風花 其の一

文字数 21,294文字

                               NOZARASI 1-1
  風花
   其の一

 窯場のある小さな谷の下り道に沿って視界の開ける辺りから町の甍が重なり合うように続き、その向こうに広がる海の碧さを背景に、白い壁の御城が遠く小さく望まれ、夜来の雨と風に洗われた清々しく澄み切った初冬の大気のその先に、遥か遠く玄界灘が空の蒼に溶け込んでゆく。
 小春日和の昼下がり、お久実は穏やかな日溜まりの温かさに包まれながら、時折作業の手を休め、顔を上げてはその好きな風景をぼんやりと眺めていた。
 この穏やかな季節が終わると、玄界灘からは身を切るような冷たい季節風が吹き付けてくる日が多くなってくるのだと、少しばかりの憂鬱を覚えた。
 唐津の町からその向こうの玄界灘まで見通せる小さな岡にあるこの窯場一帯は、雑木林に囲まれ四季の移ろいをそのままに映し、春、夏、秋、冬、それぞれの季節の素晴らしさを存分に楽しませてくれる。
 庭先の梅の香りを運ぶ、まだ冷たい早春の風。桜の花びらと舞い遊ぶが如き春の風。身体に纏わり付くような湿り気を帯びた重たい皐月の風も、薄の穂を揺らす涼やかな秋の風も、身を切るような玄界灘からの冷たい季節風も、欲張りだが、その全てが大好きだと、ここからのその季節折々の風景を、肌に、心に感じる度に、お久実はいつもそう思うのであった。が、本格的冬の訪れを告げる冷たい季節風の吹き始めるこれからの一時期だけは、急に訪い来た寒さにまだ体が馴染めぬためか、何とは無しの憂鬱を覚えるのであった。
 お久実の父清兵衛は、そんなには広くない仕事場で、これから作る贋作の壺の粘土をいつもより念入りに練っている。
 三和土に根を生やしたかのような太い柱で拵えた仕事台に向かい背を丸め、人の頭よりは少し大きめの粘土の塊を練り込んでゆく。
 ふっ、ふっ、ふっと息を継ぎながら、その痩身の身体の重みを、腕から手首、そして掌から押し込むように粘土の塊へと伝えてゆく。やがて清兵衛の両の手に揺られながら、菊の花のような文様を刻んで、粘土は練り上がってきた。
 小春も近いというのに、額に滲みだした汗は、やがて玉のようになったかと思うと、蟀谷から頬へ幾筋もの流れとなって伝い落ちてゆく。時折清兵衛の節くれだった職人の手指が、それを無造作に拭った。
 あれ以来、ふと仕事の手を休めると、悔いと焦燥のような蟠りが、清兵衛の心の奥に小さな痛みとなって蘇り、離れてゆかない。
 それは、常に硬い何かを脇腹に押し付けられているかのような軽い鈍痛を伴い清兵衛を苛んだ。そして、そのことによって生まれた自身の暗い翳りのようなものが、いつの間にか自分の作る物に少なからず同じ翳りを漂わせ始め、この頃では、それは益々顕著さを増してきたようにも思われるのであった。が清兵衛は、そうした自分の作る物に醸し出されてくる翳りを、敢えて受け入れ、除こうとはしなかった。
 抱き続ける、決して消え逝かぬ罪の意識のようなものを作る物に込め続けることによって、己の心が、それに足掻き苦しんだあの頃とは違って、次第に諦めにも似た気持ちで受け入れようと変化させてきたのであろうか、その翳りのもたらすものが、少し穏やかな雰囲気を醸し出してくれてきていると、そんな風にも思えるのであった。
 それは決して自分を赦そうとするものではなく、己の心底により深く、逃れられぬ定めのようなものとして存在し、清兵衛の生来持つ頑なさに拍車を掛け、老いとともに汒となりゆかんとする罪の意識を、敢えてより重いものへと進化させ、確としたものにしようとしている自分が存在することも覆い隠せはしなかった。
 大らかであっけらかんとした気性を持った女房の久代が、二年ほど前の流行病で突然亡くなってから、元々頑なであった清兵衛の心は、些細なことにもすぐに苛立ちを見せ、堰を切ったかのように癇癪として表に現れて来るようになった。がそれは、無暗に他人に八つ当たりするといったようなことはなく、思いの伝わらぬ粘土へ、器へ、鬱鬱とした情念のようなものとして向けられることの方が多かった。
 自分の頑なな姿に嫌悪するときもあるにはあった。が清兵衛は、そんな自分が取り分け嫌いという訳でもなかった。何故なら、職人としての自分をここまで支えてきたのは、その生来の頑なさなのだと、これもまた頑なに信じて疑わなかったからである。
 二十数年前のあのことが、今も清兵衛の胸に痛みを残し、暗く深い翳りとなっている、それの全ては自分の歪んだ心が生じさせたものなのだということは、清兵衛には解り過ぎるほど解っていた。
 息子の清吉は、二十数年前のあの夜、人知れず、何も告げずにこの家を出た。今頃、何処でどうしているのだろうか、あれっきり生き死にも分からなかった。
  陰日向の無かった久代も、あの日を境に、独りになると、清吉の面影を求めているのであろう、ぼんやりと外の景色を眺めているようなことが多くなっていった。その欝々とした気重の積み重ねが、流行病に勝つ気力を失わせてしまったのだ。その責の端緒もまた自分にある。清兵衛はそれらを思い詰め、一層自分を頑なさの中に閉じ込めていったのであった。
 その反動のように、器に対する拘りは益々深くなってゆき、己の思いの伝わった器が出来ないと、器はすぐに潰されたり割られたりしてしまうのであった。殊に、大好きな壺となると、その癇癪は顕著に表れた。
 清兵衛は、ふと浮かんできそうになった清吉と久代の面影を心の片隅に追いやると、入れ代わるように浮かんできた、先日出遭うことのできたあの壺の感動を追うのであった。

 久方ぶりに清兵衛は胸の高鳴るのを抑えきれずにいた。
 年に二度、作り貯めた物をそんなには大きくない登り窯で焼くのであったが、今年は少し遅らせて、今挑戦しているこの壺の成型が終わってから一緒に窯詰めし窯を焚こうと思っていた。
 清兵衛は、その昂ぶる思いを鎮めるかのように、手に馴染むように熟れてきた粘土を、長年の力仕事でごつごつと節くれだった手指からはとても信じられない柔らかな優しさで、まぁるく、まぁるく、己の気を込めるかのように纏めこんでゆく。
 口を窄め、ふぅーっと大きく息を継ぐと、練り終わり丸められた粘土の上に、乾くのを防ぐための濡れ布巾を数枚重ねて包み込み、また次の粘土を練りにかかる。
 壺三つ分を練り終え、今日の分はこれでいいと轆轤に向かおうとしたとき、仕事場の表に野太い男の声がして、娘のお久実が応対している声が聞こえた。
「おとうやんは、今忙しくて手が離せなかばってん、日ば改めて、またお出で願えませんやろか」
 お久実は、顔や性格、小太りの体系、やることまでもが、死んだ久代とよく似ていた。ひとたび仕事に取り懸かると、清兵衛はもう誰にも会いたくないということをよく呑み込んでいて、例え誰であろうとも仕事場には入れなかった。
 取り分け轆轤に向かう時は神経が研ぎ澄まされているのであろう、邪魔が入ろうものなら、折角作り上げた器を、訪れた人が見ているのも構わずぐしゃりと押し潰し、仕事を放り出してしまうのであったから、今日も邪魔の入らぬよう気を配り、仕事場の入り口代わりに設えられた低い生け垣の前に、久代そのまま、番人のように莚を広げて座り込み、虫の入った去年の小豆を一粒一粒念入りに摘み出すといった、やらずもがなの片手間仕事をやっているのであった。

