母と子 其の十一

文字数 1,597文字

 夕方、民宿……もとい旅館に戻った私達は、気さくで明るい年配の女将さんに出迎えられた。
 見た目はオンボロ旅館だったけど、中の掃除は行き届いてるし、取れたての野菜や魚介類をふんだんに使った夕食も凄く美味しかった。
 ごめんなさい。もう見た目で判断したりしません。



「ん~、極楽~極楽~♪」
 夕食後、大浴場の檜風呂にゆったり浸かりながら今日一日の疲れを癒す。
 泳ぎすぎて明日筋肉痛になっちゃいそう。
(ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったかも)
 あの後、栄慶さんは片時も離れる事なく私の側に居てくれた。
 その安心感からか、私は溺れかけた事もすっかり忘れ、久しぶりの海を思う存分堪能する事ができた。
(これも栄慶さんのおかげっ)
(……なんだけど……)
 私は延ばしていた足を折り曲げ、両膝を抱えながら溜息交じりの息を吐く。
(慌てて出てきちゃったけど、栄慶さん変に思わなかったかな……)
 私達が今夜泊まるのは一階十二畳の和室。
 家族連れでもゆったり寛げる広さで、思っていたより古い感じはせず、窓から見える庭園も、各所に小さな明かりが灯されとても綺麗だった。
 そして別室で食事をとった後、部屋に戻ってきた私達の目に飛び込んできたのは……
 隣り合わせに敷かれた……2組の布団。
(ふ…布団が……っ)
「どうした? 早く部屋の中に入らないか」
「ひゃっ!!
 栄慶さんが促すように私の背中に手を添えた瞬間、飛び上がらんばかりに驚いた私は
「ああああ、あのっ……そ、そうだお風呂!! 私お風呂行ってきますっ!!
 そう叫び、慌てて布団の上に置かれた浴衣と、ボストンバッグに入れてきた替えの下着を持って部屋を飛び出してきたのだった。




(いや、期待してないわけじゃないんだけどさ……)
 私だってそれなりの覚悟はしてるわけで……。
(でも好きな人と一晩一緒に過ごすんだもの。冷静にいられるはずないじゃない……)
 鼻の上辺りまで湯船に浸かり、口からプクプクと息を吐く。
(そもそも栄慶さんは本当のところ、私の事どう思ってるのかな)
 昼間だって助けてもらって迷惑かけたのに……結局ありがとうも言えてなくて……。


 私の事、どう思ってるの?



 聞きたいけど……聞けない。



 思わせぶりな態度で……私の心はいつもかき乱される。
(もっと若かったらなぁ……)
 素直に「私の事好き?」って聞けたかもしれない。
 もっと早く栄慶さんと出会えていたらよかったのに。
 そんな事さえ思ってしまう。
「…………」
 私はクルリと身体を反転させ、浴槽の縁に両腕を置いて頭を乗せる。
 そして心の中でまだ伝えていない二文字の言葉を、復唱するように何度も呟いた。



 ――――――





 ――――――





 ――――――




「はっ!」
 いけないいけない。
 余りの気持ちよさについウトウトと。
(そろそろ出なきゃっ、お肌がふやけちゃうっ)
 湯船から出た私は、少しふらつきながら脱衣所へと向かう。


(……あれ? 風呂桶……どこに置いたっけ)
 ふと……、湯船に浸かる前に使った桶がない事に気が付いた。


 手ぬぐいをそこに掛けていたはずなんだけど……、桶も手ぬぐいも、私が置いたはずの場所にはなかった。
 ここに入って来た時、桶は浴場の隅にピラミッドのような形で積まれており、私はその一番上に置かれた物を使った。
(そのあと、そこに置きっぱなしにしてたはず)
 念の為積んである場所を確認してみると、一番上に使った形跡のある濡れた桶と手ぬぐいがあった。
(ウトウトしてる間に女将さんが戻してくれたのかな)
 足元を見ると、桶の場所から脱衣所まで誰かが通ったかのように、檜の床板がびっしょりと濡れていた。



 つい先程まで誰かいたのは確かだ。
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登場人物紹介

室世癒見【むろせゆみ】24歳 

主人公

憑かれやすい女性編集者

永見栄慶【ながみえいけい】27歳

御祓いを得意とするインテリ坊主

壮真貴一朗【そうまきいちろう】43歳

ナルシストタイプな敏腕編集長

匡木圭吾【まさきけいご】

第二章登場人物

洋食亭サン・フイユ現オーナー

間柴一【ましばはじめ】 38歳

第三章登場人物

ガイスト編集部カメラマン

一条史真【いちじょうししん】27歳

第四章登場人物

宗國寺副住職

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