第6話 祝福
文字数 2,416文字
「「えっ」」
思わず同時に声をあげる。三次と鳩子は互いに顔を見合わせて困惑する。
「三次さん、あなたが善行貯金満額の褒賞を手にしたときにすべてを明かすようにと、あなたから仰せつかっておりました。わたしからお話ししましょう」
天使の話はこうだった。
神は憂えていた。人間たちの愚かなふるまいがあまりに目につくようになっていたからだ。
同胞と争い、奪い合い、殺し合う。ひとをいたわり、愛し、互いに助け合う、そんなやさしい世界はほんのひと握りしか存在しなかった。だが、ひと握りでも存在はするのだ。そのやさしさが種を蒔 くように隅々 まで広がっていけばよい。
善行貯金のシステムはほんとうに苦肉の策であった。最初はたとえゲーム感覚でもよい。ひとのためになにかできるよろこびを知れば、それは少しずつでも実を結ぶはず。そんなわずかな期待を込めて、このシステムは始まったのだ。
そして神自身も地上に降り立ち、人間として生涯を送ってみることにした。人間たちに混ざり、人間として生きてゆく。
これが三次であった。
けっして神の戯 れなどではない。神が自身の目で人間を見極めるために行われた、いわば最後の審判である。三次としてこの地に生まれ落ちるまえに、神はある仕掛けを施した。時が来たら、善行貯金満額の証として後光が差し、もしだれかがその後光について指摘をしたら、褒賞を与えるために天使を遣わすように、と。
「ということなのです」
三次と鳩子はただポカンとして天使を見つめた。
わたしが神だと? そんなばかな。
三次は至ってふつうの人間である。その生い立ちは多少複雑なものかもしれないが、とくべつなところなどなにひとつない、平凡な人間である。ちらりと鳩子を見ると、穴があくほど三次を凝視している。
「あの、なにかの間違いでは」
「正真正銘、事実です」
天使はあっさりと三次の懸念 を一蹴 する。
「ですが、もしそうなら、なぜ、わたしはその、神であったことをいまだに思い出さないのでしょう?」
「それはわたしもいささか不思議に思います。ただ、あくまで推測ではありますが、あなたがそれを思い出さないということは、いまはまだ人間として生きていくおつもりなのではないかと」
そういって、天使は鳩子にやわらかな眼差しを向ける。
「三次さんとしての人生に、まだやり残したことがあるのでしょう」
なにやら見透かされているようで複雑である。だがそもそも、いまわの際 に三次が望んだものが鳩子のしあわせであったのだから、いまさらということか。
そう考えて、三次はさきほどの天使の説明を反芻 する。
なにか、重大なことを聞き逃した気がする。
その褒賞として望んだものが、最後の審判である。
まるで三次の胸のうちを読んだように、天使は告げる。
「神の審判は下されました。あなたは滅ぼすことではなく、生かすことを選ばれた。このたったひとりの少女が人間の命を救ったのです」
あのとき。この天使から最後に望みを聞かれたとき。あの男を消すこともできると、たしかにそういわれた。正直、少しばかり心が動いたのは事実だ。あの男がいなければ鳩子は穏やかに暮らせるのではないかと。
では、もし、あのときそれを選んでいたら。
人類の歴史はいまここで終わっていたかもしれないというのか。
そう考えて、三次はぞっとした。
「そういえば、彼は、その、まさか」
あの男は倒れたまま動かない。
「死んではいませんが、神の怒りに触れて雷に打たれたので、しばらくは目を覚まさないでしょう。次に起きたときには改心しているはずです」
ほっとした。鳩子への暴力を思えば許せるはずもないが、わけもわからず命を奪ってしまうのではさすがに後生 が悪い。
急に、どっと疲れが出て、三次は額を押さえた。いろいろなことがありすぎて頭がついていかない。ため息をつくと、鳩子が心配そうに覗き込んでくる。
「三次さん、大丈夫ですか」
「ああ、いや、大丈夫です」
思いがけず近いところに鳩子の顔があって焦る。三次は瞬きを繰り返した。
「あの、鳩子さん、なにか光っていませんか」
そうだ。生き返ったとき、最初に鳩子の姿を目にして思ったのだ。キラキラ光っていて、後光が差しているのは鳩子のほうではないかと。だが、こうして見ると、後光とは少し違うような気がする。鳩子の全身を取り囲むように、その輪郭 がキラキラと光をまとっている。
「えっ、あたしですか?」
鳩子がびっくりしたように目を見開く。
「はい。後光とはまた違うようですが、こう、全体がキラキラと光っていて」
ふたりで首をかしげていると、天使が笑いながら説明してくれる。
「それは、神の祝福を受けたからです。鳩子さん、あなたはこの三次さんからそのお名前を誉められ、しあわせになるようにと望まれました。そのうえ、あなたは神を生き返らせた。未来永劫 、いかなる災いもあなたに降りかかることはないでしょう。神を生き返らせ、人類を救ったあなたの功績は計り知れません」
「そんな、あたしはなにも」
「そうでした、鳩子さんのおかげでわたしはこうして生きていられるんですね」
「それは違います! 逆です! あたしのせいで三次さんがあんな目に」
「鳩子さんのせいではありません」
「でも」
泣きやんでいたはずの鳩子の目からふたたびポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「三次さんが死んじゃったらどうしようって」
「すみません」
「謝るのはあたしのほうです」
これでは堂々巡 りである。