 思い立ってからもう十日余りも同じようなことを繰り返していた。が、今日も納得のいく壺は作れなかった。
 他人の手を真似、秀逸なそれに適う贋作を作るということは殊の外難しい、もう五十年近く慣れた自分の手だ、己の持たざるものを奥深く秘めたあの壺を真似ることなんぞ、至難の業に近いと解ってはいた。
 いや、壺の形をただ似せるだけであれば、修練された清兵衛の腕に懸かれば、そんなことはいとも簡単なことなのではある。が、その持ち味ともいえる曲線、そして壺から醸し出されてくる気を真似ることは、そう容易くはゆかない。それに、いくら職人が頑張ったとしても、焼き物は人の手だけでは完成という訳にはいかないのである。
 つまり、窯焚きという最後の工程で、神の力ともいえる炎の力を借りねばならぬ、その時の炎次第で期待していた以上の器に焼き上がることもあれば、すぐさま叩き割ってしまいたいほど駄目なものになることもあるのだ。
 それは、焼き物というものの持つ宿命でもあった。
 それらを勘案して、先ずは生の器を幾つか作らねばならなかった。
 作っても、作っても、気に入らぬものは元の粘土の塊となってゆく。
 清兵衛の節くれだった手でぐにゃりと潰され、甕板の上にまだ壺の形の消え逝かぬまま、その寸前まで人の手で命を吹き込まれようとし足掻き苦しんだそれは、今正に死に逝く生き物の情念の喘ぎが聞こえてきそうな艶めかしさを秘め放置され、やがて乾き逝けば、ただの粘土の塊へと還ってゆく、その繰り返しであった。
 六十を過ぎた今になって、一体自分は何をしているのだ、いまさら人の真似でもないではないかと己を嗤ってみる。が、清兵衛には解っていた。自分を惹きつけて止まぬ器に出遭うことができたなら、その姿が、感動が、自分の頭から消えないうちに、納得のいくまで真似てみることが、次に作る自分の器に、見えない力でもって強く反映されてくることを。
 それが自分を一歩前へ進ませてくれることもあれば、いつかのように、半年近くも器を作れなくなり、焼き物を止めてしまおうかと思い込まされるほど追い詰められてしまったこともあったりした。
 ふぅーっと溜息のように大きな息を吐き、肩の力を抜いてゆく。張り詰めた内奥の気がその息とともに身体の外へ放散され、身も心も、何か自由になったような解放感に包まれてゆく。
 そんな時は、必ず充実した仕事をした後なのである。が、今日も気に入った壺にはならなかった。
 問屋も待っている、師走の上旬までには窯出しを終えなければならない。が、この壺は、例え窯焚きに間に合わなくとも、寸分の妥協も絶対にしたくはなかった。
 それほどに、あの壺には清兵衛を惹きつけて止まぬものがあったのである。

「さっきん男はどげん用で来たとか」
 ほんわりとした安堵のような充実感に包まれ、粘土に塗れた手を洗い、手拭を使いながら、清兵衛がお久実に訊いた。
 清兵衛をよく知る者は、気を使い、仕事をしているだろう時分には、決してこの窯場に近寄りはしない、恐らく、初めて訪れた者であろうことは察しがいった。
「見て貰いたか物がある言うて、こん位ん風呂敷包みば大事そうに抱えとった」と、お久実がやや大きく手を広げて応えた。
「また壺ばいね」
「そげんごたったばい」
 近頃、数寄者や武家だけに留まらず、力を付けてきた町人達が日常的に陶器を使用、鑑賞するようになり始め、その需要に応じ、雇われの職人の身に甘んじることなく、大きな窯元から独立し、日常の用をなす湯飲み茶碗や飯茶碗、皿や鉢の類、甕といった器の類を始め、茶道具やそれに類する壺や大皿から花生け等、鑑賞に主眼を置いた焼き物を作る者達も多く表れ始め、あちこちに大小の窯が築かれて来ていた。勿論、それが良い物であれば、高い値で売買されるということが背景にあるのではあろう。
  清兵衛は、自分の作った焼き物が、この窯場を離れ、殊更高い値の着くことを嫌ったのではあるが、清兵衛一人の力でどうにかなるというものでもなかった。が故に、茶碗や水指といった明らかな茶道具という物には深く手を染めることをしたくなかった。
 善しに付け悪しきにつけ、壺屋清兵衛なんぞと巷で呼ばれるほど、油壷から徳利、鶴首、葉茶壷と、兎に角清兵衛は壺を作るのが大好きなのであった。
 そんな窯を構えている所為か、壺の類を主に、何処かで手に入れたりした焼き物を見てくれと持ち込んでくる者は大勢いた。大方は焼き物のことなんぞあまり解らぬ者達が、何処で手に入れたのか、訳の判らぬ我楽多を持ち込んでくることの方が多かったのではあるが、土地柄の所為か、時折は、これはと思わされるほど良い物もあったりした。
 この唐津近辺は、少し足を延ばせば、有田を始め数多くの窯場が点在する。そんな街の道具屋や、どこぞの古い蔵の奥から見つけ出してきたような傷物、埃だらけ、煤だらけの物が多かった。
 いつの間にか馴染になった者が、またそんな客を連れて来るうちに、今では結構頻繁に訪れる者達もかなりの人数になっていた。
 そんな客たちは、これも一つの楽しみなのであろう、手土産に持参した肴や酒を清兵衛と酌み交わしながら、それを持ち出すのであった。何を思ってか、時々は焼き物でもない物も持ち込まれ、苦笑いしながらも清兵衛は一応見せてもらうと、自分の想うところを話してやってはいた。
 何もこんな山の中まできつい坂を上り詰め、そんなものを持って来なくとも、城下の道具屋か何かに持っていけばいいものをと思いつつも、「埃ぐらい払うてから持ってくるもんばい、親しか仲にも礼儀ありって言うでしょうが」などと悪態をつきながら、それでも楽しそうに、ああだこうだと杯を傾けながら楽しそうに話し込んでいるのであった。
 傍目には人嫌いに見えるだろう清兵衛であったが、そんな客には選り好みをせず会ってやっていたし、焼き物の好きな者と話していると、何処かほっとさせられるのであろうか、普段はあまり見せないお人好しの笑顔を丸出しにしていた。
 特に、よくは解らぬくせに、無邪気なほど焼き物に惚れ込んで仕舞っている者には、自ずと態度も違って上機嫌で接し、どうでもいいような徳利一つを前にし、暗くなるまで付き合ってやっていたりした。そして必ず、「好きな器に出遭うたら、とことん使ってやればよかと、そいで飽きが来なければ、そん器は間違いのう好か物ばい」と、温かな微笑みを浮かべ、口癖のように言うのであった。
 いつの間にか心打ち解けた者達は、まるで旧知の先輩のように清兵衛を慕って通ってくるのであった。
 その反対に、焼き物を見れば銭金に見えるというようなあざとい輩には、悍ましささえ覚えるらしく、機嫌の悪くなった表情を露わにし、手土産さえも突き返し、早々に追い返してしまうのであった。
 清兵衛は自分でも言うように、格別目が効くというのではなかったが、器を作る者として、他人の作った器には、殊更敏感に反応するのであった。それは、器を作る者にとって、出来不出来に関わらず多くの器を見ることが、自分の目を肥やしてくれると信じて疑わなかったからである。また、職人である自分は、己の作る物への厳しい目を備え、ひたすらに器が好きであればそれでいいのだとも思っていたし、目利きや数寄者といわれるような連中に迎合するものは、意地でも作りたくはないと、頑なに思い込んでいるのであった。
「そうか、こないだんごと好かもんが見られるとよかばってんなぁ」
「そうだとよかね、おとうやん」
「あいば見せられたときは驚いたがなぁ、こん頃作られた物で、あげな好か壺にはもう死ぬまでお目には懸かれんかも知れんのう、どげな奴が作ったんかのう」
 定まらぬ視点で宙を見ながらそう呟いた横顔に、お久実は、兄清吉の面影を追っている清兵衛の切ない心の内を垣間見たような気がした。

