第四章 使えない指導者

文字数 7,395文字

第四章 使えない指導者

今日も、東京駅から新幹線に乗って富士に向かうのだ。きっと何も収穫はないままなんだろうなということは明白であったが、それでも行かなければならなかった。今思えば、あの日はラッキーだったな、と思う。杉三の家に連れて行ってもらって、カレーまで食べさせてもらい、もう遅いからと言って、駅前のホテルまで調べてもらって、一泊させてもらった。あんな幸運は二度と起こらないだろうなあ。

まあ、とりあえず、食事ができるところなんて、岳南原田駅前のそばやしかないから、そこで食べさせてもらう。相変わらず、来る人たちは製紙会社の従業員ばかりで、汚い声を立てながら、臭いたばこを吹きちらしている人たちだけど、他になにもないので贅沢を言ってはいられない。もう、適当にそばをかきこんで、逃れるように原田公民館に行く。要するに逃げるが勝ちである。

と言っても、原田公民館にも時間を潰せる道具があるわけではないから、部屋が開くまでロビーでぼんやりしているしかない。それが退屈で仕方ないが、まあ、何もないところなので、仕方ない。部屋の鍵は、代表の松岡さんでないと、開けられないことになっている。

まあ、幸い代表の松岡さんは遅刻してくることはまずない。名物コンビと呼ばれているもんや爺さんと友紀君も二人そろって一緒にやってくる。女性メンバーは比較的来るのが遅いが、この三人だけは意欲がある様で、必ず一番に現れるのだ。問題なのは稲葉さんだった。

その日も、多目的室にいって練習が開始される。やっぱり稲葉さんは30分以上遅刻してくる。なぜ遅いのか他のメンバーに聞いてみると、稲葉先生はレッスンで忙しいからしょうがないだよ、という答えが返ってくる。でも、遅刻をしてくるのはやはり問題ではないかと聞くと、彼女以外に専門的な知識を持っている人はいないから、多少彼女のわがままにも応えなければならん、という。松岡さんによると、頼み込んでここへきてもらっているので、逆らえないのだというのだ。それでは、紀夫がある程度音楽の知識を教えようと思いついて、音楽関係のワークブックを配ろうかと提案したが、女性のメンバーの反対にあってやめた。

メンバーさんたちは決して意欲がないわけではなかった。皆さん、歌が嫌いということもなかった。課題曲を歌えば決してまずいというわけでもない。ただ、恐ろしく自信というものを失くしていた。それ故に声も出ないし、音も綺麗になれなかったのだ。紀夫はそれを狭い部屋で大人数が集まることによる、「感覚遮断」ではないかと思った。狭い部屋で、外の世界と遮断し、ただ稲葉さんから叱責されるだけでは、ある意味宗教団体がよくやっていた洗脳にも近いものがあった。

とにかく歌の練習では、ひたすらに「だめ!汚い!」と言われ続ける。それでは、自信のなさをさらに植え付けられて、より美しい歌声など遠ざかっていくのは紀夫には明白だった。

とりあえず、練習していたのは、埴生の宿だったが、このような曲ではやる気など全くでなくなるだろうなと思われたので、曲を変えて、何か大曲をやってみようかと紀夫は提案した。

合唱団にとっては劣悪な部屋だったし、せめて曲だけでも難易度の高いものにすれば、メンバーさんたちも自信を持ってくれるかもしれないし。

「どうでしょう。この際ですから、高田三郎とか三善晃とか、そういう人たちの曲をやってみませんか。皆さん、決して実力がないわけじゃないですし、多分ひばりに変われとか、歌えると思うんですよ。もちろん、楽譜はこちらで用意しますから、、、。」

メンバーさんの中にはおお、と喜びの顔を示した者もいるが、一部の男性メンバーさんだけであって、女性のほとんどは嫌そうな顔をする。そして、彼女たちを代表するかのように稲葉さんが答える。

「無理ですよ。先生。まだ基礎的なところも何もできてないんですから、そんな大曲に挑戦したら、もっと自信を無くしますよ。」

「でもですね、多少大曲に挑戦したほうが、皆さんの自信もつくんじゃないでしょうかね。」

「いいえ、うちは抒情歌で十分です。それ以上やっても発表する場もないですし、全く意味がありません。」

「しかし、新しいのをやってもいいじゃないでしょうか。」

「でも、皆さん年寄りですから、そういう人にハードルの高いのを与えてはかわいそうすぎます。」

と、稲葉さんは言うけれど、実際は年寄りというほどでもない。確かに友紀君のような若い人が多いということは決してないが、メンバーさんは60代から70代くらいが一番多く、法律では高齢者と言われていても、そのくらいの年代であれば、まだまだやれるという感じの人がほとんどである。もんや爺さんが80を超えているが、決して80代ばかりかということもない。

