5 ウクライナ・ブチャの生き残り

文字数 2,531文字

 男の子が滑り台を降りてきて、勢いそのままに駆け出した。それを真似して他の子供たちも走った。広い公園だからカテリーナ一人では手に負えない。
 集合、と声をかけたが、子供たちの歓声でたちまちかき消されてしまう。それならと、カテリーナも追いかけっこをする子供たちの輪に加わった。
 子供たちの賑やかな声、そして、青空。ブチャの町は二年前に失った日常を少しずつ取り戻してきている。公園のブランコ、滑り台、パンダのベンチは半年前に新しいものが設置された。それまではロシア軍の銃撃で穴が開いていたから、とても使えるような状態ではなかった。ロシア軍は公園の遊具まで容赦なく破壊したのだった。子供用の遊具を壊して、いったい何になるのか、カテリーナは憤慨するどころか悲しくなった。
 カテリーナは公園の近くの保育園に勤めている。
 子供たちの中には両親が殺された子もいる。そして、砲撃の巻き添えになって怪我をした子もいる。
 ウクライナの地にロシア軍が侵攻して二年の月日が経った。しかし、侵略者は去ったわけではない。依然として攻撃は収まらず、ウクライナ軍は残虐な侵略者を撃退するために祖国防衛の戦いを続けている。特に、ウクライナの東部ドンバス地方やクリミア半島では激しい戦闘がおこなわれている。アウディーウカ、マリウポリなど、幾つかの町はロシア軍の激しい攻撃で、ほとんど廃墟のようになってしまった。
 ブチャの町は侵攻直後の2022年三月にロシア軍に占領された。占領は一か月ほど続いたが、ウクライナ軍は電撃作戦でロシア軍を追い返した。ブチャの町は解放された。だが、ヤブロンスカ通りに面した商店、集合住宅などはロシア軍によって見る影もなく破壊されたのだった。
 亡くなった人は1400人とも2000人とも言われている。町の一角に追悼の石碑が建っているが、100人ほどは身元不明の人がいる。もともとブチャには約四万人が暮らしていた。それが現在では三万五千人ほどに減った。
 去年の今頃は、まだ、ブチャの町の至るところに破壊の爪痕が残されていた。マーケットの駐車場には原形を止めないほど焼け焦げた自動車が放置されていた。車のドアやボンネットはハチの巣状に撃たれた跡があり、タイヤはゴムが燃え、中の繊維が剥き出しになっていた。
 そして、二年が経過した2024年、その状況はいくらか改善されている。焼け焦げた車は撤去され、道路は補修された。砲撃に遭った集合住宅の中にはきれいに修復されたものもある。しかし、それでもまだ手付かずの場所も多く、あちこちに家の瓦礫が山積みになっている。その家の住民は帰ってこない。一家は聖アンドリュー教会の墓地に眠っている。
 ブチャは廃墟から立ち上がろうとしている。だが、何時、ミサイルで攻撃されるか分からないので復興の足取りは遅い。
 マーケット、薬屋、衣料品店、それにカフェも営業を再開している。カフェの入り口のドアは割れたガラスをテープで補強してあるし、店の隅には戦車のキャタピラと機関銃の薬莢が展示されていたりする。町を歩けば、片脚を失って松葉杖を着いている人、車椅子に乗っている子供の姿を見ない日はない。

 カテリーナは無事だった。しかし、両親と住む家はロシア軍によって大きな被害を受けてしまった。戦車が塀を壊して庭を走り、家の中に侵入した兵士によって家財道具を持ち去られた。途方に暮れていたカテリーナに手を差し伸べてくれたのはアレクサンドルだった。家具職人のアレクサンドルは、壊れたドアや窓を修理してくれた。それだけでなく、家具店の倉庫から机や椅子などを運んできた。アレクサンドルのおかげで、数週間で元通りの生活に戻ることができた。
 彼の友人は何人も犠牲になった。検問所の任務に付いていた友人たちがロシア軍に殺害された。アレクサンドルだけは奇跡的に生き残ったのだった。
 その後、アレクサンドルは志願して兵士になった。半年ほどの訓練を受けたのち、ドローン部隊に配属されて前線に近い戦場に赴いたのだ。カテリーナは彼に万一のことがあったらと、そればかり心配した。アレクサンドルは戦場から無事に戻ってきたのだが、野獣のような雰囲気を全身に纏っていた。彼は今、キエフ郊外にあるドローン製作工場で働いている。
 ロシアの侵略が続くなか、ポーランドに疎開した友人もいるが、カテリーナはウクライナに残る決意をした。アレクサンドルがいるからだ。
 昨日、アレクサンドルがやってきた。来月にはまた戦場に行くので、その前に一週間ほど準備期間をもらえたそうだ。彼は、自分の役目は、長距離飛行が可能なドローンの調整や修理を担当することだと話した。ロシア国内の軍事施設を標的にできる飛行距離の長いドローンを開発したとのことだ。ただ、今度も危険な前線勤務なのは不安だ。
 アレクサンドルが言うには、トーキョーから復興の支援が期待できそうだということだった。トーキョーとは日本のことだ。日本では数年前に大きな地震があったが、今ではすっかり復旧しているらしい。日本の復興技術がウクライナでも役に立つ。そう言われてみれば、ウクライナでも日本製の建設機械を見かける。

 戦場に行く前に、彼がコンサートに誘ってくれた。
 カテリーナはコンサートのパンフレットをもらった。
 そのコンサートの演奏曲目は全部で三曲。そのうちの一曲は、カテリーナにとって忘れられない曲だった。
 二年前のあの日、ブチャの町が解放された日、聖アンドリュー教会で合唱団の仲間と歌った歌だ。教会の臨時墓地で祈りを捧げ、誰が言い出したともなく、『フィンラディア』に挿入された歌を歌った。そこへ、アレクサンドルが駆け付けてきた。
 カテリーナはパンフレットを広げた。
 そこには、当日演奏される曲目が英語で書かれている。

『Sibelius Finlandia op.26』
『Schoenberg A Survivor from Warsaw op.46』
『Beethoven Symphony No.5』


 音楽の力(2022~2024) 終わり

 後書き 小説を書くにあたって、TBS、BBCなどのニュース映像、個人ブログを参照しました。ありがとうございます。
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