【昔話】 ✿ 西方ヒストリア9

エピソード文字数 1,215文字

お殿様がお忍びで塾へやってきた時、里の者は皆帰ったあとだった。


涼しい川辺の縁側で穏やかな時間を過ごす、忠平(ただひら)、黒木、お殿様

今日はのぅ、そなたに頼みがあって参ったのじゃ。


東の(やま)(づる)(むら)でも教鞭をとってはくれまいか?

はい、光栄に存じます。

お殿様は、西の(せみ)(かご)(むら)、東の(やま)(づる)(むら)、両村を治めている。



おぬしはすごいのぉ、忠平(ただひら)


屋敷の女中が噂しておったぞ。


おぬしは優しくて、強いとな。しかし浮いた話がないのぅ?

なにぶん(うと)くて・・・
忠平は後ろ頭をなでた。

私の術や知恵が里に根付き、里の皆さまのお役に立つならば、これほど嬉しいことはございませぬ。


今はただ、それを望んでおります。


おそらく・・・生涯、嫁は取らんでしょう

なぜじゃ?
私は、清正公を殺めた疑いのかけられた忍びです
忠平はそう言うと、目を伏せた。

私のが残っては、子孫が苦労します。


万が一、子孫が私と瓜二つで「私」を知る人間と遭うたら、どうなるでしょう。


お殿様に迷惑がかかりまする

すると忠平は、縁側から下り、地面に正座して深く頭を下げた。
殿にお詫びしとうことがございます
詫び? なにをじゃ?
私の本当の名は、忠平(ただひら)ではなく、新兵衛(しんべえ)と申します
少しだけ浮かせた頭を、ふたたび地面にすりつけた。
……。なぜ、本当の名を隠したのか訊いてもよいか?

主殺しの忍び、新兵衛(しんべえ)」の名が肥後に知れたらと恐れておりました。


お殿様、そして里の皆様にご迷惑がかかりまする…

忠平…いや、新兵衛(しんべえ)


念の為、責めるわけではない。


本当の名を知ったことで、殿がおぬしを肥後へ突き出すと思うたのか。

黒木様には、申し開きができませぬ…。


肥後での一件のあと、人というものがおそろしくなったのです。


「すべてを隠そうか」という考えも頭をよぎりました。

忠平は、伏せた顔をあげることはできなかった。


殿がどんな顔をしているか、黒木が何と言うか、それもまたおそろしくてたまらない。

されど虎狼(ころう)(やから)とも知れぬ私を、お殿様は救ってくださった。


殿の慈悲深さの前では、隠すことの方が良心をとがめられたのです。


「肥後での経緯」を申し上げた、それがしの無実を、お殿様は信じてくださった…。

無論じゃ。ひと目で、おぬしが誠実であると分かった。


肥後での一件について、知るのはわしと、黒木だけじゃ。

はい。殿の命にしたがい、誰にも申しておりませぬ。

心遣い、痛み入ります…。まことにかたじけない。
顔を伏せる忠平の目の端に、涙の玉が浮かぶ。

私は生涯を通して、殿に忠義を誓う所存です。


「それがしにかけられた濡れ衣」は隠せても、「新兵衛」の名が肥後に知られては、恩を仇で返すことになりかねない。


新しい名「忠平」が里に広まるまで、この胸に秘していたのでございます。

左様であったか、よう話してくれた
お殿様は深くうなずいた。
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登場人物紹介

日高萌栄 (ひだか・もえ


中学2年生、13才の少女。

カピバラをこよなく愛する。

重黒木 鋼じゅうくろぎ・はがね


中学2年生、13才の少年。機械いじりが得意。

椎葉 発(しいば はつ)


中学2年生、13才。

萌栄の友達。花火師の孫。

黒木 殿下(くろき でんか)


萌栄のライバル

那須 雨音(なす あまね)


殿下の友達。

黒木 媛(くろき ひめ)


殿下の妹

日高 結芽(ひだか ゆめ)


萌栄のお母さん

日高 地平(ひだか ちへい)


萌栄のお父さん

日高 雲水(ひだか うんすい)


萌栄の祖父

重黒木 功(じゅうくろぎ こう)


鋼のお父さん

重黒木 理玖 (じゅうくろぎ りく)


鋼のお母さん

椎葉 康次(しいば やすじ)


発の祖父。花火師

黒木 智子(くろき ともこ)


殿下、媛のお母さん。

黒木 未夏 (くろき みか)


クラスメイト

中武 陽(なかたけ はる)


クラスメイト

那須 貴也(なす たかや)


クラスメイト

那須 由子(なす ゆうこ)


クラスメイト

お殿様。


西方の里を治める、お殿様。

南朝の忠臣、その子孫。

忠平(ただひら)


お殿様が助けた忍者。

加藤清正に仕えていたが、毒殺の濡れ衣をかけられ、逃げてきた。

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