捜索
文字数 3,496文字
案の定ではあるが、お父さんからはまた、ぼろくそに叱られた。
――結果が良かったから良いものの、そんな危ないところにつっこんでいくなんて。
――やっぱりインターネットには悪意を持った連中が溢れている。
――マッチングアプリなんて止めてしまいなさい。
そういったお父さんの説諭に、一遥は言い返す術を持たなかった。
それに、いずれにしても十和には会えないことに変わりは無い。
彼はもう、どこかに行ってしまったのだ。
「心配しなくても、もう彼には会わないよ。フラれちゃったみたいだから」
「なんだとお? なんでフラれるんだ」
なぜかお父さんがムキになっているのがおかしかった。
「その、林さんって子のことはもう、警察に任せておけば良いけどな、百伊ちゃんの件は、ちょっと問題になってる」
お父さんはため息をついた。
「藤琴の社長さんも怒っててな。百伊ちゃんが久間の息子と付き合ってると知ったときには政略結婚とか言って勝手に盛り上がってた割に現金なもんだが、実際に姪っ子が傷ついて帰ってきたら話は別だろう」
「ゆんは傷ついたというより、とにかく怒ってるけど」
「市長選前の微妙な時期だからな、大人たちが色々と余計なことをするかもしれない。おまえは百伊ちゃんのそばについてやることだな」
「もうほっといて欲しいけど」
「そのとおりだな。まあ頼むよ。ご両親からもそう言われたから」
話は終わりかな、と思って黙ってお父さんの次の言葉を待っていたら、
「お父さんもビッグファミリーについて調べてみたよ。恋愛関係というのは、権力関係に良く似ている。あのアプリはそういう関係を解体するのをテーマにしながら、却ってそれを増幅させているように感じた」
「どういうこと」
「まあつまりは・・・」
パクヒスは地縁による結びつきを奨励する作用を期待されて成立している。
それは選挙運動とか、災害時とかに有効に機能する役割もあるけれど、反面そこで平和 と呼ばれるのは、男性優位社会における秩序に過ぎないということだ。
次に、潤沢 を謳うコースは、その実はジャンク品の集まる場にされてしまっていた。
選択肢はヨコではなくタテに拡がり、劣位の者が抱いた夢は、却って「上」にある選択肢との分断を明確化してしまっている。
そして愛情 とは、性愛を経済へと接着させるセックスワークの草刈場になってしまう。
お父さんの演説はよどみがなく、かつ説得力に富むものだった。
「お前はプレヒスをやっていたんだな。百伊ちゃんがパクヒス、林さんって子がラヴヒスだって、そう聞いたけど、それぞれに問題があったんだと思うな」
そうして分類されることに大上段であると反感を募らせるよりもむしろ、分類によって自らが体験した出来事が整理されていくことに安寧を覚えるくらいには、一遥はこの数ヶ月の間に大変な体験をしたのだと思う。
では真理 は?
お父さんは、娘たちには関係がないと思って、トゥルヒスについては別段、分析的なことを言うわけではない。
でも、一遥にとっては、トゥルヒスの帯びる逆説こそが関心の的にある。
真実の反対は、嘘。
十和は何か、わたしに嘘をついていたのだろうか。
そして、それが苦しくて、わたしから距離を置いたのだろうか。
分からない。
「だが、友だちのために、身をなげうてるのは立派だ」
お父さんは呟くように言った。一遥は顔を上げた。
「まあ、外出禁止ってのは、お父さんもやり過ぎたよ。だが、分かっていて欲しいのは、己の身をわざわざ危険にさらす必要はないということだ。お父さんもお母さんも、お前の身の安全を一番に思っている」
「わかってるよ」
「社会で生きていく上で必要なこと、ゆっくりと教えていかないとと思っていたが、親が思うよりずっと速く、子どもは学んでいくのかもしれない。あまりあれこれ言うべきではないのかもな」
「ううん。いいよ。言ってくれて。嫌なことは嫌だって言うから」
「そうだな。教えてくれ。お前の思っていることを、お前の言葉で」
千咲は一週間、学校を休んだ。無理もないだろう。
一遥も休んでいいと言われたが、どこか恐怖から遊離したフワフワした気持ちだったので、平然とした顔をした百伊に引っ張られたこともあり、普段通りに登校した。