 あれは、まだ少し遠い秋の終わりを先取りするかのような冷たい小雨が、咲き始めた庭先の白い山茶花の花を静かに濡らす肌寒い午後であった。
 駕籠も使わず、小者を一人従え、城下からの坂道を登ってきた六十絡みの大身と思しき侍が、庭先の低い生け垣の前で白い息を吐きながら、足を踏み入れようとし、逡巡していた。
 二人の胸には、風呂敷に包まれたその上に、更に油紙で覆った大きな桐箱らしき物が、大事そうに、それぞれに抱かれていた。余程大切に思う物なのであろうか、着物の上から被った蓑の肩から背中は番傘からはみ出し濡れてはいても、城下から一里を超す山間のこの窯場まで雨の中を歩いてきたとは思えないほど、その包みだけは、そんなに濡れてはいなかった。
 その日は、大方の仕事を早めに終え、少しのんびりとしていた清兵衛が、厠から戻る途中に、入口までにはまだ少しある、この雨で恐らく中までは声は届かぬであろう、が、不躾に案内も請わずこの生け垣を超えていいものだろうかと迷っているらしい二人を見かけ、「どうぞお入りくんしゃい」と少し大きな声で気を利かした。
 侍は、いきなりの清兵衛の声に驚きながらも、安心したように、「お邪魔致しますばい」と生け垣を抜け、番傘を片手で畳み雨水を切り軒下の土壁に立てかけ、これも片手で蓑を脱ぎ、柱に設えられた鉤に吊るすと、同じように従った小者を促し、少し建付けの悪くなりガタガタと軋む腰高障子を、小首を傾げながら困惑したような顔で開け、小さく低頭しながら上り框に続く三和土に入ってきた。
 物静かな雰囲気を漂わせた、今はもう隠居した大身の武家というところか、人柄は好さそうに見えた。
 その侍は、「清兵衛殿とお見受け致すばってんが、某は、城下、城内に住まい致す桐原幸右衛門と申す者でござる、どうかお見知りおきを」と、座敷へ上がりもせず、立ったままで深く低頭しながら挨拶するのであった。
「清兵衛でございます、ご丁寧に畏れ入ります」
 清兵衛もまた立ったまま丁重に応じるのであった。
「不躾ではござるが、ちと、こん二つん壺ば見て下さらんかの」
 よほど気が急くのであろうか、座敷に上がりもせず、遠慮がちにそう言った桐原は、小者に小さく首を振って自分の持ってきた包みと二つ、清兵衛の前の縁に並べさせた。
「ようございますが、おいん目は、目利きんそいや、数寄者んそいとは違います。一介ん職人としてん目、お役に立てますかどうか。ここでは勝手が悪かばってん、汚かところで恐縮ですが、こん冷たい雨ん中、身体もお冷えになられたでしょ、まぁ兎に角、奥へお上がりください」と清兵衛が応え、今朝の急な冷え込みに、お久実が今年初めての炭を入れた火鉢の置いてある奥の座敷へ招じ入れた。

 前にも少し述べたが、清兵衛は、世間で数寄者や目利きなんぞと呼ばれる者達と話すことが、悪寒を覚える程に嫌いなのであった。
 他人の心を斟酌もせず、したり顔、物知り顔で清兵衛の作った器をあれこれと評する。中にはそれなりの人品骨柄を備え、清兵衛が感じたものを見事に捉え、思わず唸らせてくれる者もいるにはいた。が、その大方が枝葉末節、聴いているのも阿保らしくなるような下らぬ飾り言葉の塗り重ねであった。
 自分の作った焼き物は、壺ひとつ、器ひとつ、感じたままに使って貰えればそれでいい、例え用途違い、大皿なんぞ、似合うと思えば厠の手水鉢にだっていいし、庭の椿が似合いそうだと思えば、水の張られたその中に、ポトリと散り落ちたその花を拾い上げ放り込んでもらえればそれでいいのである。御手塩に犬殖栗だろうが、ぺんぺん草だろうが、一向に構いはしない。人それぞれの感性の儘に使ってくれれば、それはそれで立派に用をなしているのであろうし、また自分の器はその方が似合うのだと清兵衛は信じて疑わなかった。
 主がそんなであるからして、この窯場には、自然そういう者達の訪れは次第に遠のき、この頃では皆無と言えるほどありはしなかった。

