第7話

文字数 1,592文字

1ヶ月後。
クリスティーンは父と母、ステラさん、そしてメアリーとともにパリを訪れた。
地下鉄ではシュローセンのコンサートのチラシを見かけた。
新聞などを見る限り現地のメディアはシュローセンについて賛否両論の様子であった。
シャンゼリゼ通り方に向かい、一行はようやく本日のコンサート会場に足を踏み入れた。
「わあ、夢みたい!」
クラッシック音楽に一番詳しいメアリーがそう言って飛び跳ねてみせた。
クリスティーンは無言の微笑を返し、『私も』という合図を送った。
その間に父と母は誰かと会話を始めた。
フランス語なので、クリスティーンとメアリーはさっぱり内容がわからなかった。
「あっちに案内してくれるみたいよ」
クリスティーンの母がそう言うと、クリスティーンの父を先頭にスーツを来た丸いスキンヘッドを光らせた大きな男性に一向はついて行った。
ついて行った先には舞台裏で控えているシュローセンの姿があった。
「やあ、よくきてくれたね!」
きっちりとヘアセットをして、クリスティーンとメアリーは初めて見る彼の凛々しい顔を目の当たりにした。
シュローセンはまずクリスティーンの父母とステラさんにイタリア語で社交辞令の挨拶を始めた。
それが終わるとようやくシュローセンは二人をみた。
「私、ここに来ることをずっと夢みてたんです。そこでコンサートを開くなんてシュローセンさん、すごいです!」
メアリーが息荒気にそう言った。
「あれ、初めてだったかい?まあ、僕もここでコンサートをするのは初めてさ」
シュローセンは、舞台前の緊張感を物ともせず堂々とした態度でそう言った。
しかし、ものの数秒で足が小刻みに動き始めた。
『やっぱり・・・』とクリスティーンは思った。
シュローセンはクリスティーンをみて言った。
「舞台は用意された。しかし、僕は大丈夫だろうか・・・」
クリスティーンは言った。
「自分を信じてないの?」
シュローセンは首を大きく横に振った。
「まさか、この僕が!」
シュローセンの足はようやく動きを止めてリラックスの状態に戻った。
そして、シュローセンは深呼吸すると、自信のある表情に戻してこう語った。
「コンサートが失敗するかもしれない。あるいはコンサートは成功しても彼女は戻ってこないかもしれない。でも僕が今できる精一杯のことをするよ。だから、今日は楽しんでいって!」
クリスティーンとメアリーは大きくうなづき、シュローセンの楽屋を去った。
そして、一行は由緒正しき格式ある座席についた。
少しすると、あたりは暗くなり、コンサート開始のブザーが鳴った。
幕が開くと舞台の先頭に彼の姿があった。

そのコンサートは控えに言っても『素晴らしかった』という評価であった。
それまで痛烈に非難していたメディアでさえ、その主張を一転させた。
新聞やツイッターでは彼に称賛の嵐が吹き荒れた。
至る所で、『彼のコンサートは素晴らしかった』という一文を見かけた。
フランス・パリという地で、特に彼はドビュッシー中心の演目でその評価を得たのである。
まさに王道中の王道で彼は勝利を勝ち取ったのである。
世間的な評価としては、上記の理由からつけられていた。
しかし、一方で彼は個人的な恐怖と不安をバネに最高の結果を引き出した。
それこそ、彼が本当に得た結果であった。
コンサートの翌日、メディアの前で彼は『精神が崩壊するようなプレッシャーや不安に何回も襲われた。でも僕はそれを乗り越えて今ここにいます。たまには自分を褒めてあげたい』と語った。
世間の人は、『自分でも満足できるような上出来の演奏ができたということだろう』と解釈したがそれは違った。
シュローセンが掴み取ったものは、自分の心の中にいる弱い自分との戦いであり、そんな誰にも気づかれないような個人的な小さな戦いとの勝利を意味していたのである。
シュローセンはコンサートを終えた夜、ようやく数ヶ月ぶりにゆっくりとした長い眠りにつくことができた。
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