第四章

文字数 7,968文字

第四章

そのころ、製鉄所では。

また掃除人がいなくなってしまったため、週に一回、ブッチャーこと須藤聰が呼び出されて、掃除をやることになっていた。

その日も、竹ぼうきで、玄関先を掃除していたが、製鉄所の前で、一台のピカピカのセダンがやってきて、停車したのには驚く。

「あれれ?誰の車だろう?」

驚いて思わずそういうと、

「すみませんが、この製鉄所に来訪する場合、どこへ車を止めたらいいんですかね?」

と、サングラスをかけた男性が、帽子を取って、そうあいさつする。そのサングラスといい、帽子といい、なんだかマフィアの一人のように見えてしまうという印象がないわけでもない。

「あの、どちら様でしょうか?」

と、返答すると、

「小川と申します。小川等。バロックオーボエの小川といえばわかる。右城君に言ってくれれば。」

という。

「右城、、、?あ、水穂さんの旧姓ね。しかし、何の用があるんです?」

「いや、ここに住んでいると聞いたもんだから、会いに来た。そのために、車を止めたいんだが、どこへ止めたらいいんですか?」

「あ、車でしたら、もうちょっと真っすぐ行った先に有料駐車場があるので、そこに止めてくれれば結構です。ですけど、一体何のようでこっちまで来たんです?」

「ちょっと相談というかお願いがあって来させてもらいました。ここに住んでいるんでしょ。ちょっと出してもらえないでしょうか。」

「とてもできませんよ。そんな、出させるなんて。」

「じゃあ、部屋に入らせてもらえない?」

サングラスの下でどんな顔をしているのか全く分からないので、聰は不安ではあったが、この人があんまりいうので、そうするしかないかと思った。

「わかりました。とりあえず、車を有料駐車場に止めてきてください。そうしたらご案内します。」

「はい、ありがとう。よろしく。」

と、その人はけたたましいエンジン音をかけて、車を走らせて行ってしまった。とりあえず聰は、これは大変だと竹ぼうきを玄関先において、製鉄所に飛び込み、水穂の部屋に直行する。

水穂本人は、ちょうど吐き気がして目が覚め、せき込んで内容物を出しているところであったが、聰が大変だ大変だと言って、ふすまを開けたところから、急いで手拭いで口の周りについたものを拭いた。

「た、大変なんですよ。なんともやくざの親分みたいな恰好をしたおじさんが、ちょっとお願いがあると言って、来ているんです。ど、どうします?」

そういう聰に、水穂も一瞬驚いてしまったが、

「やくざの親分?蘭の間違いでは?」

「それが違うんです。水穂さんのことを右城君としっかり言っていました。」

というので、一生懸命思い出そうと試みた。

「い、一体なんという方ですか?」

「はい、バロックオーボエの小川といえばわかると言ってました。一体どういうことなんでしょうか。バロックオーボエというやくざ組織の親分でしょうかね。」

これを聞いてやっと思い出した。

「お通しください。少しばかり伏せてますが、すみませんとお伝えして。バロックオーボエとは楽器のことで、小川さんは僕の桐朋時代の同級生です。」

「ど、同級生?水穂さんの?」

「はい。」

聰は、どうしてもあの風貌が合致しなかったが、そういうのならとりあえず通すかと思って、とりあえず急いで玄関先に戻っていった。水穂も急いで手を拭いて、お客さんに失礼のないように羽織を着た。

しかしなぜ、今になって小川さんがこっちへやってきたのかは、見当がつかない。確か桐朋時代は、容姿こそ派手な人で有名だったが、オーボエ奏者としては平凡で、成績はさほどいいわけではなかった。本人もそれはよくわかっていて、奏者としてやっていくのは無理だと言われていたところから、ひどく葛藤していたことがある。そこで小川さんは最終的に、モダン楽器であるオーボエを断念し、古楽器のバロックオーボエを勉強しなおすために、桐朋音大を卒業した後、別の大学の大学院に進学しなおしたと聞いている。

「水穂さん、来ましたよ。本当に大丈夫なんですか、、、。」

聰が心配そうな顔をして、その小川さんというおじさんを連れてきた。確かに、サングラスをかけると、マフィアの親分のような顔をしているのだが、帽子を取って、サングラスをとると、普通のおじさんという感じである。

「あ、どうも。」

とりあえず座礼をしてあいさつした。

「すみません、このような失礼な格好で、、、。」

「いや、いいんだけどねえ。」

と言って、小川さんはあたりを見渡した。たぶん小川さんの側から見ると、自分がなぜここに住んでいるのか、見当がつかないんだろう。

「なんだか、ものすごいやせたねえ。大学時代とは、えらい違いだ。」

「そうですか。まあ、見てのとおり、ダメになってますよ。」

聰がぽかんとした顔をして、二人の前にお茶を置く。

「あ、気にしなくていいです。本当に、この人は、僕の大学時代の同級生で、オーボエ奏者だった、小川等さんに間違いありません。だから、玄関掃除に戻ってくれていいですよ。何かあったら、言いますから。」