 お久実の差し出したぺしゃんこの座布団に座るや否や、「いや、失礼とは思いますばってんが、そん職人の目で見て貰いたかとじゃ」と、桐原は少し力んだように言った。
 清兵衛は、窯から出したばかりの気に入ったり気に懸かったりした焼き物をこの部屋に並べ、一つ一つ手元に手繰り寄せてはじっくりと眺める。そのゆったりと流れて逝くひと刻がたまらなく好きなのであったから、お久実は、そこに酒と肴を誂えた盆を運び、そっと台所へ下がってゆくのが窯出しの後の習いのようになっていた。
 酒を酌みながら、刻の経つのも忘れ清兵衛はじつくりと器を眺め、真夜中を過ぎても眠りにつかず、そのまま夜明けを迎えるようなことも多々あった。
 まだ碌に磨かれていない高台や器の底を擦りつけられ、すっかり傷んでささくれ立ってきた莚の上に、桐箱から出され並べられようとした二つの焼き物を見るや、「ほぉうっ」と清兵衛の口から思わず吐息が漏れ、大身の武家の訪れに少し緊張していたその顔の相好が崩れた。
 好い物に出遭うことのできたその時の清兵衛のそれであった。
 ひざの上に引き寄せ代わる代わる嬉しそうに眺める清兵衛に、その雰囲気を感じ取ったのか、「如何でござるかの」と、桐原が少し安堵した表情を見せながら身を乗り出してくる。
 一つは八寸くらい、もう一つは尺を少し超えるくらいの焼き締めの大窪であった。二つそれぞれに清兵衛の目を見張らせるものがあったが、大きな壺の方に、殊更強く惹かれるものを清兵衛は感じた。

 清兵衛は、好き焼き物に出遭うと、二通りの反応を見せるのであった。
 一つは、その凄さに鳥肌立つもの。
 自らの遠く及ばぬことを感じさせられるそれらは、清兵衛の作る物とは異なる白磁や青磁といった磁器であったり、遠く遥か時の流れを超えた物であったりすることが多かった。
 もう一つは、思わず手元に引き寄せ撫でたくなるような愛しさ、優しさを感じさせもの。
 それは、自分もその最中に在るのであろう陶器であることが多かった。
 白磁や青磁には、凛とした人を寄せ付けぬ気高さのようなものがある。空間を引き裂くようなその姿に憧れはすれぞ、作ってみたいという気は起きなかった。
 陶器には、温かさや優しさ、それに、何処か不完全な人間臭さのようなものがあり、清兵衛は自分の焼く器に、そんなものが炎の力で与えられ焼き上がって欲しいと、常に祈りながら焼き物作りに挑んでいた。
 窯を開け、そんなものが己の焼き物に宿った時の喜びは何物にも代えがたかった。
 それは、人の力では及ばぬもの、炎の力、神が与えてくれしもの、そんなものに出遭えた時、清兵衛は小さく頭を垂れ神に感謝するのであった。
 
