪華なものを?」

「うん、今日は大事な日だから、一緒に精をつけて乗り切りましょ」

「せ、精って……」

 料理を確認する。

 トンテキからはニンニクの香りが漂っている。黄金色の焼き色も綺麗で、見るだけで涎が出てくる。
 他にも。アボガドとアスパラガスのサラダ。カキフライ。アサリの味噌汁。納豆。梅の天日干し。
 お茶碗には、鶏肉と舞茸の炊き込みご飯がよそられている。

 旅館で出されてもおかしくないんじゃ。

「聞いて。炊き込みご飯に、すっぽんのスープを使ってるんだよ」

 その言葉を聞いた瞬間、僕は食材の共通点に気づいた。

「全部、精力がつく料理なんじゃ……」

「だから、言ったじゃない? 今日はあたしたちの記念日なんだよ。途中で疲れたら、ユウに幻滅するかも」

 不自然な言い回しが気になるが、確かに穂乃花の言うとおり。

 これから、僕たちは入学式があるわけで。
 挨拶とかで失敗したら、後で苦労するからね。

 特に、僕は年寄り臭いとか、地味とか言われることが多い。
 少しでも明るく見えるように、幼なじみは気を配ってくれたのだろう。栄養価の高いものを食べて、顔色を良くするという意味で。

「ありがとう」

「ううん、あたしこそ」

「ん?」

「ユウと同じ高校に行かせてもらえるなんて幸せすぎて」

 はにかむ穂乃花は両腕で下から胸を持ち上げる形になり……。
 ぷるんぷるん。精のつくモノを食べていた僕は、圧倒的な存在感を放つソレに目を奪われてしまう。

 いつもは幼なじみだから意識しないけど、相当かわいいよね。

 白銀のワンサイドアップの髪は朝日を浴びて、煌めいている。触るとサラサラでふんわりしているし。
 肌も雪のように白くて、透明感あふれるルビーの瞳が強調されている。
 目鼻立ちもくっきりしている。サクランボ並みにみずみずしい唇は、彼女そのものが新鮮な果実といえた。

 目立つといえば、テーブルの上に置かれている二つの丘。というよりは、山。

 中二になるまでは平地だったのに、あっという間に大きくなっていって……。
 当時の僕は大変な時期だったのだけれど、思春期まっさかり。幼なじみの成長を見るのが、癒やしになっていた。最近、また大きくなったんじゃ……?

「ちょ、ちょっとユウ。もう効果が出ちゃったの?」

 穂乃花が頬をピンクに染めて言う。

「ご、ごめん」

 バツが悪くなった僕は話題を変えることに。

「それにしても、穂乃花だったら、近くの進学校に行けたはず。わざわざ僕と同じ高校にしなくても……」

「わかってないなー、ユウは。あたしはユウと一緒にいたいの。そばで応援したいから」

 幼なじみはため息を吐く。

「だって、あんな大変なことを経験したんだよ。なのに、福祉の勉強をしたいなんて……」

「そうだよね。僕、甘いよね。おばあちゃんのことで介護の現実を知ってるのに」

「そうじゃなくって」

「えっ?」

「逆よ。アルツハイマーのおばあさんの世話をして」

「それは、父さんたちが海外にいるからで……」

「でも、普通の中学生にはできないよ」

「ううん、僕は無力だし」

 結局、僕はおばあちゃんが弱っていくのを見ていることしかできなくて。
 食事や排泄、入浴などの世話を少ししただけだ。学校に行っている間は、ホームヘルパーさんに頼んだし。

