6 決然と、彼女は

文字数 619文字

「入院しよう。わかってくれ。長男である俺の顔を立ててくれよ」
 と、頭を下げた。
 俺は次の週末を待たず、ウィークデイに有給休暇をとって沼津(ぬまづ)を訪ね、一対一でおふくろに談判(だんぱん)したのだ。
 彼女はいつも着ている水色の小花模様(リバティプリントというものらしい)の部屋着姿でベッドに座り、これもまたいつもどおりに窓ガラスの向こうの梅雨(つゆ)空を眺めていた。
「うん」と返事をしてくれるまで、どれだけ長時間でも(ねば)るつもりでいた。
 ところが――。
「好きにしなさい」
 あっさりとおふくろは折れ、それきり口をつぐんだ。

 拍子(ひょうし)抜けした。
 同時に、あろうことか俺は、後ろめたさに襲われた。
 おふくろはこちらを見もせず、淡雪(あわゆき)が溶けるような声で言い、聞いた瞬間に俺は気づいてしまったのだ。
 リバティプリントの提灯袖(ちょうちんそで)(パフ・スリーブというものらしい)から伸びた彼女の腕が、やけに細くなっていることに。

 それからというもの、何を決めるにもおふくろは、「好きにしなさい」の一点張りで、意思表示は一切しなかった。
 体の調子が悪かったのもあるだろう。
 しかし、決然と「もう自分の人生から降りたのだ」と表明されているようで、俺はかける言葉を失った。
 後戻(あともど)りはできなかった。
 とにかく、伊豆(いず)(くに)市の大病院に入院させ、治療を開始して、日が過ぎた。
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