 今目の前に並べられたそれは、正に清兵衛の願う焼き物そのものであった。
「おいは、作られた人ん温かさば感じらるる、こげんごた壺が大好きでございます。おいん見た限りでございますが、こん頃作られた物では一番好か壺でございますよ」と清兵衛が即座に答える。
「そうでござるか、好か壺でござるか」と、清兵衛の言葉を確かめるように聞いた桐原の目が潤んでゆく。
「作られた時はかなりずれると思えますばってんが、こん首から肩、そいて胴に懸かる曲線の優しさば秘めた流れ、こいは一朝一夕には中々真似ん出来るもんではございません。恐らく同じ職人の手による物んと見受けられます」
 その清兵衛の言葉を聞くなり、肩の荷を下ろしたかのように、桐原の身体の何処か奥底に張り詰められていた力が抜けていくような感じが伝わり、清兵衛は何か不可思議なものを感じた。
「こちらん窯印ん無か物が若い頃、丸に一文字ん窯印んこん尺壺は、おいん見立てでは、同じ手ん二十年くらい後ん物じゃなかかと。若い頃ん物は、意気込みというか、外連味ん無か力と勢いに溢れとりますばってん、肩に懸かる曲線が、そん人形ば表して優しく、意気込みば伴う若さ溢れる力感とん違和感というもんが少しも感じられません。上手く溶け合った灰被りん穏やかな緑に助けられ、ただ一つ、首ん辺りん曲線に僅かに感じらるる違和感のごたるもんも、気になるほどんもんではございません。こちらは既に老境を思わせるごた作りばってん、そいが、老いた職人の力みん抜けたそいとは違い、まだ挑むが如き力んある手で作られた物ではなかと思われ、意気込みを持ちながらも穏やか、晩秋ん風ん匂いば感じさせてくるるごた好か気ば漂わせとります。ばってん、枯れ切ったそいとはまた違います。やはり、窯印ん無か壺と同じ優しさんごたるもんば感じさせられますばってんが、若か頃からんそん持ち前ん優しか曲線が、年ば経るとともにさらに円熟味ば増し、人ん心ば惹きつけて止まん好か壺でございますね」
 桐原は黙ったまま清兵衛の話に耳を傾け続ける。
「職人としては相当ん者、恐らく人としてんそれなりんもんば持ち合わせとっとじゃなかかと……。年は四十ば少し過ぎていましょうか。ただそいはそん職人次第で、こいまで達するに多少ん違いはあろうかと思われますばってん、二十年という月日は、おいん感じたままでございますが」
 一気に話した清兵衛が、一息つくかのように言葉を休めると、「やはり同じ者によって作られた壺でござるか」と桐原は顎を引き、二つの壺を愛しい我が子でも見るかのような優しい眼差しで見詰めるのであった。
 それに気づいていたとすれば、桐原もそれ相応の目を持っているということなのであろう、だが清兵衛には、そうっは想えなかった。
「桐原様もそいにお気付きで」と清兵衛は半信半疑、訊ねてみるのであった。
「恐らく、我が子、淳之介ん作った壺ではなかかと……」
 そう言った桐原の顔に、ふっと一抹の寂しさが過ぎった。
「ご子息様ん……」と清兵衛は、思いもよらぬ桐原の言葉とその翳りのような寂しさに、あの己の抱き続ける後悔と寂しさを重ね、言葉を呑み込むのであった。
「生きておるとすれば四十ば少し過ぎておるとじゃが……」
「行き方知れずなんでございますか……」
 清兵衛が、軽い眩暈を覚えたような整理の着かない自分の心をやっとの思いで抑えながら桐原にそう訊ねた。
「ああ、昔のう、上方ん藩邸へ御勤めで行っておってのう、大坂ん町ん何処ぞで心打たれる焼き物に出遭うたらしいんじゃ。そげんごた儂宛ん書状ばたったひとつ寄越し、行き方知れずになりおって。ある日突然、こん小さか壺だけが、旅人に託され送られてきたとじゃ。なんぼ旅人に訊いてん、東海道ん名古屋ん宿である旅人から頼まれたと言うだけでのう、詳しかことは知らんと一点張りじゃった。出処ん判らんごと固く口留めばした上に、更に間にもう一人人ば入れたらしく、人相ば訊いてん違う人んごたったばい。小さか頃から妙に大人びとっての、壺ば見ると、まるで猫か犬ん仔ば可愛がるごとして撫で繰り回しとったばってん、逐電なんぞせんでん、こん唐津に戻れば、御勤めん間にでん焼き物ば習うことも出来たじゃろうに……」
 正に嘆息、親の心を切々と桐原が語る。
 清兵衛の脳裏に清吉の顔が浮かび、胸に鋭い痛みが走り熱いものが込み上げてきた。が、それを堪え、「こん壺が送られてきたとは、御子息様、御幾つんときでございますか」と、清兵衛は己の心の動揺を抑えながら、何気なさを装い桐原に問い返した。
 清兵衛は、この若さを感じさせる壺が、いったい幾つの男の手で作られたのか、それを知りたいという強烈な興味を覚えさせられていた。
「確か、行き方知れずになりおってから一年半ばかしが過ぎた頃じゃったばってん、二十三かのう」と桐原は、思い出そうとするかのように言ったが、それは、自身の記憶を確かめようとするそれであり、決して忘れることは出来ない出来事であったろう。
「ほぉうっ」と清兵衛の口から感嘆の吐息が漏れ、呻くように、「二十三でございますか」とまた……。
 二十三歳と言えば、清兵衛にも壺は作れはした。がそれは、一般的に世間に通用する日常の用をなす、いわば定型の物、自分の納得のいく壺が出来るような年ではなかった。十四歳で下働きから見習の職人になり、十七の時に轆轤の前に座ることを許された。それから二年ほどして皿や鉢、飯碗と、色んな日用品としての器の修行をし、十八の時だった、初めて鶴首と八寸ほどの壺を焼かせてもらえたのは……。
 その時の喜びは今でも鮮明に覚えている、二十三歳、やっと欲が生まれ、好い焼き物を作りたいと励むようになった頃ではなかったか。
 職人の場合、確かに天性というものが大きく関わってくる、上手ではあるが、終生通り一遍の物しか作れぬ者もいれば、一年もせぬうちに、周りが驚く位の物を作る者もいる。
 清兵衛は遅咲きの部類に入る職人であった。じわじわと力を付け、三十の頃であったろうか、自分の好きな物が作れるようになり、また他人を納得させるような物を作ることができるようになったのは。
 同じ焼き物職人であった父の死をきっかけに、城下から遠く離れたこの山間に父の夢でもあった窯を、窯元の人々などに助けられながら築かせてもらったのが三十半ば、もうその頃は、清吉もお久実も大きくなっていた。
 この唐津に住まい、唐津焼や有田、伊万里など多くのすぐれた焼き物を日常的に目にしてきたのであろうが、この世界に飛び込んで僅か一年半ばかりである、その前から勤めの合間に習っていたらしいというが、二十三歳という若さでこの壺を作るとは……。
「美濃か瀬戸、そん辺りん土で焼かれた物ではなかかと思われますばってんが……」
 桐原は行き方知れずにになった息子を探しているのだ、自分の思いを抑え、清兵衛は言葉尻を濁し、そう言った。
「美濃か瀬戸でござるか……」と桐原が鸚鵡返しに応え、「生きとってくれたとばいねぇ」と誰に言うでもなく呟き、安堵の色をその顔に濃く浮かべた。
 清兵衛の胸が、また痛んだ。
「こん大きか壺は、先日、好きな根付ん好か物でんなかかと、ぶらりと立ち寄った城下ん馴染みん道具屋で見つけたとでござるがの、そこん主ん話では、昨日ん昼過ぎに着いた荷ば解き、そん夕刻見世に並べたばかりじゃとか。焼き物なんぞ、普段から大した興味も無かくせに、ふと目にした時から妙に惹かれるもんば覚えましての、急ぎ立ち戻り、妻に叱られながら大枚ば持ち出して手に入れたとでござるよ」と、肩の荷を下ろし安堵したのであろう桐原が、少し照れたような笑みを浮かべてそう言った。
「親子ん強か絆が人手に渡る前に廻り合わせ、また同じ血が惹きつけて止まぬもんば感じさせたとでございましょう」
 清兵衛が重き何かを噛みしめんとするかのようにそう言った。
「毎日こん二つん壺ば代わる代わる手に取って眺めとる内に、こいは淳之介ん作った物に違いなかという思いが段々強うなりましての、焼き物なんぞ露ほども解せん某ん独り善がりん思い入れかも知れんでの、余計な苦労ば重ねさせてはと、妻にはまだこんこと話してはおらんとじゃが……」
「……」
 桐原の妻を思いやる言葉に、清兵衛の胸に、死んだ久代への思いが重なる。
「そげな思いで日々眺めとる内に、どうしてん確信が欲しゅうなりましての、求めた道具屋に訊いたら、そいなら清兵衛殿ん窯へお行きなさればと勧められましての、矢も楯もたまらず、雨ん中こげんしてお邪魔致した次第なんでござるよ。来て良かったばい、甲斐があったばい、清兵衛殿、まことにありがとうござった」 
 桐原がこの壺を求めたのは、単なる目利きのそれとは違うのではと先ほど感じたのは、そういうことであったのかと、清兵衛は得心するのであった。
 送られてきた壺を、二十年近く毎日毎日息子のことを思い心配しながら見ていたのであろう、同じ手によるこの尺壺を見た時、目利きや数寄者のそれとは異なる、子を案じる親としての目が、強く惹きつけて止まぬものを直感的に感じ取ったに違いない。
「ようございました、おいもお役に立てて嬉しゅうございます」
 清兵衛のその言葉に、「かたじけない」と小さく低頭し礼を言った桐原の目には、歓びの涙が溢れんとしていた。が、その目の奥に宿る哀しみが消え去るものではないことを清兵衛は知っていた。
「付き合いば通じて、出処ば当たってもらいましょうか」と清兵衛が言う。
 丸に一文字の窯印を頼りに探して貰えば、そう難しいことではないだろうし、これほどの壺である、すぐに行き当たるであろうと清兵衛は確信を抱いていた。また、行き方知れずの息子を案じる同じ境遇の桐原に、是が非でも淳之介を廻り合わせてやりたかったのだ。
 が、逡巡を見せるというのでもなく、しばらく黙っていた桐原は、「いや、淳之介が無事で暮らしてくれておればそいでよか。もう二十年もん月日が流れたとじゃ、淳之介には淳之介ん暮らしがあろう、妻や子もおるやも知れん、そいば乱す気はなか。清兵衛殿ん言わるるごと、我ら親子に強か気絆があれば、こん壺んごとまた会えることもあるじゃろうし、淳之介も必ずやこん唐津に戻って来てくれるばい。そいでよか、うん、そいでよかとじゃ」と己の心を確かめるかのように頷き、優しい眼差しで壺を見つめながら独りごとのように言うのであった。
 穏やかな表情でそう言い切る桐原の姿に、そうだそれでいいのだろうと、清兵衛もまた思うのであった。
 二十年という永き月日の過ぎ去った今、息子の生き方を良しと認め、己が心の整理を付けてはいても、やはり親である、その生き死にが気に懸かってならぬ、が、生きていると判ればそれでいいのだ、互い静かに暮らしているであろう親と子の間に、殊更必要もない波風を立てることはないのである。
 清兵衛の心に、桐原の息子淳之介と同じように、二十数年前この家を飛び出して行った我が子清吉の姿がまた蘇る。
 清兵衛が思うに、清吉は、焼き物を押し付けられるこの暮らしを嫌ってこの家を飛び出して行ったのだ、淳之介とはまるで正反対ではないかと、己を責めるのであった。
 未だその胸に蟠る強い後悔の念とあの言い知れぬ焦燥が、鋭い痛みを伴い清兵衛の心を、暗く深く帳の闇の中に包み込んでゆく。
 清吉は、親の目から見ても、好い目、いい腕を持っていた。こいつは自分を超えてくれると、若く感受性の強かったであろう心への斟酌すら無く、勝手に大きな期待を抱き押し付け、何かにつけて厳しく当たったことが災いしたのであろうかと、あれ以来、清兵衛の心に拭いきれぬ悔いを残していた。
 今清吉は生きているのか、何処にいるのか、何をしているのかと案じつつ、二つの壺を見つめる。あの目あの腕だ、出来得れば、何処ぞで焼き物をやってくれていればいいのだがと、いつものように思うのであった。
 桐原は夕刻まで清兵衛と話してから帰っていった。
  冷たい雨はいつの間にかすっかり上がり、西の空には晴れ間も覗き、午後遅い斜光に白く輝きを増した雲が、淡い夕焼けに染まり始めながら唐津湾の空にゆっくりと流れていた。
 その清々しい晩秋の雨上がり、時折夕焼けの空を見上げながら城下への坂道を帰ってゆく桐原の後ろ姿に漂う淳之介への温かき思いが、眩しくも嬉しく、複雑な思いの綯い交ぜになった清兵衛の心は、桐原が訪れてくれる前には存在しなかったであろう小さな心の安らぎを覚えるのであった。
 坂を下り、やがて谷間の林の道に見えなくなろうかという桐原の後ろ姿に、清兵衛はいつまでも深く頭を垂れ続けているのであった。