と言っても、もう期末試験前で、試験範囲も分かっているので、休んでも大して変わらない時期ではあった。
金曜日の昼休み、一遥は美術室へ、愛梨ちゃんに会いに行った。
「どったの?」
愛梨ちゃんはマグに紅茶を注いでくれた。
「お願いがあって」
一遥は十和を探そうと思っていた。
十和はあの日ファミレスで、自分は松浦教諭 のクラスだと自己紹介した。
それでさっき、まっちゃんのところに突撃してきたのだ。
「あの、松浦先生のクラスに、十和さんっていませんか?」
「とわ。知らんな。男か、女か? ウチのクラスなのか?」
まっちゃんはピノをつまみながら答えた。指に溶けたチョコレートがつくのを、汚れるのもお構いなしにトレーナーで拭う。
「男の人です。本人がそう言っていて」
「いや、知らんな。どういう知り合いだ。ウチのクラスを騙って、なんぞ悪巧みしとるんやないやろな」
「ああいや」
しまったな、やぶ蛇になってしまった。
やっぱり、十和は嘘をついていたのだ。
トゥルヒスの逆説は、嘘。
だが、あのとき十和はまっちゃんの名を挙げた。
教諭の名前を知っているということは、満更海北高校に無関係というわけでもないのだろう。
「それじゃ、生徒の名簿を見せて貰えませんか。たぶん、ウチの学校の人ではあると思うので」
一遥は食い下がったが、
「アホか、生徒にそんなん見せられる訳ないだろ。堀内おまえ、なんかヘンなこと考えてないだろうな?」
まっちゃんは生活指導教員の眼差しで一遥を睨みながらにべもなく断ったのだった。
愛梨ちゃんの紅茶は、芳醇なイチゴの香りがした。早春の香りだ。
「十和って子は、わたしも心当たりはないな。二年生じゃないだろうね。あんたらにはピンとこないかも知れないけど、教師ってのは、自分の学年の生徒は全部覚えてるもんだよ」
「じゃあ、三年生?」
一遥の問いかけに、愛梨ちゃんは首を振った。
「松浦先生なら、たぶん全学年知った上で、居ないって言ってると思うよ。特に桃園から通う生徒なんて珍しいから、居たら絶対に覚えているはず」
一遥はしょげ返って俯いた。
「幽霊部員ならぬ、幽霊生徒を見つけようって訳だ」
愛梨ちゃんは嘯いた。
いるはずなのにいない人。
いないはずなのにいる人。
「彼、ちゃんと足はあったの?」
「当たり前じゃん。茶化さないでよ」
膨れて愛梨ちゃんの顔を見ると、殊の外真面目な表情だったので面喰らった。
「いや、悪いと思ったんだけど、好奇心には勝てなくてさ、バレンタインの日の、あのあと、植え込みを見るともなく見てたんだよ」
「え、そうなの。ひどい。やめてっていったのに」
テニスコートの脇で十和にチョコレートを渡した後、愛梨ちゃんに声をかけられたことを思い出した。
「ごめんごめん、でも、誰も出てこなかったんだよ。見逃したわけでもないと思うんだけど」
「誰も?」
それじゃあ、十和はあの後、教室に戻らなかったと言うことか。
いや、学校の人間でないなら、戻る必要など無い。
そのまま裏門から出て行ったのかな。
――社長さん、校門のセキュリティ、アップデートしたんですよね?
でもそうだ、千咲が社長さんと話していた。
部外者には、藤琴興産の誇るセキュリティは、たとえ内側からでも突破できないはずではないか。
一遥は混乱してきた。
「教員なら、ゲートのログにアクセスできるよ」
愛梨ちゃんが一遥の思考を先回りして、頼もしいことを言う。
「見て良いの?」
訴えかけるように眉をひそめると、愛梨ちゃんはにっこりと微笑んだ。
待ってなよ、と準備室にいったん引っ込むと、スマホを操作しながら戻ってくる。
「これだよ」
スクロールされるデータを読めば、毎日、数百人の生徒が登下校する時刻がつぶさに確認できる。
「検索してみよう。二月十四日、月曜日だね」
バレンタインの日の、昼休み付近の時間帯のログへと画面をスライドさせる。
「あれ?」
愛梨ちゃんが戸惑った声をあげた。
「一遥、これ、どういうことだろう」
横から画面を覗き込む。愛梨ちゃんは見やすいようにスマホを傾けてくれた。
十一時二十六分 堀内 俊之(一年一組 堀内 一遥 祖父)
十二時四十一分 堀内 俊之(一年一組 堀内 一遥 祖父)
え。
おじいちゃん。
どういうこと?