「いや、高齢の合唱団でも、大曲をやっているところはたくさんあります。ですから、引けをとる必要はありません。」

「いいえ、このような土地ではそういう大曲をやっても受け入れられることはないですから、意味のないものをやっても仕方ないのです。先生は、東京の方だから、わからないんですよ。こんな僻地で、わけのわからない外国語の歌をやっても、通用するはずないでしょう。悪いけど、東京とは全然違いますよ!」

僻地と言えば、奥多摩にも合唱団があるが、そこだって高田三郎の水の命をやったことがある。うまいか下手かは別の話だけど、秘境駅を有する奥多摩であっても、そういう大曲をやれるくらいの合唱団があったと音楽誌でも話題になったことがあった。そういう取り組みもあるくらいだから、この富士だってできないことはない、と思うのだが。

女性メンバーさんたちは、稲葉さんに同調する意見ばかり出している。男性が、反対意見を出さないのも不思議であるが、今は女性のほうが強いのも確かだ。まあ、確かに女性のほうが劣等感も強いから、洗脳されやすいと言えばされやすいのかな、、、。

「まあ、無理ですよ。そういうことは、うまいところがやってくれればそれでいいです。」

という結論が導き出されてしまったのだった。

そのあと、適当に埴生の宿を歌って、練習終了の時間が来てしまった。女性のメンバーさんたちはいち早く帰ってしまう。まあ、みんな家のことがあるからすぐに帰ってしまうというのは、ある意味仕方ないが、もう少し意欲的になってくれればなと思う。

男性は、恒例の飲み会のへ行ってしまうし、あーあ、自分は何をしているんだろうなという虚無感のようなものに襲われてしまう。

「やってみたかったねえ。先生。」

へ?と思って後ろを振り向くと、もんや爺さんが、椅子を片付けながらそう呟いたのである。

「いや、あの曲、やってみたかったよ。ひばりに変われとか、、、。」

「そうですね。僕も結構好きな曲でしたしね。」

友紀君が爺さんに続いてそういった。

「つまり知っていたのですか?」

「知ってますよ。いい曲じゃないですか!高田三郎の曲はみんなそうですから。誰だって合唱をやっていれば、歌いたくなるものですよ。」

「そうですね、爺さんの言う通り、僕も憧れだったなあ。」

つまり、この二人は音楽の知識は少なからずある、という事である。

「そうですか、それなら、その時に言ってくれればよかったじゃないですか。」

全員一致ではなかったなら、それを基盤に反抗できたかもしれないのになあ。

「まあ、僕はトラックの運転手しかしてこなかったので、何も知識がないのですけれども、そのひばりに変われという曲はどんなものなのか、興味はありますよ。」

松岡さんがそういう。

「松岡さん、そのような気持ちがあったのなら、代表の権限で、」

「いや、先生。トラックの運転手には権限はないです。」

そういうときに限って、田舎では身分が持ち出される。

「きっと、稲葉さんに罵られてしまいますよ。」

じゃあ、何でまた代表というものが存在するのかと思ったら、単に創立されたときから一番ながくいるからだと答えた。次に入ってきたのは、もんや爺さんと友紀君で、それ以外の人たちは、なんだか大した理由もなくやってきたちゃらんぽらん部員であると松岡さんは説明した。本格的に合唱をやりたいのなら、東京とかそっちの方が良い合唱団はいくらでもあるし、何よりも田舎であるから、変なところばっかり発達して、肝心のものはどこかへ行ってしまう。そういう地域であるから無理なのだ。偉い人は大体東京に住んでいることが多いから、この地域ではダメな人しか残らない。松岡さんはそういった。

「しかしですよ。そのようなところなのに、なぜ皆さん集まるんでしょうね、松岡さん。もし、言っていることが本当なのなら、誰も寄り付かなくなると思うんですが。どうなんでしょうか。」

「いや、先生、そこが複雑なんですけどね。単に都会の真似をしたいだけの人もいるし、単に西洋かぶれの人もいるし、動機はいろいろあるんですよ。ま、どっちにしろ、ここでは現実生活に満足していない人が多いかな。」