 清兵衛は、清吉のことは桐原には話さなかった。
 桐原の淳之介に対する慈しむような思いやりの心が、己のそれとは相容れぬほど懸け離れていることに気づかされたからであった。
 何ゆえに自由に生きさせてやらなかった。己の生き方を無理強いし、清吉の心を歪めてしまったのは自分なのだ。
 桐原が帰った後、二人の話を聞いていたのであろうお久実が、「あんちゃん、今頃、何処でどげんしとっとかなぁ」と切なげに呟いた。
 お久実は、清兵衛には言っていないが、清吉はきっと何処かで焼き物をやっていると信じていた。
 清吉は、ただ若き感受性故の親への反発心から清兵衛と反りが合わず家を飛び出したのではなかったし、清兵衛の焼き物に対する厳しさに絶えられなかったというようなことでも絶対になかったのである。
 ここで今のまま焼き物をやっていては、いつまで経っても清兵衛を超えることは出来ない。訪れる人に、「清兵衛さんの物によく似とる、さすがよか血ば引いとらす」などと褒められると、笑って愛想を返しはすれど、このまま清兵衛の焼き物の写しを作ってゆくだけの職人になってしまいそうな自分が怖かったのだ。
 清兵衛にとって、唐津焼を作るということは、傍目に見るほど単純なことではなかったことは確かであろうが、超えなければならぬ壁というものがありはしても、それは違いなく、自分自身への挑戦であったのだ。
 が、清吉にとって、父、清兵衛に教えを乞うということは、その存在の大きさを身をもって知らされる度に、重く大きな荷を、一つまた一つと背負ってゆくが如くに感じられたに相違ない。故にそれは、清兵衛のように、唐津焼への挑戦という明確なものではあり得ず、己の未熟さの殻を破ろうとすればするほど、虚しく足掻き続けているだけの自分の姿をそこに垣間見、脱け出したい、脱け出すのだと独り苦悩していたのではなかったのか。
 超えなければならぬと思えば思うほど、それは高く存在し、挫折を招く。が、焼き物をやるからにはそれを超えなければならぬのは清兵衛の子としての自分の宿命であろう、ここは一度、清兵衛の唐津焼とは異質な焼き物を修め、自分の納得のいくものを作れるようになり、そこから清兵衛の焼き物に再び挑戦するしかないのではないかと自分なりに決心し、その深淵に身を投ずべくこの家を出て行ったのではないのか。
 そしてまた、親と子、余りに近しいが故、互い寸分の妥協も赦すことができなかったのではないのかと、お久実は仲の良かった兄の心の強さを信じ、案じながらもいつか必ずここ唐津へ、この窯場へ帰ってくると信じ続けているのであった。


 清兵衛の作風は、清吉の家出から次第に変わっていった。
 二十数年余りの時を経て、その積み重ねられたものは、清兵衛自身が客観的に見たとしても、かなり大きく変わったのではなかろうか。清兵衛の心に宿した清吉への罪の翳りが、それを生み出していったであろうことは違いない。がお久実は、一見暗く感じられるその作風を、清兵衛もそう思うように、嫌いだとは思はなかったし、清兵衛の焼き物に惚れ込む問屋、鹿島屋に言わせれば、「恬淡としたよか境地へ入って来たばいねぇ」ということになるのであろうか。
 そんな鹿島屋に、「そげなもんじゃなかとよ、こん年になってん未だ好かもんば作りたか思うて、欲ん皮ば突っ張らせとるだけですばい」と清兵衛は、己の心を押し隠し、その顔に自虐の嗤いを浮かべるのであった。
 物作りに携わり、己の欲求に従い、今己が作りたい好いものとは何なのかと追い求め続ける職人にとって、どういう形にせよ、己との葛藤を心奥に持たざれば、納得のいく物を作り出すことは出来ないのではなかろうか。
 清兵衛と清吉、親子二人、それぞれの心の葛藤を目の前で見続けてきたお久実には、それが痛いほどに解っていた。
 故に、ただ唐臼のように、日がな同じ器を作り続け、自分の殻を破ろうともせず窯場の跡取り息子に甘んじる夫に、日々強い苛立ちを覚え、終いには愛想を尽かし、この窯に戻ってきたのであった。
 清兵衛は、お久実の言葉には応えず黙っていた。
 そしてその心に、残像のように離れぬあの晩秋の風の匂いを感じさせる壺の姿が、清吉への思いを押しやり、大きく鮮やかに浮かんできていた。

