団塊Jr.も早オヤジの巻
文字数 1,511文字
残業を終え、これから自宅まで電車で二時間かけて帰ります。数十年前に建てた夢のマイホームは郊外にあるのです。
東京ではまだ終電には早いですが、これが最寄りの駅に着く最終便になります。
ミアコさんのお話しを聞きながら、私はひっそりと泣いています。電車の中で泣くという楽しみを見つけて以来、少し癒されているような気がします。
この一日の締めくくりは妻にも秘密です。
小さい頃、捨て犬を拾ったことがあるんですよ。
そう、たぶん捨て犬。
泥だらけの小さな茶色い犬で、見た瞬間、捨て犬って思ったの。
うちはアパートだし、飼えないことはわかってて、それでも誰かに託したいっていう気持ちはまるでなかったんですね。
誰にも知られることなく、自分がこの子を育てなきゃいけないっていう根拠のない使命感に燃えちゃったわけ。
自分ひとりでもできるっていう、ちょっと背伸びをしたい時期ってあったでしょ。それがたまたま子犬を飼うことだったの。
それはもう荒れ放題で、あたしが隠れちゃうくらいに草がボーボーなの。
分け入ったところに大きなダンボール箱を置いて、その中で子犬を飼っていたんです。
毎日給食の残りのパンとかをあげたりして。
屋根もなくてかわいそうだなと思ったけど、草が濡れてるからそんなところに入っていくと服が汚れるでしょ。だから一日ぐらいどうってことないやって、そのままにしておいたんです。
こんなところで私に飼われるのに嫌気がさしたんでしょうね。
あたしは悲しくなったけど、自分もひどい仕打ちをしたことに気づいたんです。
どちらかというと、見つけたくはなかったかな。
自分では飼えないってわかってたし、それを認めたくはなかったんです。
その犬も私のことをジッと見ていて。
あたしはあのときの犬にハリーと名付けたことを思い出してました。
呼んでみようとしたそのとき、「イチロー」って誰かが呼んだんです。
そうしたらその犬は一目散にその人のところへ飛んでいったんですよね。
飼い主に撫でられたあとはからみつくようについていって、あたしのことを一度も振り返ることはなかったですよ。
あのときの子犬かはわからないけど、中途半端な愛情って見抜かれるんですよね。