「家庭で問題があるとか?」

「まあ、問題とまでは行かないかもしれないですけどね。でも、多かれ少なかれ、何かしら不満を持っているメンバーさんのほうが多いんです。まあ、あんまり口にはしないし、大っぴらには言いませんけどね。都会ほど相談所もありませんから、かえって都会の人よりかなり悩んでいるかもしれないですね。」

「そうですか。どんなことを皆さん悩んでいるでしょうか。」

「具体的にはわかりませんが、皆さんそれぞれ悩んでいることは確かですな。大きな悩みから小さな悩みまでいろいろあるけど、都会の人と違うのは、口に出すというきっかけがないので、我慢をし続けている人が多いことですよ。」

「そうですか。」

なんだか、これ以上言うなというような口ぶりだった。都会の人間は絶対に理解なんてできないだろうとでも言いたげな感じ。

「まあ、わしも、友紀君も、都会の人にはわからない事情で、音楽をやりたくてもやれなかった人たちだから、そういう人もいることだけは、忘れないでくれよ。」

もんや爺さんがそういうとなると、二人はよほど重大な悩みを持っているのだろうか。

「確かにそうですね。僕たち、こういうところには普通通えない年代ですよね。それなのにあえてこっちに来ているわけですから。」

友紀君もそんなことを言う。

「僕からしてみたら、この合唱団に入れただけでも、稲葉さんに感謝すべきではないですかね。」

まさしく、洗脳だ、と紀夫は思った。

とりあえず、次の団体に部屋を明け渡さないといけないので、全員部屋を出て、鍵を受付に返した。

「また、駅までお送りしましょうか、先生。」

松岡さんがそういう。五分くらいで着くのになあと思ったが、松岡さんの好意もつぶせず、乗せてもらうことにした。

「もんや爺さんと友紀君も乗って。」

「あ、ありがとうございます。」

「悪いね。」

また、狭い駐車場に移動して、でかいワゴン車に全員乗る。そして、松岡さんが自慢の運転技術を発揮して、公民館を脱出し、彼らを駅まで安全第一に連れて行く。松岡さんの運転は本当に上手で、大型トラックというより、観光バスに職場を変えたほうがよかったのではないかと思われるくらい快適だ。

「はい、到着ですよ。今、ドアを開けますので。」

ワゴン車のドアがガラッと開く。

もんや爺さんたちは急いでドアから降りる。

「松岡さん運転お上手なんですね。都内のバスの運転手よりも上手なのではないですか。」

紀夫がワゴン車を降りて、思わずそういうと、

「何をおっしゃいますか、先生。東京にはバスは当たり前のように走っているのですから、もっといい運転手がたくさんいるのではないですか。」

と、打ち消すように松岡さんは返した。

「それに車より、もっといい移動手段はいっぱいあるでしょ。」

まあ確かにそうなんだけど、電車だって運転がうまい人と下手な人の落差はすごいもんだし、すべてがいいとは限らない。

「じゃあ、ありがとうございました。また二週間後に来てください。」

「はい。」

軽く敬礼して、紀夫は駅に入っていった。友紀君ともんや爺さんも入っていった。

「先生、少なくともわしら三人は、二週間に一度のこの集まりを楽しみに待ってますからな。まあ、稲葉さんみたいな人もいますけど、こういう人もいると思って、また来てくださいよ。」

駅に入り際、もんや爺さんがそんなことを言った。この言葉は絶対に嘘ではないなと思った。

もう、文句ばかり言う女性メンバーの方を見ていたら、彼らが本当にかわいそうではないかなと思った。学校の先生によくあるが、勉強に意欲を示さない学生に手を回していたら、本当に勉強をしたい学生のほうが、破滅してしまう、という失敗をしでかす人は多い。そういう学生が、能力があるのに、目をかけられないでいると、自分は捨てられたと思いこみ、おかしな団体に入ったり、精神を壊してしまうこともあるという。だから優等生はいじめの対象になりやすいのも知っている。この間の水穂の話を聞いたときもそう感じたけど、今の時代は、何かをただ好きだからという軽い気持ちの人のほうが勝利し、本当に心からやりたいという人のほうが敗北するという、本来であればありえない話が平気で横行している。それではいけないな、と紀夫は思った。多数のできない人に手が回りすぎていたら、少数のやりたい人が病んでしまう。そうなったら、教える側も教えられる側も見事に共倒れである。それを何とかできるかできないかは、指導者の能力なのだろう。