 いつもは一定の調子で収まってゆく轆轤を蹴る鈍い音が、次第に力を失いながら乱れ、勢いを失ってゆく。今日もまた納得のいく壺にはならなかったらしい。
 器の持つ曲線というものは、作る者それぞれの手で微妙に異なる。その人の癖というのか、持ち味というのか、そんなものが如実に表れるのが器の曲線なのである。
 自分の感性のままにその曲線を操ることは、易しいとは言わないが、熟練した職人にしてみればさして難しいことではないし、出来て当たり前のことではある。が、他人のそれを真似るということは、それが優れた物であればあるほど、至難の業と言えた。まして、意のままにはならぬ炎の力を借りなければならぬのである、その器の授かるであろう景色、雰囲気となると、瀬戸や美濃、唐津と、土も違えば窯の焚き方も違う、贋作ではどうにもならぬというのが実際のところであろうか。
 勿論、清兵衛はあの壺をそのものを写そうなんぞとは、てんから思ってはいない。唐津の土であの優しい壺の形を持てば、自分のやり方で炎の力を借りれば、一体どんな壺になるのであろうか、それを見てみたいのである。
 あの壺の持つ独特の優しく美しい曲線が出ない。特に、首から肩へと流れるように移ってゆく曲線が難しい。真似ようとすればするほど、既に納得のいったと感じていた肩から胴への曲線さえ全く異質の流れになってしまい、あの壺の持つ曲線の流れとは遠く懸け離れたものになってしまうのであった。
 ここで少しでも妥協してしまえば、炎任せの焼き上がりは、もっともっと惨めなものになってしまうだろう、それは目に見えていた。
 妥協を拒む清兵衛の悪戦苦闘は続いた。

 もう窯焚きまでには壺の乾燥が間に合わないのではないかという焦りがお久実に生まれ始めた頃、ようやく三つ、清兵衛なりに得心のいく壺が出来た。
 今年の作りはこれでお仕舞、後はこの壺の乾燥を待って、既に作り上げられたり釉を施されたりして窯入を待つだけの物と一緒に窯に詰めて焼き上げればいいのだと、仕事の一区切りをつけてすぐの時であった。
 清兵衛とお久実の二人が、ホッとしたような充実感に包まれながらのんびりとしていた昼下がり、この辺りの焼き物を手広く扱う鹿島屋が、小太りの丸顔にいつもの気さくな笑顔を見せながら、「御無沙汰しとるばい」と、相変わらずの無遠慮さで、大分建付けの悪くなってきた腰高障子がガタガタと軋むのもお構いなし、壊れてしまうのではないかと心配するほど力尽くで抉じ開け、その太めの身体を横に捻じり込みながら入ってきた。

 鹿島屋は、清兵衛の作る焼き物が殊の外お気に入りである。地元である唐津一帯は勿論、備前、美濃、瀬戸と多くの産地の物を手広く扱かっているのであるが、二十数年ほど前、城下から遠く離れた山間に、世間を避けるかのように窯を築いた変わり者がいると聞き、誰よりも早く清兵衛を訪ねてきて以来、唐津の町から遠く眺められる窯焚きの煙で窯開けの時を的確に判断し、一番初めにここへやって来るようになった。
 まだ窯から出した器達の熱も冷めやらぬような内に、素早くこっそりと、本当にこっそりと、目ぼしい物は粗方鹿島屋の荷車に揺られ運び出されてゆく。
「こん頃は、あっちこっちに窯がポコポコと出来、粗製乱造ん極みばい。そん内、粘土も、赤松でんなか虹ん松原ん黒松までもがのうなるんじゃなかかと心配さえしとっとよ。器ば見てくれと頼まるるばってん、面倒な気ばかりが先に立って、ちっとん見に行く気にもならんと。そげなんは番頭任せにしとっとばってん、ここんとは別ばい、壺は勿論、碗や皿、下らぬ意匠ん削ぎ落されたよか物ばかり。清兵衛さんの器ば見とっと、商売抜きにして気が休まるとばい」などと、手土産片手に頻繁に訪れてきては様子見をして帰るのであったから、鹿島屋が荷車を見世の者に挽かせやってきた後に残される物は、ほとんどの場合、傷物や清兵衛が気に入らずに割るなどして始末される物と、その反対の、清兵衛が特に気に入ってしばらく手元に置いて置きたい物だけだった。
 がそれも、いくらも時を開けず鹿島屋が再び訪れ、「こないだん残りば貰いに来たばい。いくら好か物でん、そいばっかしいつまでん眺めとったんじゃ、次ん好か物が出来んでしょうが」と、人の好さ丸出しの憎めない笑顔で、まるで毟り取るかのように無理矢理持って行ってしまうのであった。
 清兵衛にしてみれば、多少の名残惜しさを感じはするのだが、鹿島屋の人柄に惚れ込んでいるだけに断り辛いらしく、苦笑いはしても悪い気はしなかった。
 もう少しの間手元に置いて置きたいと思う物もたまにはあるのであったが、やはり鹿島の言うように、新しい物への挑戦には、それらは邪魔な物のような気もしないでもなかったし、訪ねてきた鹿島屋の顔を見、清兵衛との話の頃合いを見測ると、お久実がさっさと藁に包んで見世の者達が挽いてきた荷車に乗せると「さぁ、明日から次ぎん窯ん準備ばいね」と、催促するかのように、聞こえよがしに言うのであったからして、鹿島屋が、再び来れば、己の未練はきっぱりと断つことに、清兵衛としては心を決めてはいた。
 また、鹿島屋鹿島屋で、商人としての思惑もあったのである。
 優れた物であればあるほど、いつ藩の規制を受けるようになるやも知れぬ、藩の意向には逆らえない。そうなれば、自分は清兵衛の焼き物を自由に取り仕切ることは出来なくなる。清兵衛の焼いた物がこの近辺で出回ることを出来るだけ避け、それらの人々の目に着く前に、大方の物を上方や京のような遠方で売買すれば、当分の間は独り占めである。が、もう二十数年以上にもなる、清兵衛の評判は鹿島屋の思惑を超え、かなり以前からこの辺りの数寄者や問屋たちの間でも定評を得、独り占めもそろそろ限界かなと感じてきてはいた。
 救いは、鹿島屋という大店の看板に一目置いてくれているのか、役人への鼻薬の効き目か、今のところ、同業者や藩が、この清兵衛の窯に手を伸ばしてくる気配は見られないということであった。