出入りの少ない時間帯に、ポツンと俊之おじいちゃんの出退ログが刻み込まれていた。
――結果が良かったから良いものの、そんな危ないところにつっこんでいくなんて。
――やっぱりインターネットには悪意を持った連中が溢れている。
――マッチングアプリなんて止めてしまいなさい。
そういったお父さんの説諭に、一遥は言い返す術を持たなかった。
それに、いずれにしても十和には会えないことに変わりは無い。
彼はもう、どこかに行ってしまったのだ。
「心配しなくても、もう彼には会わないよ。フラれちゃったみたいだから」
「なんだとお? なんでフラれるんだ」
なぜかお父さんがムキになっているのがおかしかった。
「その、林さんって子のことはもう、警察に任せておけば良いけどな、百伊ちゃんの件は、ちょっと問題になってる」
お父さんはため息をついた。
「藤琴の社長さんも怒っててな。百伊ちゃんが久間の息子と付き合ってると知ったときには政略結婚とか言って勝手に盛り上がってた割に現金なもんだが、実際に姪っ子が傷ついて帰ってきたら話は別だろう」
「ゆんは傷ついたというより、とにかく怒ってるけど」
「市長選前の微妙な時期だからな、大人たちが色々と余計なことをするかもしれない。おまえは百伊ちゃんのそばについてやることだな」
「もうほっといて欲しいけど」
「そのとおりだな。まあ頼むよ。ご両親からもそう言われたから」
話は終わりかな、と思って黙ってお父さんの次の言葉を待っていたら、
「お父さんもビッグファミリーについて調べてみたよ。恋愛関係というのは、権力関係に良く似ている。あのアプリはそういう関係を解体するのをテーマにしながら、却ってそれを増幅させているように感じた」
「どういうこと」
「まあつまりは・・・」
パクヒスは地縁による結びつきを奨励する作用を期待されて成立している。
それは選挙運動とか、災害時とかに有効に機能する役割もあるけれど、反面そこで
次に、
選択肢はヨコではなくタテに拡がり、劣位の者が抱いた夢は、却って「上」にある選択肢との分断を明確化してしまっている。
そして
お父さんの演説はよどみがなく、かつ説得力に富むものだった。
「お前はプレヒスをやっていたんだな。百伊ちゃんがパクヒス、林さんって子がラヴヒスだって、そう聞いたけど、それぞれに問題があったんだと思うな」
そうして分類されることに大上段であると反感を募らせるよりもむしろ、分類によって自らが体験した出来事が整理されていくことに安寧を覚えるくらいには、一遥はこの数ヶ月の間に大変な体験をしたのだと思う。
では
お父さんは、娘たちには関係がないと思って、トゥルヒスについては別段、分析的なことを言うわけではない。
でも、一遥にとっては、トゥルヒスの帯びる逆説こそが関心の的にある。
真実の反対は、嘘。
十和は何か、わたしに嘘をついていたのだろうか。
そして、それが苦しくて、わたしから距離を置いたのだろうか。
分からない。
「だが、友だちのために、身をなげうてるのは立派だ」
お父さんは呟くように言った。一遥は顔を上げた。
「まあ、外出禁止ってのは、お父さんもやり過ぎたよ。だが、分かっていて欲しいのは、己の身をわざわざ危険にさらす必要はないということだ。お父さんもお母さんも、お前の身の安全を一番に思っている」
「わかってるよ」
「社会で生きていく上で必要なこと、ゆっくりと教えていかないとと思っていたが、親が思うよりずっと速く、子どもは学んでいくのかもしれない。あまりあれこれ言うべきではないのかもな」
「ううん。いいよ。言ってくれて。嫌なことは嫌だって言うから」
「そうだな。教えてくれ。お前の思っていることを、お前の言葉で」
千咲は一週間、学校を休んだ。無理もないだろう。
一遥も休んでいいと言われたが、どこか恐怖から遊離したフワフワした気持ちだったので、平然とした顔をした百伊に引っ張られたこともあり、普段通りに登校した。
と言っても、もう期末試験前で、試験範囲も分かっているので、休んでも大して変わらない時期ではあった。
金曜日の昼休み、一遥は美術室へ、愛梨ちゃんに会いに行った。
