第1話~無為日常

文字数 2,620文字

 遠く届かない空に向かって、僕は何を願い何を掴もうとしたのだろう?もうすぐ僕は、二十数年間の人生に幕を下ろそうとしている。きっと、この世の中でたった一人の存在に思いを馳せたまま……

 十九歳の初夏。僕は、地元のコンビニエンスストアのアルバイトをしていた。この町は、特に目立つことも無い地味な場所だった。それは、まるで僕自身の存在とリンクしているかのようにも感じていた。コンビニのバイトは結構楽ちんだった。そんなにお客さんが来なかったし、愛想笑いとか、何だかめんどくさい元気の良さとかが、特に必要なかったからだ。余ったお弁当やパンは自由に持って帰れたし、売れ残りの雑誌なんかもたまに貰えた。

「田中君!悪いんだけど明日、夜勤やってくれないかなぁ~!シフトが合わないんだよ!ちゃんと深夜手当つけるからさっ!」
 ある日の夕方。勤務を終えて帰ろうと更衣室で着替えていた僕に、店長がそう言ってきた。
「いいですよ。たまになら……」
 僕は、今思うと相当ぶっきらぼうに店長と目も合わせずにそう答えた。
「助かるよ~!まあ、お客さんもロクに来ないと思うから。適当に、いつも通りにやってくれれば大丈夫だよ!」
 店長は、もうこの町に四十年以上。生まれた時から住んでいる原住民だった。よくもこんな退屈な町に四十年も住み続けられるものだと。僕は、ある意味感心していた。
「お疲れ様でした……」
 いつものように、抑揚のない蚊の鳴くような声で、僕はタイムカードを押して店長に軽く頭を下げて従業員用の裏口から店を出た。外に出ると、初夏の夕刻独特のノスタルジックな町の光景と虫たちの鳴き声が、少しだけ僕の心を穏やかに包み込んだ。


「光一。帰ってたの?ただいまくらい言いなさい!」
 母が、僕の洗濯物を持って部屋に入ってきた。
「あぁ、ただいま……」
「何それ?今頃言っても遅いわよ。ホントにあんたは変わってるんだから……」
 母は、少し呆れた顔で微笑みながら額の汗を拭っていた。

「母さん。明日は店長に夜勤を頼まれたからね。夕方五時から朝の五時まで。シフトが合わなかったんだって」
「そうなの?じゃあ、明日の夜はお父さんと二人きりじゃない。久しぶりに……」
 母は、そこまで言って僕の顔をチラッと見てから恥ずかしそうに視線を落とした。
「もう十九歳になった息子の前で、そんな話するなよ……」
 僕は、暑さのためか?薄いTシャツと短めのスカートを履いていた母の手入れの行き届いた綺麗な足と白いTシャツから透けて見えるブラジャーに一瞬目を奪われてしまった。
「そうね……ごめんなさい」
 母は、少し顔を紅潮させてそそくさと僕の部屋を出ていった。
 僕の両親は、僕も通っていたこの町にある高校の同級生で卒業と同時に結婚したらしい。

 父は、高校卒業と同時に地元の製粉工場に就職して、母はその工場の事務の仕事をパートタイムで続けて一年後には僕が母のお腹の中に宿っていたらしい。僕には、弟も妹も居ないので父と母は一人息子の僕をかなり溺愛した。父は真面目一筋の堅物(かたぶつ)で、母はこの町でも相当有名な美人で、父以外にも学生時代から母に群がってくる輩たちが絶えなかったらしい。

 晩御飯を食べ終わって自分の部屋に戻り、いつものように音楽を聴いていた。特に趣味も何もない僕にとって音楽は、恰好のヒマつぶしだった。



「光一!こんな退屈な町捨てて、高校卒業したら東京に行こうぜ!」
 幼馴染のタケルからいつもそう言われていた。タケルは、高校卒業間近に全身に怪しげなタトゥーを入れた。高校二年生頃からタケルはマリファナを吸っていた。
「オランダは大麻が合法なんだよ。ネットで個人輸入した。光一も吸ってみろよ!最高だぜ!これ吸ってからセックスするとめっちゃ気持ちいいぜ~!」
 タケルに誘われて、何度かマリファナを吸った。タケルの言う通り、こんな何も無い退屈な町に住んでいると、たまに何かしらの刺激が欲しくなるのも頷けた。

 高校二年生の文化祭の時に、ミスコンが開かれた。ブスばっかりの学校の中に一人だけマドンナのような存在の女の子がいた。「霞(かすみ) アカネ」彼女は多くの男子生徒の憧れだった。勉強も良く出来た。スポーツも万能だった。ミスコンに出場した彼女は眩いくらいの美しい水着姿を披露して、その場にいた男子高生全員を悩殺した。当然だけど、彼女はミスコンで優勝した。

 タケルとアカネが付き合い始めたのは、その文化祭明けだったような気がする。たまに、タケルとアカネと僕の三人でマリファナを吸った。三人でセックスもした。
「あぁ~!ちょ~気持ちいい~!」
 タケルは行為のたびにそう叫んでいた。アカネは全身をピクピクさせて、失神したかのように恍惚の表情を浮かべて裸のまま横たわっていた。僕一人だけ、何故だか?そんな三人の秘めたる行為に背徳感を感じていき、やがてマリファナもセックスも拒むようになっていった。

 お気に入りのモンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」を聴き終わった僕は、スマートフォンを手に取って久し振りにタケルに電話をかけた。高校卒業と同時に、アカネと二人で東京に行ったタケルは、どうやら麻薬の売人になったらしい。本当だろうか?おまけに大切にすべきアカネを風俗店で働かせているという嫌な噂も聞いていた。あのアカネが東京で風俗嬢をやっているなんて、あまり想像したくなかった。

 タケルは、電話に出なかった。何をやっているのだろう?かつての親友の退廃的な人生は見るのも聞くのも嫌だったけど、何故か?放っておけなかった。高校時代に三人で吸ったマリファナの酩酊感とその後のセックスの恐怖すら感じる強烈な快感を思い出す度(たび)に僕は……そうだな、果実に例えるとするならば熟(う)れて裂けた柘榴(ざくろ)のような淡泊でほのかな甘みと独特の風味に似た、淡くて切ない不思議な感覚に陥っていた。

 東京なんて、行ったところで何が変わるのだろう?一人この町に残る選択をした僕は、いつもそう思う。確かにここは、つまらない環境かも知れない。あの二人には、この町は何の魅力も無かったのだろう。僕は、タバコに火を点けて煙を吐き出して静かに目を閉じた。
「いつか。いつか自分もこの町を出ていくんだろうな……」
 タバコを吸いながら、僕は小さな声でそう呟いていた。
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