第5話
文字数 5,170文字
朝ぼらけ
有限期限
拍手を。お芝居は終わりだ。
アウグスティヌス
第五朝【有限期限】
「うっうっ」
「いつまで泣いてんだよ」
「だって功ちゃん、ぽくを外で飼おうとしたから」
「部屋ん中荒すからだろ。それに、外に出したのは1日だけだろ」
「うう・・・功ちゃんが最近冷たい。ぽく悲しくてしょうがない。もっと美味しい物食べたい」
「注文が多い野郎だな」
だが、確かに最近はパン食パンばかりを食べていたなと、功典は久しぶりに肉か魚でも食べたいと財布を持つ。
その行動を見るだけで、ミソギは功典が買い物に行くと分かり、目をキラキラ輝かせながらしゃきっと立っている。
「・・・お前は留守番な」
「えええええええ!!!!なんで!!ぽくも一緒にいくもん!!一緒に行くの!!」
「お前が行くと買うもん増えるから嫌だ」
「なんでえええええええ!!!功ちゃん酷いよおおお!連れていってええええ!!」
「うるせぇなぁ。耳元で騒ぐな」
わんわんと泣いてくるため、しょうがなくミソギを連れて行くことにした。
これが食べたい、あれも食べたいと、食べたいと思ったものを次々に籠の中へと入れて行くため、籠はみるみる重くなっていく。
それを持っている功典は、1人でこれだけ食べるのかと思われていそうだが、そういうことは気にしていないようだ。
「はあ・・・」
「わーいわーい!!」
ルンルンと嬉しそうに歩いているミソギに対し、功典は疲れ切った様子だ。
途中、女性とぶつかりそうになり、功典は身体を避けようとするが、反対側にミソギがいたため、ぶつかった・・・。
はずなのだが、感触はなかった。
ふと、その女性の身体は、荷物をもった功典の腕をすり抜けていた。
「あ、あの」
声をかけてみるが、女性は自分のことではないと思っているのか、こちらを見てはくれなかった。
もう一度声をかけようとすると、誰かが功典にぶつかってきて、その勢いで道路に飛び出る形となってしまった。
大型のトラックが功典の目の前まで迫ってきており、功典は思わず目を見開き、一瞬だけ、全てが真っ暗になる。
「あれ?」
目を開けたとき、功典は道路に引き戻されており、荷物も無事だった。
「功ちゃん!大丈夫!?」
「あ、ああ」
「この人がね、助けてくれたんだよ!」
そこには、先程の女性がいた。
自分が死の淵に立たされたとき、見えない何かに引っ張られるようにして助かった、なんてことがあると聞いたことはあるが、これがその現象かと分かった。
髪の毛の長い、歳は40くらいに見えるその女性は、功典のことをじーっと見ていた。
「あの、ありがとうございます」
「・・・あなた、気をつけて」
「え?」
「あなたには黒い影が見えるわ。それも、しつこいくらいのね」
「・・・・・・」
その黒い影には思い当たるものがあると、功典は目を細める。
しかし、それよりも驚いたのは、次の言葉だった。
「だけどそれ以上に、光が見えるわ」
「光?」
「ええ、詳しくは分からないけど、きっとあなたを守る存在ね」
「俺を、守る・・・?」
一体何のことだろうと思っていると、女性はさっさと何処かへ行ってしまおうとしたため、引き留める。
自分が女性のことを見えることも、ミソギも同じ存在であることも話したうえで、さらにこう続けた。
「あなたがこの世に留まっている理由、もし分かれば教えていただけますか?」
「比賀利百瀬子と言います。20代後半くらいから、子宮と胸の方で病気が見つかって、それが原因で死にました」
「ご家族は?」
「娘がいますが、夫の連れ子でして、私は子供を産んでいません。産みたかったのですが、産みにくい身体というか、不妊症でして。治療はしたけど、完治はしなくて」
前の奥さんと離婚をした旦那が連れてきた子は、当時中学一年生。
今はもう大学生らしい。
「子供を産むことが女の幸せだとは思っていないけど、なんだか情けなくて、よく泣いたわ。妊娠したいのに出来なくて、そろそろちゃんと結婚とか妊娠を、って考えた20代後半になって病気が見つかって」
綺麗で仕事も出来て、人付き合いもそれなりにしてきた百瀬子だが、唯一出来なかったのが子供だ。