「どったの?」
愛梨ちゃんはマグに紅茶を注いでくれた。
「お願いがあって」
一遥は十和を探そうと思っていた。
十和はあの日ファミレスで、自分は
それでさっき、まっちゃんのところに突撃してきたのだ。
「あの、松浦先生のクラスに、十和さんっていませんか?」
「とわ。知らんな。男か、女か? ウチのクラスなのか?」
まっちゃんはピノをつまみながら答えた。指に溶けたチョコレートがつくのを、汚れるのもお構いなしにトレーナーで拭う。
「男の人です。本人がそう言っていて」
「いや、知らんな。どういう知り合いだ。ウチのクラスを騙って、なんぞ悪巧みしとるんやないやろな」
「ああいや」
しまったな、やぶ蛇になってしまった。
やっぱり、十和は嘘をついていたのだ。
トゥルヒスの逆説は、嘘。
だが、あのとき十和はまっちゃんの名を挙げた。
教諭の名前を知っているということは、満更海北高校に無関係というわけでもないのだろう。
「それじゃ、生徒の名簿を見せて貰えませんか。たぶん、ウチの学校の人ではあると思うので」
一遥は食い下がったが、
「アホか、生徒にそんなん見せられる訳ないだろ。堀内おまえ、なんかヘンなこと考えてないだろうな?」
まっちゃんは生活指導教員の眼差しで一遥を睨みながらにべもなく断ったのだった。
愛梨ちゃんの紅茶は、芳醇なイチゴの香りがした。早春の香りだ。
「十和って子は、わたしも心当たりはないな。二年生じゃないだろうね。あんたらにはピンとこないかも知れないけど、教師ってのは、自分の学年の生徒は全部覚えてるもんだよ」
「じゃあ、三年生?」
一遥の問いかけに、愛梨ちゃんは首を振った。
「松浦先生なら、たぶん全学年知った上で、居ないって言ってると思うよ。特に桃園から通う生徒なんて珍しいから、居たら絶対に覚えているはず」
一遥はしょげ返って俯いた。
「幽霊部員ならぬ、幽霊生徒を見つけようって訳だ」
愛梨ちゃんは嘯いた。
いるはずなのにいない人。
いないはずなのにいる人。
「彼、ちゃんと足はあったの?」
「当たり前じゃん。茶化さないでよ」
膨れて愛梨ちゃんの顔を見ると、殊の外真面目な表情だったので面喰らった。
「いや、悪いと思ったんだけど、好奇心には勝てなくてさ、バレンタインの日の、あのあと、植え込みを見るともなく見てたんだよ」
「え、そうなの。ひどい。やめてっていったのに」
テニスコートの脇で十和にチョコレートを渡した後、愛梨ちゃんに声をかけられたことを思い出した。
「ごめんごめん、でも、誰も出てこなかったんだよ。見逃したわけでもないと思うんだけど」
「誰も?」
それじゃあ、十和はあの後、教室に戻らなかったと言うことか。
いや、学校の人間でないなら、戻る必要など無い。
そのまま裏門から出て行ったのかな。
――社長さん、校門のセキュリティ、アップデートしたんですよね?
でもそうだ、千咲が社長さんと話していた。
部外者には、藤琴興産の誇るセキュリティは、たとえ内側からでも突破できないはずではないか。
一遥は混乱してきた。
「教員なら、ゲートのログにアクセスできるよ」
愛梨ちゃんが一遥の思考を先回りして、頼もしいことを言う。
「見て良いの?」
訴えかけるように眉をひそめると、愛梨ちゃんはにっこりと微笑んだ。
待ってなよ、と準備室にいったん引っ込むと、スマホを操作しながら戻ってくる。
「これだよ」
スクロールされるデータを読めば、毎日、数百人の生徒が登下校する時刻がつぶさに確認できる。
「検索してみよう。二月十四日、月曜日だね」
バレンタインの日の、昼休み付近の時間帯のログへと画面をスライドさせる。
「あれ?」
愛梨ちゃんが戸惑った声をあげた。
「一遥、これ、どういうことだろう」
横から画面を覗き込む。愛梨ちゃんは見やすいようにスマホを傾けてくれた。
十一時二十六分 堀内 俊之(一年一組 堀内 一遥 祖父)
十二時四十一分 堀内 俊之(一年一組 堀内 一遥 祖父)
え。
おじいちゃん。
どういうこと?
出入りの少ない時間帯に、ポツンと俊之おじいちゃんの出退ログが刻み込まれていた。