岳南江尾駅行きの電車に乗り込んでいく二人を見送って、また乗客が楽しそうにしゃべっている吉原駅行きの電車に乗りながら、紀夫はそれをひたすらに考えていた。

その日は、杉三たちには会わなかった。もうあんなラッキーはないだろうなと思った。前回来た時、電車の乗車時間はさほどではないが、その待ち時間に時間をとられて、帰りが何時間もかかってしまうことを気づかされたので、紀夫は吉原駅近くのホテルに泊まっていくことにしていた。幸い、そのホテルは、東京に比べるとさほど高くなく、朝食もしっかりついてくるので、金額的にはあまり困らなかった。吉原駅周辺にあるか心配だったが、インターネットで調べると、奇跡的に一軒見つかった。東京と比べると、偉く小さなホテルだが、吉原駅まで車で迎えに来てくれるし、フロントさんの対応も優しい。部屋も掃除がしっかりしていて、併設したレストランで食べた食事はとてもおいしく、都会にはない魅力があると思った。

部屋にある机を貸してもらって、紀夫は持っていたタブレットに電源を入れた。ブラウザを広げて、楽譜の販売サイトを立ち上げた。このサイトであれば、日本の合唱曲のほとんどは手に入るということを知っている。検索欄に、高田三郎とか、木下牧子とか、作曲家の名を入れてみると、多数の楽譜が販売されている。編成とか、必要人数とか難易度とか細かく確認して、あの人たちにできそうな曲はないものか、頭をひねって考えてみる。有名すぎるものをやったら、あの稲葉さんが黙っていないだろうし、あんまり難しい曲だと、付いていけなくなってしまうメンバーさんもいるかもしれない。そのあたりをしっかり考えないと、合唱団崩壊に陥ってしまう可能性もある。この曲は曲想はいいが、歌詞がよろしくない、この曲はリズムが難しい、、、これまでに、こんなに考えさせられたことはあっただろうか?とも思うけど、今はそうすることが自分の使命なのだから、徹底的にやろう!

紀夫は、深夜までそのサイトと格闘した。



次の富士市訪問はとても重たい荷物と一緒に来訪した。電車に乗っていればまだいいが、原田公民館に荷物を持っていくと、五分くらいの距離が、何分も歩いたように感じられた。

指定時刻になってメンバーさんたちが集まってきたが、その大荷物に興味を持ってくれたのは誰もいなかった。もんや爺さんは、なぜかわからないけど大きなため息をつくし、友紀君はとても悲しそうな顔をする。松岡さんは、こうなることを予想していたようだったけど、協力的な態度をとろうとはせず、なんだかよそよそしい感じだった。

紀夫は、こうしてくれれば、メンバーさんはやる気を出してくれるかなと思っていたので、彼らがこのような反応しか示さないのには期待外れだった。すると、松岡さんが、こうなってしまうのは、実は恐怖だったと言った。なぜかと聞いてみると、過去にも同じ失敗をして、破門された人がいたと語った。その意味が分からず、紀夫は、練習を始めてしまいましょうと宣言した。みんな、その楽譜を持って、彼にしぶしぶ従ったけど、いつも以上に声は出なかった。紀夫が、苛立っても、彼らはそのままだ。やがて、いつも通り、レッスンで遅れてきたと言って、稲葉さんがやってくる音がする。

「来るぞ、第二の恐怖が、、、。」

と、松岡さんが言った。最初は意味が分からなかった。恐怖とは何ぞや、と言いたかったけど、メンバーさんたちは、もう凍り付いた表情で、中には楽譜を隠したほうが良いのではないかという人もいる。意味の分からない紀夫は、そんなことしなくていいとけん制したのだが、メンバーさんたちの恐怖は止まらないらしい。

そして、稲葉さんが入ってきた。

その日の練習は、いつもより早く終わった。

勝ち誇った顔をして帰っていく稲葉さん。足早に帰っていくメンバーさん。

代表の松岡さんが、先生のせっかくくださったものだから持って帰ろうと呼びかけたため、メンバーさんたちは楽譜をカバンにしまってくれたことだけが、唯一の救いだった。

逆を言えばそれがなければ、紀夫は地獄に落ちた気分だった。

松岡さんが、駅まで送ってくれて、もんや爺さんたちが、気にすることはないと言って、励ましてくれたが、なんだかもうこの街に来るのは嫌だなあという気持ちが、紀夫を支配していた。
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