「そ、そうですか。じゃあ、俺、一回戻りますが、ちょっとでも体調が悪いなと思ったら、無理をしないでくださいよ。」

「わかりました。」

聰は心配そうな顔をして、渋々部屋を出ていった。

「できれば、オーボエ奏者と言わないで、バロックオーボエ奏者と言ってもらいたかったなあ。もう、転生して、二十年近くたっているんだから。」

「ごめんなさい。在学中はほとんど面識もなかったものですから、まさか本当にそうなったとは知りませんでした。」

水穂にしてみれば、専攻楽器を変更するなんて絶対できない話だから、ある意味うらやましいと思うこともあった。

「まあ、一応、13歳でオーボエを始めたけれど、大学院以降はずっとバロックオーボエをやっているので、今はそっちのほうが長いよ。」

まあ確かにそうだ。40を超えればそういう年になる。

「で、どうしたんですか。いきなり連絡もなしに来訪して。」

「あ、いやね。ちょっとお願いがあって、来させてもらったんだかねえ。一応、伏せているとは聞いたけど、、、。」

そこで小川さんは、発言を止めてしまった。と、いうことはつまり、ここまで容体がよくないとは予想してなかったんだな、と分かった。

「すみません。布団をたためないほどとは思わなかったんでしょう。来訪すると知らせてくれれば、布団くらい片づけておくべきでしたけど。」

と言っても、布団を片付けたら、たまっている血痕が丸見えになってしまうのはいうまでもない。そうしたら、さらに悪いことになる。

「なんだ、布団を片付けられるのね。それなら、お願いできるかな。実はねえ、うちの門下生の有志と、ほかの教室の仲間を集めて、アマチュアの古楽器バンドを作ったんだけどねえ。」

と言って、小川さんは楽譜をどしんと置いた。モーツァルトのピアノ協奏曲の楽譜である。

「それが、今年で結成10年になるから、十回目の演奏会を開催することになっているのだが、ソリストとしてやってもらえないだろうかと思ったんだけど、、、。」

「ソリストって、古楽器同士ならチェンバロでしょう。それならチェンバロをやっていた人にお願いすればよいのでは?」

「いや、お前も知っているじゃないか。チェンバロをやっている人はなかなかいないよ、静岡には。」

まあ確かにそうである。というのは、静岡にはチェンバロを設置してあるホールがなかなかないせいか、リサイタルなどの開催が難しいとして、チェンバロ奏者はほとんどいない。

「だったら東京から連れてきたらどうですか。たしか、日本チェンバロ協会、でしたっけ、そこに頼めば演奏者を紹介してくれたりとか、してくれるはずでは?」

「いや、静岡で開催するなら、チェンバロの演奏は難しいよ。お前も知っていると思うけど、最近は古楽器ブームで愛好者は増えているが、バロックバイオリンや、ビオラダガンバなんかであれば持って歩けるからまだいいが、チェンバロはどうしても持ち運びができないので、ピアノで代用するバンドがまだまだ多いんだよ。そうなれば、通奏低音を出してくれる人が不在になるわけだから、音楽的に言ったらおかしくなるけれど、愛好者たちはそれを許してくれないので、、、。」

そういうところから、古楽器の隆盛というものは、まだまだないなと思われてしまうのだった。

「そうですか。でも、もう引退してしまったので、演奏はできません。ごめんなさい。」

がっかりした表情で下を向く小川さん。

「しかし、俺の推理に間違いなければ、同級生なんだから、まだ40代だろ。お前ときたら、演奏家としてさあこれからだってときに、突然引退なんて言いだして、、、。まあ、確かに、結婚と同時に引退して、子育てに専念したいという演奏家も少なくないけどさあ、40代になれば、多少子供も落ち着いたから、一度引退しても、またやりたくなって復帰する演奏家だって今は多いぞ。人生80年と言われるわけで、40代なら、今であれば演奏家としては若造と言われる人もいる。それなのに、お前ときたら、あの山口百恵とかいう、人気歌手みたいに、結婚を期に、忽然と姿を消して。今何をしているのかとおもったら、そうして廃人みたいに床に伏しているなんて、もったいないにもほどがある。どこが悪いのか知らないが、床に伏している暇があったら、早くなんとかして音楽業界に帰ってこようとかそういう気にはならないのか。お前のことを待っててくれてる、ファンの人だって少なからずいると思うんだけどな。」

