金は天下の回りもの

文字数 705文字

今日は何の日、で検索した。

 10個くらいの項目が出てきた。
その中で1番おかしなのが、
「チューリップを贈る日」だ。今は大寒の暮れ、立春までもう少しといったところである。

 今、花屋にチューリップが売られているかも怪しい。野に植えられたチューリップを去年見かけたのは四月末頃だろうか。何故、今日チューリップなのだろう。考えても意味が無いように思った。

 私は考えても意味の無いことをよく考えている。哲学などがその最たる例だが、哲学は実は誰しもに与えられた社会形態なので意味が無いとも言い切れない。マルクスは経済として世の中に多大な影響を与えた。しかし、その根源となるマルクスの哲学は経済学ではない。

 それよりも、今まで貯めてきた貯蓄は今月ゼロになりそうだ。マルクス経済学がここに関与してるならマルクスを恨む。

 マルクスは、こう言うであろう。
「知らん」

 ではアダム・スミスに問う。
「自己責任だ」

 哲学者など、私の通帳は救ってくれない。「金は天下の回りもの」なんて言ったのは誰だ。

 使っただろう。返してくれ。

 このエゴが通るなら、誰も借金などしない。今現在は借金してないだけマシだ。車も土地も、債権も要らない。

 皆、人生が大事なのか、金が大事なのか本末転倒した社会。まだ私は救われてると言える。

 起業家がよく言う
「金が無いと、起業出来ないというのは嘘だ」

 これには、本当に納得してるのだ。金があっても失敗する人間は大借金を抱える。金が無くても国を支えることの出来る人間は居る。

 マザー・テレサは貧困に身を置きながら人々を救ったからこそ、国葬になった。

 いや、私の骨は国葬にしなくていいので、通帳に今月だけ1万円入れてくれ。
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