師走(二)新しい命

文字数 2,299文字

 その朝、東京の真中家は喜びの空気に包まれていた。長男浩一の妻、多恵が未明に出産したという朗報が届いたのだ。
「やっぱりまた女の子ですって」
 早紀子がトーストを頬張りながらつぶやいた。
「あら、三姉妹もいいものじゃないかしら」
 そんな由紀子の反応に、母、保子も賛同した。
「そうよ、早紀子、浩一の前でそんなこと言ったらだめよ」
「言うわけないじゃない。でも、お兄さんますます家に居場所がなくなるわね。女の中に男一人ですもの」
「華やかでいいじゃないの。男親にとって娘は特別な存在みたいよ、それを浩一は三倍も味わえるのだから」
「でもお母さん、これでまた男の孫は見られなくなったわけね」
「由紀ちゃんがいるし、いずれはあなただって子どもができるだろうし、まだまだチャンスはあるわ」
「ほうら、やっぱりお母さんも男の子が良かったんじゃない」
 
 その夜、主役の浩一が早速、真中家を訪れた。
「おめでとう!」
 みんなに声をかけられ、まんざらでもない様子で夕食に加わった。ひと通り生まれるまでのいきさつを報告し終えると、浩一は意外なことを言いだした。
「来週には多恵が子どもと退院するんだけど、ここに置いてもらえないかな?」
「あら、多恵さんの実家に行くんじゃないの? のどかの時もまどかの時もそうだったわよね?」
「それが……多恵の兄さん、昇さんがリストラにあって、今、実家に帰って来てるんだ」
「まあ、それは大変ね。でも、それでなんで実家に?」
「次の就職先がなかなか見つからなくて、とうとう賃貸を解約して家に戻ったらしいんだ。どうやらそのまま同居に踏み切るみたいでさ」
「そう、それは跡継ぎなんだからいいんじゃない」
「あの家、義兄さんたちが来たらもう手狭で、多恵の居場所がないんだ。今も子どもたちだけは、どうにかおいてもらっているという状況でね」
「そうね、いくら実家と言っても、お兄さん一家がいたら多恵さんも居づらいでしょうね」
「あら、こっちに来たらもっと気兼ねでしょうにね」
「早紀子!」
「どうだろう? 置いてもらえる?」
「もちろんですよ。多恵さんが来るということは子どもたちも一緒よね? 賑やかになるわ」
「じゃあ、私の部屋を空けるわ。子ども部屋に使えるでしょ?」
 早紀子の提案に、和孝が待ったをかけた。
「それでお前はどうするというのだ?」
「その間、横浜の節子伯母さんのところへ行くわ」
「何もお前が出て行くことはない! 客間がある」
「あら、四人増えるということは荷物を置く場所だって大変よ。少しでも広い方がいいわ」
「お前まさか、どさくさに紛れて……」
「変な気を回さないで! 離れじゃなくて母屋の方よ。お父さんから伯母さんに頼んでよ」
「そうですねえ、今だって、ほとんど入り浸っているのですから、たいして変わりないわね」
「お前は母親のくせに何暢気なことを言っているんだ!」
「あら、あなた、お姉さんの家に住むって言っているんですから、何も心配ないじゃないですか!」
「そうよ、お父さん、早紀子はしっかりした子だから大丈夫よ。働くようになったら家を出てひとり暮らし、なんて今は普通よ。この歳まで親元にいる私が言うのもなんだけど。それに、伯母さんのところならウチにいるのも同然じゃない」
「お姉さん、ありがとう!」
 

「あら、かわいい!」
「赤ちゃんて言うだけあって、本当に赤いのね。それに、ホントちっちゃい!」
 新生児を目の前にして由紀子と早紀子は、思わず声を上げた。そんな感動とともに、多恵母子は真中家に迎え入れられた。
「ちょっと抱かせて」
「ダメよ早紀ちゃん、まだ首が座っていないんだから」
「どうやって抱けばいいの? 教えて!」
 この日から、真中家の日常は一変した。
 早紀子はすでに横浜の節子宅に移っていたが、退院のこの日、多恵たちを迎えるためにやって来ていた。そして、荷物の整理などを手伝うと、しばらく、のどかたちの相手をしてから横浜へ帰って行った。
 
 新しい住人のために空けておいた早紀子の部屋は、その日のうちに、多恵の荷物と子どもたちのおもちゃで埋め尽くされた。そして、多恵たちの居住部屋には、客間が当てられた。
『命名 あやか』と掲げられた和室からは、一日中にぎやかな声が聞こえてくる。浩一が泊まっていく日も多くなった。
 ついこの間まで、ふたりきりだとこぼしていた保子は、一転家事に育児にと座る暇もない。疲れた疲れたと言いながらも、元気に家の中を動き回っている。
 一方、由紀子は相変わらず直樹の元に通い、帰りは遅い。嫁や孫の相手に忙しい保子を横目に、今度は和孝が疎外感を感じ、ぼやく番になってしまった。所在なさ気に、みんなの様子を見ているだけの和孝を見かね、保子が言った。
「あなたも孫の相手でもしたらどうですか? いいものですよ、おじいちゃん」
 そう言われても、滅多に会わなかった孫たちは、なかなか和孝に懐かない。しつこく近寄ると泣き出す始末だ。しかし、毎日顔を合わせるうちに、しだいに幼い孫たちも和孝の存在に慣れてきた。そして、ときどき世話らしきことをすると、孫の方から寄ってくるようになった。
 久しぶりに早紀子がやってきた日、和孝はまどかを膝に乗せ、のどかとふたりに菓子を食べさせていた。そんな様子を見て早紀子がこう言った。
「あら、お父さん、意外とおじいちゃんやっているじゃない! 驚いたわ」
「このくらいのうちはかわいいものさ」
「そう、じゃ、目の中に入れて育ててみたら?」
「そういう減らず口をたたかないからな」

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