「もー、ユウは頑固なんだから」

 穂乃花はクスリと笑う。

「今のユウは無力かもしれないよ。でも、勉強しようとしている。だから、あたしだけは応援するから。ユウのこと」

「そうだね。頑張るよ。天国のおばあちゃんに、僕の成長した姿を見せられるように」

 僕は花瓶に手を合わせ、祈りを捧げる。

「高校で勉強して、自分になにができるか探してみたいと思う」

「うん。その意気よ」

 幼なじみの穏やかな笑みで心が軽くなる。
 おいしい精力料理も僕を元気にしてくれた。おなかが苦しいけど。

 食事を済ませ、家を出る。

 僕が住むところは、東京二十三区のなかでも最も高齢化が進んでいるエリアだ。おおよそ四人に一人が六十五歳以上のお年寄りと言われている。

 最寄り駅も老人の街で有名だ。神社へと続く商店街に出ると、朝からお年寄りが賑やかだった。
 その中に僕と穂乃花も知っている人がいた。豆腐屋を営むお爺さんだ。

「ほう、穂乃花ちゃん別嬪さんになったなー。こりゃ、男が寄ってくるぜ。結人(ユウト)、取られないように気をつけな」

 穂乃花を舐め回すように見る七十すぎの店主。

「もう、お世辞がうまいんだから」

「俺がお世辞を言う男だと思うかね?」

「また冗談を言って」

 穂乃花が笑って言うと、お爺さんは咳払いをする。

「穂乃花ちゃん、また料理の腕を上げたみたいやな。魚屋の旦那が、カレイの煮物を褒めてたで」

「ううん、いつも活きの良い魚を取っておいてくれるし。作りすぎたのお裾分けしただけで」

 穂乃花は微笑を浮かべていた。控えめなところも、老人の庇護欲をそそるのかもしれない。

「じゃあ、僕たちそろそろ学校に行くんで」

 お爺さんに頭を下げて、駅に向かう。

 新年度開始早々ということもあり、電車は大混雑していた。
 背中にむにゅっとした温もりが。

「ユウ、ごめんね」

「ううん、僕の方こそ(ありがと)」

 うっかり変なことを口走りそうになった。朝から盛んになるものを食べたうえに、圧倒的な弾力を背中に感じているんだ。男子高校生としては仕方がないというか。

 スマホで風景写真を眺め、湧き上がる下半身の疼きと戦うのだった。

 学校に到着する。
 校庭の桜も散っていたのは残念だが、新入生たちで賑わっていた。

 校舎前。クラス分けが張り出されていたのだが、普通科しかなかった。張り紙によれば、福祉科は校舎内にあるとのこと。

「じゃあ、あたしは自分のクラスを見に行くから、ここで」

「うん、終わったら、一緒に帰ろう」

 幼なじみと別れ、校舎に向かって歩き始めた時である。

 誰かの足音が近づいてきて。
 視界が奪われ。
 肌の温もりを顔に、甘い微風を首筋に感じていたら。

「よー、手当者(ケアラー)ちゃん。ボクについてきな」

 耳元で、女性の声がした。アニメみたいに甲高い声だった。
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登場人物紹介

伊藤 結人(いとう ゆうと)

中学生時代に祖母の介護をした。

福祉の勉強をすべく、福祉科があるヴァージニア記念高校に入学する。

が、どうやら特殊な能力があるようで、ロリババア病の少女たちの介護をすることに。

神凪 小夜(かんなぎ さよ)

家がお金持ちのお嬢様。

才色兼備な優等生だったのだが。

ロリババア病を発症し、ボケている。

結人と同じクラスで、彼に介護される。

ご飯を食べたことを忘れたり、家にいるのに外出したつもりだったり。

天道 美紅(てんどう みく)

元テニス選手。中学生ながら、プロに勝ったこともある。

ロリババア病を発症し、のじゃロリになる。

結人と同じクラスで、彼に介護されるのだが、傲岸不遜で結人を眷属扱いしている。

中二病を患う中学三年生。

青木 穂乃花(あおき ほのか)

幼なじみ。優しくて、尽くしてくれる子。爆乳。

結人の傍にいたくて、ヴァージニア記念高校の普通科に進学する。

小夜と美紅に振り回される結人を助けるも、小夜たちには複雑な感情を抱く。

敗北する幼なじみと思いきや。

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