最初は仕事の疲れやストレスのせいだと思っていた。
もともと生理痛もあり、病気があるなんて思ってもいなかったという。
旦那と付き合う様になってからも、そういったことが繰り返しあったにも関わらず、まったくと言っていいほどに、検査薬は反応を示さなかった。
もしかしたらタイミングのせいなのか、基礎体温のせいなのか、色々と考えたり不妊改善の方法を試したりしたが、ダメだった。
そんなある日、不正出血が続いたため病院に行ってみたところ、病気が見つかった。
手術も考えたが、どちらにせよ完治するには難しいらしく、身体への負担もあるようなので、とりあえず薬での治療を試みた。
そのうち、ガンも見つかった。
どうして自分がこんなことに、と悩んだそうだが、なってしまったことは仕方がないと諦めていたそうだ。
「正直、一度くらい、子供を生みたかった。娘だって、可愛くないわけじゃないの。とても良い子で、私のことも慕ってくれて。でも、それでも、お腹を痛めてでも産みたかった」
女性の気持ちは功典には分からないが、百瀬子の横顔はとてもじゃないが、励まして済むようなものではないと分かる。
「それよりあなた」
「え?」
「それ、冷蔵庫に入れなくても良いの?」
「あ」
買い物をした荷物のことをすっかり忘れていた。
功典はミソギに百瀬子の傍にいるように言うと、走って荷物を置いてきた。
そしてまた走ってミソギたちのもとまで戻ってくると、百瀬子はお腹を大きくした女性のことを見ていた。
妊婦にはもう1人子供がいて、とても幸せそうに微笑んでいる。
「私ね、妹がいるの」
「妹さんが?」
「ええ。妹は私より先に結婚して、仕事も辞めて専業主婦をしてるの。1人目は女の子、2人目は男の子、今もお腹の中に3番目がいるみたいなの」
「それは子宝に恵まれたものですね」
「ええ、本当に。羨ましいと思ったわ。あんなに簡単に子供が出来て、大変だって言ってるけど、きっと私よりずっとずっと幸せなの」
「・・・・・・」
「姉としても女としても情けない話でしょ?でもね、嬉しくもあるのよ?妹と旦那さんが楽しそうにしてるのを見て、ああ、良かったな、って思うの。それでもやっぱり、私には経験したことのない出産っていう壁は、あまりにも大きいわ」
女性と男性では、嫉妬に至る対象が異なるため、功典は百瀬子が子供を産めないからといって、そこまで劣等感に駆られなくても良いのではないかと思った。
こういう真面目な話をしようとしていると、決まってミソギが周りを走り回っている。
放っておいても平気だと判断すると、功典は百瀬子に話しかける。
「俺はそういうことに疎いですけど、やっぱり妊娠とかって大変なんでしょうね?」
「自分以外の生命が、自分のお腹に宿る。日に日にお腹は大きくなっていく。大変でしょうね」
「病気のこと、妹さんは?」
「知ってるわ。心配かけちゃった。お腹に子供がいるって分かってるから、あまり言いたくはなかったの。でも人伝に伝わってしまって。悪いことしたわ」
妹の旦那は医者だったため、病気のことを相談してみようとは思ったようだが、妹の妊娠のこともあり、相談は止めた。
百瀬子も、旦那に病気のことは伝え、とても心配してくれたようで、薬でちゃんと治るのか、身体は大丈夫なのかと聞いてきた。
そのことを仕事も辞め、治療に専念をすると言ったは良かったが、結局、妊娠する前にガンで亡くなってしまった。
心残りで仕方がないようだ。
だが、さすがに妊娠させることは難しい。
功典はどうしようかと考えていると、そのとき、百瀬子が功典の腕を引っ張ってきた。
「!!?」
「きゃーー!!ひったくりよ!!」
近くでひったくりがあったらしく、犯人がバイクに乗って逃走するところだった。
功典はもう少しで轢かれるところだったが、百瀬子が助けてくれたお陰で、なんとか轢かれずに済んだ。
ひったくりはすぐに捕まり、事なきを得た。
ゴクリと唾を飲み込んだ後、功典は頭を切り替えてこう提案してみた。
「旦那さんのところへ、行ってみましょうか」
百瀬子が住んでいた家へと向かった。
旦那と娘が2人で住んでいるその家は、昼間ということもあってか、静まり返っていた。
