第212話 残念な思い出

文字数 2,790文字





 それはボクが捨て猫になる前のことだった。



 ボクは飼い主の下々道(ゲゲドウ)さんに連れられて、家から出たことがあった。



 記憶はあやふやだけど、すごく悲しかったことは(おぼ)えてる。



 まさかそれがボクの捨て猫ヒストリーを生む〝残念な思い出〟になるなんて、そのときは考えもしなかった……。







下外道さんは、車でしばらく移動した後、どこかの建物に入りました



それがここの病院だったってわけか



ハ、ハッキリと憶えてないですけど……


で、でも、ここと同じニオイがしたのは……ま、間違いないと思います



ゲゲドウは何の用があってここに来たんだ?



わ、わかりません……


下々道さんはボクを詰めたバッグを片手にぶら()げたまま、建物の中にいる人と話をはじめました



ここの医者か?




 問われてボクは診察室にいるお医者さんを見上げる。



……?



こ、声が違ったような……



別の人物だったのでは?



んじゃ、ほかにも人が居たってことか



何者でしょう?



おそらくそれは、受け付け兼助手の看護師の村山(むらやま)だろう


この病院には医者を補佐する助手もいるからな



そ、そうだったんですね








今日はどうなさいました?



猫のことで、ちょっと相談があってね



どこか具合が悪いんですか?



いや、そういうわけじゃないんだけど



こちらの病院は初めてですか?



というか、動物病院自体が初かな



えっ?



あーいや、なんでもない。

初診ってことだよ



では、こちらにご記入をお願いします




 紙を爪でこするみたいな音が絶え間なく耳に入ってくる。



……なにしてるんだろう?




 そのほかにも、知らない音がたくさん耳に入ってきていた。



 人間の息遣いとか、人間以外の生き物の鼓動だとか。家にいるときより聞き慣れない音ばかりで落ち着かない……。



 ボクから相手の姿は見えないけれど、きっと見たこともない人や生き物が同じ建物の中にいるんだろうな。



 しばらく耐えていると、紙をカリカリと(すべ)る耳障りな音がしなくなった。



はい、書き終わった



お名前は、ゲゲドウさんですね



うん、そう。

下々(しもじも)じゃないよ



承知しました。

それでは診察のときにお呼びしますので、待合室でお待ちください



いや、診察はいいんだ。

それよりこっちの用件を聞いてくれないかな?



……と言いますと?



この猫なんだけど、引き取ってくれない?



はい?



いや、だから~、猫をそっちで引き取ってほしいんだよ



……


引き取ってほしいというのは、どういうことですか?


その猫がいま具合がとても悪く、治療を兼ねて一時的に預かってほしいというならわかりますが



具合は、まあ普通かな。

病気もケガもないよ




 下外道さんは言いながら、バッグに手をかけ、ギザギザの()()を引っ張っる。



 ボクの視界を閉ざしていた封印が()かれて、光が刺すように目にとび込んできた。



……(まぶ)しい




 ぼやけた視界に知らない景色が移りこむ。



 いきなり顔を出すのは怖くて、()いた隙間からちょっとだけ顔をのぞかせるのが精一杯だ。



見てのとおり、健康そのものでしょ?



ええ。

緊張しているようですけど、顔を見る限りは健康そうですね




 ボクを見ると、相手の顔がすこしゆるんだ。


 

 けれど再びしゃべり出すと、その顔は電気が消えたみたいに暗くなる。



どうして、この猫を引き取ってほしいんですか?



まぁ、色々とね。

ちなみにウチにもう1匹いるから、それもお願いしたいんだけど



一度飼ったら、最後まで飼うのが飼い主の責任ですよ!



わかってるわかってる。

そうカッカしないで


引っ越すことになったんだから、仕方ないでしょ



仕方ないって……。

ペット可物件を探さなかったんですか?



いや~、探すもなにもウチのは購入物件だからね~



え……、

じゃあ引っ越し先の家は、持ち家の一戸建て?



そうだよ



はあああ!?

持ち家の一戸建てでペット不可なんて、聞いたことがありませんよ!?



鬼ツッコミ炸裂だね


そう目くじら立てないでよ。

正直に言ったらいったで、荒れるんだからさ



じゃあ、本当の理由はなんなんですかっ?



ん~、まぁ、こういうのは気持ちが大事でしょ。

率直に言って、飼うのが面倒になっちゃったんだよね



飼うのが面倒って……そんなの無責任すぎます!

動物の命をなんだと思ってるんですかっ!




 大きな声に、ボクはビクリとする。



……この人、すごく怒ってるみたいだ




 でも、なんで怒ってるんだろう。



 もしかして、ボクのせいかな?



 ボクが何か機嫌を損ねるようなことをやっちゃったのかな?



どうしたの?




 すると奥の部屋から、一人の人間が小走りで近づいてきた。



 白い服を着た人だ。



あっ、先生!