鹿島屋は、まだ窯焚きに入る前だと、当然承知のはずである。例の如く下見に来たのであろうかと二人は思った.。が、そうではなかった。今日は何か他に用のあるらしい。
 鹿島屋の後ろに、明らかに鹿島屋の者ではないと思える一人の男が、焼き物の入っているらしき小さな風呂敷包みを大事そうに丹田に抱え、遠慮がちに立っていた。
 男が清兵衛とお久実の二人に視線を移し、小さく低頭し頭を上げたその時、その澄み切った黒目の奥に秘められた翳りに不可思議な畏怖を感じとり、清兵衛もお久実も、一瞬、心が騒めくのを覚えた。
 直後、二人の胸のうちに、清吉の面影が浮かんでいた。
 その男の持つ雰囲気が、何処となく清吉のそれに似通ったものを漂わせていたからだけではない、何か不吉な暗い翳りが、その目に色濃く感じられたのである。
「こちらは、幸作さんとおっしゃっと、美濃ん方で焼き物ばしとられるお方での、清兵衛さんにお会いしたかと、向こうん商い仲間ん伝手で、私どもば頼り、昨日ん夕刻前に店へお見えになられたと」
 いつもぞんざいな口の利き方をする鹿島屋が、何処か沈んだ様子で丁寧にそう言って紹介すると、「初めまして」と、幸作という男が遠慮がちにまた小さく頭を下げた。
 すらりと高いその背、鍛えられた上半身、その物腰、何処か武士を思わせた。が、大事そうに包みを抱えるその手指は、清兵衛と同じように節くれ立ち、同じ焼き物職人であろうことは、言を俟たずとも容易に察せられた。
 幸作がその風呂敷包に低頭し、固い結び目を解き、白い布に包まれた八寸ほどの桐箱を、再び小さく低頭しながら清兵衛の前にそっと置いた。
 清兵衛は、骨壺なのだ、清吉のものなのだと直感し、一瞬目の眩むような衝撃を受けた。お久実もそうした何かを予感していたのであろう、清兵衛の後ろに隠れるようにし身を固くしていた。
「清吉さんです」
 幸作はそれだけ言うと合掌し、少し後ろへ身を引いた。
 清兵衛の心の片隅に、いつかこういう日が来るのではないかという不安は常にあった。がそれは、清吉の心を窮地に追い込んでいったであろう自分への覚悟でもあったのだ。
 終いに怖れていた時が来た、清兵衛が無言のまま白い布を解き、桐箱の蓋を開け中の物を取り出そうとしたその手が、わなわなと震えだした。
 清兵衛は、大きく息を吸い込み力を籠め、その震えを堪えると、中に入った紫の袱紗に包まれた蓋付きの小壺らしき物を、畏れを込めるかのように、そっと取り出した。
 ごつごつと節くれだった手指が、緩やかな動きで紫の袱紗を解いていった。
 何かの呪縛を解き放たれたかのように、清楚な優しさを秘めた七寸ほどの蓋付きの壺が、濃い紫色の袱紗の上にその白い姿を現した。
 独自に工夫された織部釉であろう、全体に掛けられた泡だった白濁釉の下にそれを施釉し、口辺から肩に懸け淡い緑を醸し出させている。まるで、早春の柔らかき芽吹きの緑に薄っすらと淡雪の降り積もった如き清楚な優しさが、何とも言い表しがたい気品を漂わせていた。
 暗い色を基調とした清兵衛の壺が持つものとは正反対と言えるほど違ってはいたが、その好さは、素直に清兵衛を唸らせた。
「中に御遺髪と、誰かの形見のように肌身離さず大切に懐に入れていた清吉さんの箆が入っています。この壺は清吉さんの御遺作です」
 幸作の言葉の終わらぬうちに、お久実が「あんちゃん」と絶句して床にへたり込み泣き崩れた。
 その箆は、清兵衛が壺作り用にと清吉に作ってやった物であろうか、松で作られたその箆は、壺を作るには適さないほどに、もうかなり擦り減って小さくなっていた。それは、とりもなおさず、清吉が、如何に壺作りに精進したかを物語っていた。
 清兵衛もお久実も、清吉がその箆を胸に抱き家を出たことに気づいてはいなかった。
 この箆ひとつ胸に抱き、清吉は覚悟の旅に出たのだ。己は清吉に与えたその箆の消えていたことにすら気付かず、そして、清吉の覚悟の一端すら解してやることも出来なかったのだ。
 清兵衛は涙し、更に己を責め立ててゆくのであった。
「焼き物を習いたいと、私の世話になっている窯場へやって来たのは、十五年くらい前だったと覚えています」
 幸作は黙ったままの清兵衛を見たが、突然の清吉の訃報に気落ちし応えてくれる気力は無いのであろうと感じたのか、そのまま話を続けた。
「身の上のことは、仲の良かったわたしにさえ一言も話してはくれませんでした。が、内の窯を訪ねてくる以前にも何処かの窯場で修業していたのでしょう、既に人並み以上の仕事を熟せ、好い器を作ると、窯場の人たちに大事にされていました。ただ何故か、壺だけは、作りはするのですが、気に入らないのでしょうか、すぐに潰したり、焼き上がっても割ったりしてしまい、売りに出されるようなことはありませんでした」
「……」
「四年ほど前、流行風邪に罹りそれを拗らせたのが元で病の床に臥せることが多くなってからでした、清吉さんが少しでも調子が好くなると、仕事の終わった後、誰もいない仕事場で壺だけを作り始めたのは。それでも、やはり体がきついのだということは、傍で見ていればすぐに判るほど大変そうでしたので、皆が止めるよう説得したのですが、聞き入れては貰えず、一心不乱に壺を作る姿を心配そうにただ見ていることだけしかできませんでした」
「……」
「三年以上、一進一退を繰り返す病と闘いながら、まるで何かに憑りつかれたように、壺を作っては壊し、壊してはまた作り続けていました」
「……」
「この壺が焼き上がったのは、お亡くなりになられる寸前の窯でした。窯場の皆が皆、惚れ惚れと見とれていました。が、清吉さんは、布団の上でこの壺をじっくりと見詰め、しばらくすると、『親父ん壺にはまだまだ敵わん』と一言呟くと、疲れ切ったようにそのまま寝込んで、翌日の明け方、息をお引き取りになられました。清吉さんの持ち物を整理しておりましたら、柳行李の中から日記のような物が見つかり、あなたに負けないような好い壺が作れるようになったら、唐津のあなたの下へ帰り、あなたの壺に挑むのだと……」
「……」
「この窯場の思い出や妹さんのことも所々に……」
「……」
「……」
「仲の良かったわたしが、この辺りに少し詳しいということもあって、遺髪をお届けする役目を引き受けた次第です。出入りの問屋さんにお聞きした鹿島屋さんを頼りにお尋ねすると、それは恐らく清兵衛さんのご子息、清吉さんであろうとお聞き致し、こうしてお伺いさせて戴いた次第です」
 清吉は、兄は、己の余命を知り、最後の力を振り絞り清兵衛の壁に挑んだに違いない。父として、妹として、微妙な感覚の違いはありはしたが、清兵衛もお久実も、その気品漂う白い壺から、痛いほどに清吉の心の葛藤が伝わってくるのを感じていた。
「清吉がやっと戻って来たばい、好か壺じゃなかか、なっ、久代」と、ずっと押し黙っていた清兵衛が、溢れくる涙を、その節くれ立った片手で拭いながら嗄れ声で言った。
 莚に崩れ込んだままのお久実が、堪えきれず大きくしゃくり上げた……。

 数日後、清吉の供養がお寺で極々身内だけで執り行われた。鹿島屋と幸作の姿もあった。
 幸作と話すお久実が、時折目頭を押さえている、清吉のことでも話しているのであろうか。
 もう師走はすぐ目の前であった。
 
             【その二へ続く】

 
 
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