夕方になると娘が帰ってきて、7時過ぎには旦那も帰ってきていた。
2人揃って百瀬子に線香をあげてからご飯を食べる。
翌日は土曜日で、旦那も娘も休みかもしれないとまた家まで行ってみると、娘はバイトがあるようで、旦那1人だけいた。
いつものことながら、功典は声をかける。
病院で知り合った、と適当なことを言って話しを聞く。
「ええ、確かに、百瀬子との間に子供はいません。それを百瀬子が苦しく思っていたことも、知っています」
子供が出来ないと、夜1人で泣いていたことも、パソコンや本で病気のことを調べていたことも、とにかくお参りをしていたことも。
「何もしてやれませんでした。仕事だからと、休んで一緒に病院に行ってやることも、泣いている百瀬子に寄りそってやることも」
簡単そうに見えて、実は難しいこと。
そのうち出来るよ、気にしすぎない方が良い、気付いた時には出来てる。
そんな根拠のない言葉が、むしろ百瀬子を傷つけていたこと。
「百瀬子との子供が欲しかった」
「それを、百瀬子さんは?」
「何度か言ったことはあります」
だが病気が見つかって、治療も完全ではないと分かってから、百瀬子は自分にはもう無理なんだと諦めていた。
自分には子供を産むことは出来ないと。
百瀬子に線香だけでも、と家にあげてもらう。
百瀬子も一緒に、と思ったのだが、百瀬子は入るのが辛いといって、ミソギと一緒に近くで待つことになった。
仏壇のところに、一枚の習字紙を見つける。
「あれ?これは・・・?」
「ああ、それは」
「百瀬子さん」
「戻ったのね」
「ミソギの世話、ありがとうございます」
「いいのよ」
ミソギは砂場で犬掘りをしているためか、身体が砂まみれになっているが、本人は顔をぶるぶると振ったかと思うと、砂場に顔を突っ込んで遊んでいた。
もう死んでいるから窒息もしないだろうと、功典は百瀬子を手招きする。
「線香をあげさせていただきました」
「ありがとう」
「そこで、あるものを見つけました」
「あるもの・・・?」
なかなか自分の家にも入れずにいた百瀬子は、いつも外から2人のことを見つめているだけだった。
功典は、百瀬子の仏壇のところにあった、それの話をする。
「女だったら“千空”、男だったら“勇人”」
「え?」
「名前、考えていたみたいですよ、旦那さん」
功典が見たものは、百瀬子が妊娠したときのことを考えて作ったという、子供の名前が書かれた紙だった。
男か女かも分からないため、女だったら広い空のように大きな心を持った”千空“に。
男だったら強く逞しく勇ましく、自分の以外の人を守れるような人になるようにと“勇人”に。
「素敵じゃないですか。いつか生まれてくるだろう子供のために、名前を考えているなんて。それに、今もその名前を飾っている」
「・・・・・・本当に?」
「ええ。百瀬子さん、入院してそのまま亡くなったそうですね?入院中に考えたようで、退院したら見せようって思ってたみたいなんです」
「・・・・・・」
気のせいじゃなければ、百瀬子の目は大きく揺れていた。
目元に指を置いて、眉をハの字にして笑いながら言った。
「まったく、あの人ったら。本当に言葉が足りない人なんだから」
「心待ちにしていたんでしょうね。あなたとの子供が出来ることを」
「ねえ、あの人に伝えてくれる?」
「勿論です」
百瀬子が消えてしまってから、功典は百瀬子の家に来ていた。
あれから一週間ほどしか経っていないが、インターホンを鳴らせばすぐに旦那が出てきた。
「百瀬子さんからの伝言です」
「へ?」
「早く良い人を見つけて、子供を作って、幸せになってくれと、そう、仰っていましたよ」
「君は一体・・・」
「百瀬子さんに2度、命を助けられた、ただの通りすがりです」
伝えることだけ伝えると、功典はミソギの待つ公園へと向かった。
未だに砂を懸命に掘っているミソギを見て、何が楽しいんだろうと思った。
ふと脇道に繋がる道路のところに、1人の女性を見つけた。
ああ、彼女もまた未練を残したまま亡くなったのだと分かると、ミソギを公園に残したまま、話しかけに行くのだ。