まさか平凡な学生の一人であった、小川さんにまでそういうことを言われるとは、まったく予想していなかった。

「仕方ないじゃないですか。それに桐朋行ったからって、演奏家になれるとは限らないじゃないですか。」

「そうだけど、俺たちからみたら、お前はそういう切符をつかんだ数少ない学生だ。まあ確かに、嫉妬心を燃やす人も少なくないけど、このくらいの年になると、かえってそういう同級生を思いっきり応援してやりたくなるもんなの。ほかの女性たちもそういってるよ。女の人は大体、今は子供を育てるのに生きがいが見つかっているから、もう生きがいは十分だ、だから、活躍している人には、思いっきりやってもらいたいって。まあ、こういうこと言うと、いやな気がするかもしれないが、中には子供に邪魔されて自分は演奏ができないのに、あの人は、ものすごい名声を得て、結婚する必要もなさそうだから、いいよねっていう人だって、少なくないんだ。そういう人のほうが多いくらいなんだから、恵まれているお前としたら、演奏家として精いっぱいやっていくのが本来の務めなんじゃないのかよ。だからこそ、時間だっていっぱいあるんだろ?違うのかい?」

「時間なんてありませんよ。おそらく、小川さんの半分もないんじゃないですか。」

答えなんて、それをいうのがやっとだった。水穂からしてみれば、小川さんのほうがよほど恵まれている。だって、専攻であった、オーボエを断念し、バロックオーボエに変更して、そのまま生活できるほど、勉強できる経済力があるのではないか。自分ときたら、ピアノ一台にしがみつくのに、ヒロポンの販売にまで、頼らなければいけないほどだったのに。

でも、それを言ったって、小川さんにはわかってもらえないだろうなと思う。基本的に金持ちばかりの桐朋音楽大学では、同和問題なんてわかるはずもない。

「時間ないって、お前、どこを悪くしたんだよ。もしかするとどこかに悪性の腫瘍でもあるのか?そうなれば、長泉のがんセンターでも行くとか、そうするよなあ?」

結局、そういう答えしかないじゃないか。そのためには何が必要かなんて、わかってないだろう。そして、それを手に入れるために、のたうち回るような苦労なんてしたことはないのである。

答えを出す前に、また吐き気がした。すみませんと言って、体の向きを変えようとおもったが、魚のにおいとそっくりな、生臭いものをせき込んで出すことをやらないと、それはできなかった。つまり、小川さんの目の前で、せき込んで内容物を出す、という、なんとも時代に合わない仕草をやってみせたのである。

「ごめんなさい。」

幸い、たいして大量ではなく、それ以上続くことはないらしいので、薬をがぶ飲みするという作業は免れたが、ここまで見せたら、どんな反応が返ってくるんだろうか。

「お前もさ、本当に不条理な奴だな。どこまで時代に逆手を取ったら気が済むんだ。そんなことで、相手の気を引くなんて、瀧廉太郎くらいなもんだろうし、子供のころに予防も何もしなかったのかよ。」

だから、そういうことをする前に、必要なものがあるんだと反論しても、笑われるだけだろうなと思うから、黙って聞いているしかないのだ。そういうことが当たり前と思い込んでいる人たちに、それができない人もいるなんて反論が通じるわけがない。アメリカなんかでは、黒人であるがゆえに、予防注射を受けられなかったというケースはよくあるらしいが、単一民族国家である(正確には、富裕な人はそうだと思い込んでいる)日本では、まずありえない話である。

「今更な、治るもんだと分かり切っているような疾患に、いつまでもしがみついているようじゃ、誰も寄り付かなくなるにきまってる。演奏家ってのはある意味芸能人にも近いんだから、ファンの人たちの期待に応えてあげられるようにしなくちゃ。有名な俳優だって、みんなそうしているじゃないか。お前もさ、あれだけ散々演奏して、相当稼いだはずなんだから、多少金がかかる治療だってすぐにやれちゃうんじゃないのかよ。」

そんなものどこにもないですよ。稼いだお金なんて、当の昔に、桐朋音楽大学への学費の支払いと、蘭の家から課された賠償金の支払いのため、とっくに消えてしまって、どこにもありませんよ。なんて語ることができたなら、どんなに楽だろうなと思う。でも、きっと、学費でどうのこうのなんて、桐朋音楽大学に行く学生の大半は、別言語に近い言葉になっていることだろう。だって、そういうことで悩むような人は、まず入学するような大学ではないから。できない人は、もうとっくに断念してほかの大学で我慢してしまうだろうし。時には、この世に絶望する人もいるかもしれない。そういう人の犠牲によって、大学は形成されているが、入学できた人は、それに全く気が付かないで、大学生としてのこのこと生活する。そして、それに気が付くことは一生ない。それが大学である。国立大学ではまた違うのかもしれないが、最近では、国立であっても金持ちであることが多いから、気が付く人はどれだけいるんだろうなと思う。昔の大学であれば、大学はみんなのあこがれで、大学にはいるということだけで、ものすごい人であるということが公に認められていたが、今は大学なんて、ただ行かされるだけ、としか考えていない人がほとんどであるから。大学がすごいなんて考えられる人は、少数民族になっている。

