意外にも、水と緑の街 ③

文字数 1,816文字

 猿江公園の北側すぐの所にある、堅川第一公園はちょっと変わった公園です。
 まず、その形。首都高に沿って奥行き約二十メートル×長さ約三百メートルと細長ーい形をしています。
 次に、立地。おなじみ花壇街の南側に位置し、例のラブホ街に面しています。公園に沿って歩くと言うことは、ラブホを見て歩くことを意味します。
 そして堅川、首都高、ラブホ――これらのキーワード、以前にも出てきましたよね。そう、河内音頭が開催される堅川親水公園に隣接しているのです。あちらはもっと細長いので、河内音頭の会場はここより西へ行った所になります。
 堅川は暗渠になっているのはお話しましたが、墨田区内には「堅川」という地名が両国寄りにあるため、暗渠があることを知らない方は混乱するばかりでしょう。
川もないのに「親水公園」だし、江東橋にあるのに「堅川」だから。

 この公園、当然のように利用者も少なく、遊具もなく、ベンチと木々のみ。区角割で余った土地を公園にした感がありありとしますが、そんな中、珍しい施設があるのです。それは弓道場。
 和弓を利用できる区立の道場が、この公園内にあります。未経験の方は使用できないそうですが、都区内では三十カ所ほどしかないため、利用者も多いそうです。
 実は、もう一つ珍しい施設があったのですが、調べてみたらいつの間にかなくなっていました。近くに住んでいながら気づかなかった……。
 なくなってしまったのは艇庫。横十間川に面した所にありました。川の浄化に合わせてボート部を復活させよう! との行政指導がきっかけで、昭和六十三年に墨田区にある九つの中学校でボート部が新設され、艇庫がここに造られました。ボート部員が川面で練習している姿も、いつの間にか見なくなったと思っていたら、希望者が減ってしまい廃部になったようです。艇庫も護岸工事に合わせて解体。せっかくの試みなんだから、何とか存続させる方法が取れなかったのかなぁ、と残念に思います。

 川の浄化と言えば、東京の川は汚いイメージですよね。実際に私が小学生の頃はガスによる匂いもありました。しかし、行政を中心とした努力により、当時とは比べ物にならないほどきれいな川になりました。川底のヘドロを取る作業(浚渫(しゅんせつ))を長期間にわたって地道に行った結果、清流とは言いませんが、橋の上から魚影も見えるし、釣りを楽しむ人も増え、鴨や川鵜、まれに白鷺を見ることもあります。

 こうしてきれいになった川のイメージを生かすのは、墨田区よりも江東区の方が上手いと感じています。
 墨田区の堅川親水公園とは横十間川を挟んで反対に位置するのが、江東区の堅川河川敷公園です。前者と同様に首都高の高架下にも拘らず、こちらには様々な施設があり、親水公園として人気があります。
 公園の入り口までは、猿江公園と同様に錦糸町駅から徒歩十分ほどですが、延長二千四百メートルにも及ぶ、これまた長い公園です。高架下であることを逆手に取り、雨の影響を受けにくい施設としてフットサル場やバスケットコート、パターゴルフを設けているほか、水上アスレチックやじゃぶじゃぶ池、カヌー・カヤック場まであります。東端は荒川河川敷にある大島・小松川公園へとつながっていて、この間、自転車ならノンストップで行けるため、サイクリングに使う人も少なくありません。
 あえて全面暗渠にせず、用途・場所によって幅や水深を変えながら、まさに「水に親しむ」公園。途中には錦鯉を放した池をもつ三代豊国(さんだいとよくに)五渡亭園(ごとていえん)もあり、犬を散歩させているおじいさんや自転車に乗った買い物帰りのご婦人、子供を遊ばせているお母さん、フットサルに汗を流す大学生チームなど、様々な人に利用されています。

 似たような親水公園として、墨田区には大横川親水公園があります。こちらは錦糸町駅・北口から徒歩約十分と、猿江公園の反対に位置しています。
 この公園の説明は――ここでは省かせていただきます。何せ、この話のカギを握る存在の一つなので、のちほど改めて。


 えー、と言うわけで、長々と錦糸町あれこれをお話してまいりました。思い入れが強い分、脱線してしまうことも多々ありましたが、この街を少しは身近に感じていただけたのではないでしょうか。
 それでは、この章はここまで。次章からは我が母校のお話にお付き合い下さい。 
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