じつは、かなり困った事態になりまして……



ええ、やり取りが少し聞こえたわ



こちらの飼い主さんが猫を引き取ってほしいと言ってるんですが……




 話を聞いているあいだ、白い服の人はボクをじっと見つめてきた。



 悲しんでいるような、(あわ)れんでいるような、複雑な感情が見え隠れしてるように感じる。



 やがてその視線が飼い主さんに移った。目つきは、どことなく(けわ)しい。



事情はわかりました


単刀直入(たんとうちょくにゅう)にお伝えしますと、当院では相談に乗りかねます



え~、そこをなんとか頼むよ~


保健所に行っても、あーしろこーしろって追及してくるばかりで引き取ってくれないしさぁ



お引き取りください!



なんだよケチだな!

良心的な病院だって聞いたから、わざわざ来たのにっ



お言葉ですが、良心的な病院の意味をはき違えているのでは?


動物に適切な医療を施すのが病院であって、飼い主のワガママにつき合って動物を引き取るのが良心ではありません



うるさいな!

つまり、役に立たないってことだろ!




 下外道さんは、ボクの頭を乱雑に押し込んで、バッグの口を閉じる。



ひとつよろしいですか? 

下外道さん



なんだよ?



猫をビジネスバッグに入れるのは、やめてください


猫は湿度に弱く、特に蒸れやすい夏場では熱中症になりかねません


安価な物でもそれより通気性の良いバッグはたくさんありますから、次からはそちらに入れてくださいね



はいはいっ




 雑な返事だ。下外道さんは機嫌の悪いとき、いつもそういう答え方をする。



 ボクにだって、飼い主さんの気持ちくらいわかる。



 このときボクは、下外道さんが自分を手放したいと考えているんじゃないかって、直感的にさとった。



 元々あまり好かれていないのはわかっていたけれど、ボクにはどうすることもできない。



 せめて飼い主さんが機嫌を損ねないように気を配って、怒られないように工夫して、必死に顔色を(うかが)いながらビクビクしてるしかない。



 世の中にはこんな人達ばかりじゃなく、優しくてボクを大事にしてくれる良い飼い主さんがいるのかもしれない。




 でも――




 ボクたちペットは、飼い主がたとえどんなに残念な人間であっても、死ぬまで引き取られた家で生きていくしかないんだ。





























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登場人物紹介

ボス ♂

野良猫。先代の跡を継いでジロリ町のボスの座についたが、自身は平和主義でもあり自由を求めているのであまり乗り気ではない。非常にケンカが強く、疾風の猫パンチを見切れるものはいないという。

(本名:プルート 通称:ボス、親分、リーダー、カシラなど)

マウティス ♀

ボスファミリーの一員。野良だが先代ボスの子。

「にゃも」など、しゃべり方に独特の趣がある。とてもしたたかな性格で賢いが、食い気には勝てず、好物のニャオ☆チュールを手に入れるためなら平気で他者を利用する。

インテリ ♂

ボスファミリーの一員。飼い主の老夫婦が死亡したことにより野良となる。猫にしては博学で語学も堪能。トリ語も解する。その冴え渡る知能を活かし、組織の交渉役として縄張りの維持に努めてきた。

(本名:あずきちゃん、肉球があずきに似ていることから命名されたが彼は気に入っておらず、しばしば違う名を名乗る)

キンメ ♂

飼い猫。多頭飼育崩壊から生き残り、ボランティアらによって関東在住の住人のもとへ譲渡され、ジロリ町に移住する。当時の名残が残っているせいか、口調は大阪弁。明るいキャラでよくしゃべる。

(本名:なし、名前がなかった。名づけられたのは譲渡先に行ってから。目が金色なのでキンメとなる)

ミミ ♀

飼い猫。耳の形に特徴がある。麗しの三毛猫を自称しているが、発情期に誰も寄ってこなかったという悲しい黒歴史を持つ。ヒカリモノに目がなく、自身の首にもキラキラネックレスを身につけているが、あちこちに引っかけて壊すので飼い主に呆れられている。随時彼氏募集とのこと。

ヨウ ♂

飼い猫&洋猫。飼い主の目を盗んでしばしば脱走する。自慢の毛を維持するためいつも毛づくろいしてばかりいる。海外ブリーダーのもとで育てられたため、日本語がやや片言。生まれたばかりの兄弟が多数いるが、引き合わせてもらえないのであまり仲良くはない。

??? ♂ 

ちょっと汗かきすぎな新入り猫。どうも様子がおかしい……。


ちなみに猫は肉球からしか汗をかかない。顔グラではわかりやすさを重視して強調している。

モブニャン

ネコの集会に参加する猫たち。集会への参加期間の浅い猫は下っ端になる。モ〇ニャンという某キャットフードに名前が酷似しているが関係性はない。

モブニャン

ネコの集会に参加する猫たち。集会への参加期間の浅い猫は下っ端になる。モ〇ニャンという某キャットフードに名前が酷似しているが関係性はない。

アイ・キャット

i〇adを所有する謎の猫。その便利グッズで猫に関する豆知識や雑学を解説してくれる。

ストーリー上には登場しない。

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