まあ、それを言っても伝わるはずはないので、もう黙って聞くしかないのであるが、、、。

「もうな、瀧廉太郎の時代じゃないんだし、そんなものを言ったとしても、誰にもわかるはずもないんだから、もうちゃんとしたところ行って、しっかり治してもらえ。しょうがないものはしょうがないなんて、いう必要もないんだよ。戦前じゃないんだから、あり得ないとか言われて馬鹿にされるだけだよ。薬だってあるんだから、大丈夫だし、さほど怖がる必要もないの。病院だってネットで調べればすぐ出るから。それとも、何も知らないとでもいうのではないだろうな?」

こんなセリフほど、迷惑なものはないのだけど、と思いながら、とにかく聞くしかなかった。小川さんは、ポカンとしているというか、黙っているのをいいことに、さらに熱弁をふるってこういうのである。

「なかなか友人に恵まれなかったお前のために、いいこと教えてやるよ。昨年にすごい大規模な、呼吸器外来、できたんだってよ。」

「あ、そこは行きたくありませんね。岸和田は遠すぎます。」

やっと反論できたかと思ったが、あきれた顔して小川さんはため息をついた。

「岸和田なんて、一言も言っていないんだけどな。お前、本当に何も知らないんだな。診断されたときに、ネットで調べるとか何もしなかったのかよ。」

「知りませんよ、そんなこと。」

それだけ言うのがやっとである。

「なんだか、発展途上国に行ったみたいだな。イラクとかシリアでも行ったのかな、、、。もう、ここから目と鼻の先にあるのに、何も知らないなんてどういうことだろうか。いいか、この際だから、教えておくが、もう知っているなんて言うなよ。そういうことを知っているなら、そこまで悪くしていることは絶対にないはずだから。大石寺からもう少し北へ行った、上井出とかいうところに、総合病院を立てているという話を聞いたんだよ。」

「あ、そうですか。わかりました。」

それだけ返答しておいた。

「だから、そこに呼吸器外来、あるんだって。そこにいって、しっかり治してきてもらえ。」

「はい。」

ムキになることもできず、ありがとうと礼をいうこともできなくて、その二文字だけ口にすることができた。

「じゃあ、すぐに行くようにしてくれよ。そうしなければ、お前はファンの人や、支えてくれた教授や同級生なんかを全部敵に回してしまうことになるぞ。しっかりやれよ。」

「はい。」

改めてそういうが、小川さんはそれを肯定と受け取ってくれたようである。当然のごとく、場所を聞くことも何もできなかった。教えてくれと言えば、余計にお前はだめだといわれるのが落ちであるからだ。

「じゃあ、今回は出演のお願いはしないでおくが、せめて本番だけは見に来てくれよな。それはお願いしておくぜ。まあきっと病院に行けば、すぐに抗生物質とかそういうのをもらって、長期療養を強いられることはないと思うよ。たぶん、数週間で普通に出られるようになるだろう。本番はまだ先だから、その時には動けるだろうから、見に来てくれよ。て、いうか、そうなんなきゃだめだ。お前はただの音大卒者ではなく、演奏家なんだから。」

と言って小川さんは、水穂の肩をバシッとたたいた。

「さて、またくるよ。その時は、歩けるようになれ。」

よいしょと立ち上がって、小川さんは部屋を出ていった。水穂はさよならもありがとうも言えず、そのまま座っていた。

玄関に行くと、心配そうな顔をした須藤聰が、小川さんを見送った。小川さんが完全に製鉄所を出ていくのを見ると、聰はあまりにも心配なので、また竹ぼうきを置いて、部屋に行った。

「水穂さん、大丈夫ですか。あんまりひどいこと言われて、頭に来たのではないですか?」

内容はわからなかったけど、とにかくそういうことが起きたのではないかと聰は予測することができたので、すぐにそう問いかける。

「少し寝かせて。」

やっとそれだけ言って、水穂は布団に横になったというより倒れこんだ。もう疲れきっていて、言葉もなにも言えなかった。

聰はこれを見て、日本もアメリカみたいに、民族の区分がもうちょっとはっきりしてくれないかなあ、と思わずにはいられなかった。

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