「鳩子さん、泣かないでください。わたしはあなたを泣かせたいわけじゃない。できれば笑っていてほしい」
三次がそういうと、鳩子は鼻をすすりながら、くしゃりと顔を歪める。
「もう、なんでそんな台詞をさらっといえちゃうんですか」
そんなたいそうなことをいったつもりはないが。
思わず同時に声をあげる。三次と鳩子は互いに顔を見合わせて困惑する。
「三次さん、あなたが善行貯金満額の褒賞を手にしたときにすべてを明かすようにと、あなたから仰せつかっておりました。わたしからお話ししましょう」
天使の話はこうだった。
神は憂えていた。人間たちの愚かなふるまいがあまりに目につくようになっていたからだ。
同胞と争い、奪い合い、殺し合う。ひとをいたわり、愛し、互いに助け合う、そんなやさしい世界はほんのひと握りしか存在しなかった。だが、ひと握りでも存在はするのだ。そのやさしさが種を
善行貯金のシステムはほんとうに苦肉の策であった。最初はたとえゲーム感覚でもよい。ひとのためになにかできるよろこびを知れば、それは少しずつでも実を結ぶはず。そんなわずかな期待を込めて、このシステムは始まったのだ。
そして神自身も地上に降り立ち、人間として生涯を送ってみることにした。人間たちに混ざり、人間として生きてゆく。
自身が神であるという記憶は封印し、来るべきときまで、ひとりの人間として生きる
。これが三次であった。
けっして神の
その褒賞として望んだものが、最後の審判である
。「ということなのです」
三次と鳩子はただポカンとして天使を見つめた。
わたしが神だと? そんなばかな。
三次は至ってふつうの人間である。その生い立ちは多少複雑なものかもしれないが、とくべつなところなどなにひとつない、平凡な人間である。ちらりと鳩子を見ると、穴があくほど三次を凝視している。
「あの、なにかの間違いでは」
「正真正銘、事実です」
天使はあっさりと三次の
「ですが、もしそうなら、なぜ、わたしはその、神であったことをいまだに思い出さないのでしょう?」
「それはわたしもいささか不思議に思います。ただ、あくまで推測ではありますが、あなたがそれを思い出さないということは、いまはまだ人間として生きていくおつもりなのではないかと」
そういって、天使は鳩子にやわらかな眼差しを向ける。
「三次さんとしての人生に、まだやり残したことがあるのでしょう」
なにやら見透かされているようで複雑である。だがそもそも、いまわの
そう考えて、三次はさきほどの天使の説明を
なにか、重大なことを聞き逃した気がする。
その褒賞として望んだものが、最後の審判である。
まるで三次の胸のうちを読んだように、天使は告げる。
「神の審判は下されました。あなたは滅ぼすことではなく、生かすことを選ばれた。このたったひとりの少女が人間の命を救ったのです」
あのとき。この天使から最後に望みを聞かれたとき。あの男を消すこともできると、たしかにそういわれた。正直、少しばかり心が動いたのは事実だ。あの男がいなければ鳩子は穏やかに暮らせるのではないかと。
では、もし、あのときそれを選んでいたら。
人類の歴史はいまここで終わっていたかもしれないというのか。
そう考えて、三次はぞっとした。
「そういえば、彼は、その、まさか」
あの男は倒れたまま動かない。
「死んではいませんが、神の怒りに触れて雷に打たれたので、しばらくは目を覚まさないでしょう。次に起きたときには改心しているはずです」
ほっとした。鳩子への暴力を思えば許せるはずもないが、わけもわからず命を奪ってしまうのではさすがに
急に、どっと疲れが出て、三次は額を押さえた。いろいろなことがありすぎて頭がついていかない。ため息をつくと、鳩子が心配そうに覗き込んでくる。
「三次さん、大丈夫ですか」
「ああ、いや、大丈夫です」
思いがけず近いところに鳩子の顔があって焦る。三次は瞬きを繰り返した。
「あの、鳩子さん、なにか光っていませんか」
そうだ。生き返ったとき、最初に鳩子の姿を目にして思ったのだ。キラキラ光っていて、後光が差しているのは鳩子のほうではないかと。だが、こうして見ると、後光とは少し違うような気がする。鳩子の全身を取り囲むように、その
「えっ、あたしですか?」
鳩子がびっくりしたように目を見開く。
「はい。後光とはまた違うようですが、こう、全体がキラキラと光っていて」
ふたりで首をかしげていると、天使が笑いながら説明してくれる。
「それは、神の祝福を受けたからです。鳩子さん、あなたはこの三次さんからそのお名前を誉められ、しあわせになるようにと望まれました。そのうえ、あなたは神を生き返らせた。
「そんな、あたしはなにも」
「そうでした、鳩子さんのおかげでわたしはこうして生きていられるんですね」
「それは違います! 逆です! あたしのせいで三次さんがあんな目に」
「鳩子さんのせいではありません」
「でも」
泣きやんでいたはずの鳩子の目からふたたびポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「三次さんが死んじゃったらどうしようって」
「すみません」
「謝るのはあたしのほうです」
これでは
「鳩子さん、泣かないでください。わたしはあなたを泣かせたいわけじゃない。できれば笑っていてほしい」
三次がそういうと、鳩子は鼻をすすりながら、くしゃりと顔を歪める。
「もう、なんでそんな台詞をさらっといえちゃうんですか」
そんなたいそうなことをいったつもりはないが。
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