-vana- 第2話「葵と銀」

文字数 1,346文字

『…。飯…』
やがて、よい香りにつられたように、少年が目を開けた。

「もう少しででき上がる様だから、待っていなさい」
そう優しく声を掛けると、少年は、ん、と僅かに頷いた。

少年は、ゆっくりと半身を起こした。
『…あんたが、治してくれたのか。』――傷が無いのを確かめ、少年はぼんやりと呟いた。
「まぁ、そんなところかな。」――少しやり過ぎたかな、と思いつつ、朗らかに笑みを向け、目を細めた。

『ありがとう。恩に着る…』
「何、これも仕事のうちさ。礼を言われる程のことはしていない」
――言葉も話せるようだし、やはり、彼は人間だな。
そう考えながら、変わらぬ笑みを浮かべた。

「はい、お待たせ。」
少しして、ようやく食事の準備が出来たらしく、十六夜が膳を運んできた。少年は途端に目の色を変え、卓にかじり付いた。

「そない急いで食うと喉つめるで」
十六夜さえも、思わず苦笑いを浮かべていた。


何気なく、外に目をやる。ひょうと風が吹く音がする。
――妙に寒いと思っていたが、今宵は雪でも降るのだろうか。

「――あんた」
不意に声を掛けられて、少し驚いた。
「ん、何だい?」

「…風邪、引かんようにしぃや。」
「ああ。…。」
――一体いつまで起きている心算だ、という意味を汲み取り、ほ、とひとつ息を零して、改めて少年に向き直った。

「…少年」
『…、はい』
唐突に声をかけられた少年は、食べていた物を慌てて飲み込み、返事をした。

「食事の途中に済まないが、君の名だけでも伺っておこうか。」
『はい。おれは葵、って言います』

「そうか。私は銀翅。…彼女は、私の妻の瑠璃。この山で倒れていた君を助けたのは彼女だ。」
『…どうもありがとう。』

「どういたしまして。」
礼に応えた十六夜は、普段のそれとは異なった笑みを返した。

「尋ねたいことはたくさんあるけれど、まぁ今はゆっくり休むと良い。…夜も遅いしね。」
『はい。…ありがとうございます』
少年は素直に頷いた。


出された食事を平らげると、少年はまたすぐに眠った。
「私達も、そろそろ休むか。」
「…あんたも病人なんやから、無理せんとさっさと休みや。」
十六夜は、眠りに就いている葵を横目に、怒ったような声色で此方に話し掛けた。

「――いや、つい癖でね。」
「…。………どうせ他人なんやから、気ぃ抜いたらえぇのに。」
じろりと鋭い視線を受けながらも、それが何故か愉快に感じられた。

「ひょっとしたら彼は、訳有ってこの地に住む為に、元いた場所から逃れてきたのかもしれないだろう。…もしそうなら、いずれ彼もかの村の人間になる。」
「…。」――抜け目のない奴だとでも言うように、十六夜はひとつ溜息をついた。

「…まぁ、とにかく寝ぇや。」
「はいはい。…君も、あまり無理をしないようにね。――もう、冬だからさ。」

「ああ、分かってる。…あんたと違うてな。」
「ふふふ、そうかい。それなら良かった。」
皮肉すらも笑って流し、いつもの様に横になった。
十六夜も何やら思案しつつ、ひとの姿のままで横になった。

――いつもこうならよいものだが。
胸の内でそう呟いて微かに笑うと、霞んだ月明かりに目を細め、穏やかな呼吸に身を委ねた。
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登場人物紹介

十六夜

山に棲む狐。

銀翅

陰陽師の男。

銀翅に仕える少年。

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