第212話 残念な思い出
文字数 2,790文字
それはボクが捨て猫になる前のことだった。
ボクは飼い主の
記憶はあやふやだけど、すごく悲しかったことは
まさかそれがボクの捨て猫ヒストリーを生む〝残念な思い出〟になるなんて、そのときは考えもしなかった……。
問われてボクは診察室にいるお医者さんを見上げる。
紙を爪でこするみたいな音が絶え間なく耳に入ってくる。
そのほかにも、知らない音がたくさん耳に入ってきていた。
人間の息遣いとか、人間以外の生き物の鼓動だとか。家にいるときより聞き慣れない音ばかりで落ち着かない……。
ボクから相手の姿は見えないけれど、きっと見たこともない人や生き物が同じ建物の中にいるんだろうな。
しばらく耐えていると、紙をカリカリと
下外道さんは言いながら、バッグに手をかけ、ギザギザの
ボクの視界を閉ざしていた封印が
ぼやけた視界に知らない景色が移りこむ。
いきなり顔を出すのは怖くて、
ボクを見ると、相手の顔がすこしゆるんだ。
けれど再びしゃべり出すと、その顔は電気が消えたみたいに暗くなる。
大きな声に、ボクはビクリとする。
でも、なんで怒ってるんだろう。
もしかして、ボクのせいかな?
ボクが何か機嫌を損ねるようなことをやっちゃったのかな?
すると奥の部屋から、一人の人間が小走りで近づいてきた。
白い服を着た人だ。
話を聞いているあいだ、白い服の人はボクをじっと見つめてきた。
悲しんでいるような、
やがてその視線が飼い主さんに移った。目つきは、どことなく
下外道さんは、ボクの頭を乱雑に押し込んで、バッグの口を閉じる。
雑な返事だ。下外道さんは機嫌の悪いとき、いつもそういう答え方をする。
ボクにだって、飼い主さんの気持ちくらいわかる。
このときボクは、下外道さんが自分を手放したいと考えているんじゃないかって、直感的にさとった。
元々あまり好かれていないのはわかっていたけれど、ボクにはどうすることもできない。
せめて飼い主さんが機嫌を損ねないように気を配って、怒られないように工夫して、必死に顔色を
世の中にはこんな人達ばかりじゃなく、優しくてボクを大事にしてくれる良い飼い主さんがいるのかもしれない。
でも――
ボクたちペットは、飼い主がたとえどんなに残念な人間であっても、死ぬまで引き取られた家で生きていくしかないんだ。
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