第63話 戦うひとたちと滅ぼすひとたち

文字数 2,130文字

 賢人は怒鳴った。

「これから映画の撮影をします! カメラに皆さんが入ると撮影はやり直しです! できるだけ遠くに離れてください!」

 賢人の大声にも怯まない老女子がいた。

「あら。私だって映りたいわ」
「損害賠償請求します!」

 カネが絡んだ途端に老女子は小走りで土手の上まで駆け上がった。
 なんとなく老人たちは堤防の土手の上から河川敷の水面に近いところに布陣する賢人たちを見世物のように見ている。たった三人とキャストは貧弱だが栄養失調ギリギリで生活して来た翡翠の痩身と腰までスリットが入り、骨盤を動かす度に下着と幼いながらもアスリートのようにくびれたウエストと腹筋が露わになる姿と。そして左目の眼帯と右手首の包帯とが翡翠を映画のヒロインに見せかけるのには十分な要素だと賢人も眞守も思っていたが、事態はシミュレーションのはるか彼方を突き進むようなスピードで動いた。

「出た!」

 翡翠はそう叫んだが、賢人にとってそれは出現などではなく最初からそこにあったとしか思えないような唐突さと自然さだった。

 そしてノーベル賞級とされる望遠鏡群が捉えたというニュースで見ていた暗黒の星雲のようなその画像とは全く異なる形態だった。

 縦長の楕円形の平面。長さは約4m。
 そして漆塗りの漆器のような黒く渋い光沢を放つ薄っぺらな板だった。

 それが高さ30cmほど中空に浮き上がっている。そしてそれは上下左右にブレながら神の絵と地獄・極楽の掛け軸の脇に立つ三人に徐々に近づいてくる。

「眞守! 全然違うぞ!」
「研究室ではこれまでの痕跡を基にシミュってただけで実測はしてないんです! ただ長径は過去データの100倍ある!」

 つまり4mというのはたった4cmが有史以来最大だったそれの100倍ということだ。威力というか滅殺のパワーがどの程度のものなのかは比較対象が神田で見たゴマ粒のそれなので参考にもならなかった。

「賢人! 追い込もう!」

 追い込む?
 翡翠の提案の意味は分る。想定は小さな雲のようなもわもわした形だったので可動式の反射鏡スタンドとやはり可動式の絵のスタンドを眞守の計算で連携させて太陽の光を反射鏡でかき集めて絵に照射し、その顔料の反射で放射性物質をブラックホールに投影して成層圏の外へ一気に飛ばし去るというものだった。

 だが、ホンモノのブラックホールは機敏だった。まるで俊敏な猛獣のような瞬発力のある動きを見せた。

「鬼だね。ははっ」

 翡翠がアオザイのスリットを翻しながら反射鏡ポイントにダッシュしてフリスビーの要領で賢人と眞守に銀盆を投げて寄越した。

「鏡を盾にしろ!」

 受け取りざま反射鏡を鏡と略語で言った賢人は二つのことを悟った。まず一つは神社の御神体として奉じられる丸い鏡とこの反射鏡が見た目が酷似しており我ながら魔に対抗するためには絶好の武器であったこと。
 そしてもう一つは翡翠が鬼と呼ばわったように、ブラックホールの長径4mは賢人も翡翠も生の地獄として体験したあの青鬼の身長と一致すること。
 悪鬼神はおそらく地獄の青鬼。
 けれども閻魔大王の統括から姑息にも逃げおおせて地獄の更に深い辺境で鋸の歯を目立てする孤立無援の、だがだからこそあらゆる暴力のリミッターが外れた生体そのものが兵器である悪魔。
 釈迦と神とを血祭りに上げることを宿願とする悪鬼。
 神とは名付けられるものの、おそらくは閻魔大王が秩序をもって亡者どもを責め、なんとか反省と済度へと導き、娑婆で償いさせた後に極楽へと昇華させることを目的とした設備ではなく、悪鬼神はたとえばゲジゲジやムカデの絨毯の上に腹ばいで亡者を寝かせたり自ら目立てした鋸の切れ味を試すためだけの断罪をしたり単に暴力と虐げだけを心からの喜びとする無秩序な拷問施設に作り変えようという悲願も持っているのだろう。

 賢人が察したこの事実は翡翠の脳波から送られて来ているようだった。ここへ来て理論上眞守が科学的に証明しようとしていた『以心伝心』が賢人と翡翠の間でやり取りされる。それは言葉ではなく、第六感として。

「眞守! 伏せろおっ!」

 翡翠の怒鳴りに小学生の機敏さで、ずだっ、と河原の砂利の上に滑り込むように眞守は膝をいく箇所も擦りむきながら腹這った。

 中州が、消えた。

 一級河川の本流と支流の分かれ目のようにしてあった、ちょっとした海洋上の島ぐらいの大きさがあった中州が最初から無かったように消え失せており、代わりにつっかえが無くなった水がざばざばと量もスピードも増していた。
 賢人はブラックホールの平面が中州があった筈の方面へ向いたままになっていることを視認し、瞬時に鏡で雲ひとつない万度の日の光を捉え、真っ直ぐレーザーのように照射した。

 自分がフォロワーとなっている写真家が撮影した天照大神が額からいく筋もの光線を解き放つ兵器のような映像を心に強くイメージした。

 だが、三つ目のことを悟ってしまった。

 ブラックホールは賢人の放った真っ直ぐな日の光を、ぐにゃりと捻じ曲げて吸い潰した。

 残念ながら超重力は光をも曲げて吸い込むという過去からの科学者たちの自説を証明することとなった。

 そしてあとひとつ、賢人は悟った。

「まるでテロリストみたいに姑息な奴だ」
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