第七話 冥がりの地
文字数 3,129文字
ああ。なにゆえに――。
かの嘆 きに雨が降る。
白い骸 が嘆く日に雨が降る。
なにゆえと、問うてくる。
我が声が聞こえたらば、華 を辿 れ。
その華は死 人 花 。
華を辿れば自然と昏 がりの地に着くという。
◆
小 倉 山 東 麓 ――、かの地は荒 涼 と広がっていた。
風 葬 地 ・化 野 ――、人の多くは亡くなるとここに埋 葬 される。埋葬と言っても、ただ地に置かれるだけだが。
既 に朽 ちたものがあれば、最近のものと思われる遺 骸 がある。すぐ側 の木では、枝に留まっている数羽の鴉 が、屍 肉 を啄 むその機 会 を待っている。
残 酷 だと思うが、これが現実である。
皇族や貴族は荼 毘 に付されて墓に入るが、多くの民は鳥 獣 によって朽ちていく。
地を吹く風は、土 埃 とともに晴明の狩衣を煽 る。
まるで、早く昏 がりに沈めといわんばかりに。
晴明は嗤 った。
まだ彼 岸 に渡るつもりも、昏がりに沈むつもはなかったからだ。昏がりは人が抱える心の闇、一人旅立つ黄泉 の世界。
半 妖 に生まれた彼は、最 期 はどちらで眠るのか。
化 生 ととして塵 とされるのか、それとも人としてこの地で骨となるのか。
さすがにこの未来 は、占おうとは思わなかった。
見てしまえば、迷いがさらに強くなる。
もし人でいられなくなったら――。
人と妖の血がせめぎ合い、こちらへこいと綱を引く。まったく厄 介 な形に生まれたもんだと、晴明は自身を嗤った。だが、晴明が訪れようとしているのは化野 ではない。
この近くに妖 が潜 んでいるという。
先に、兄 弟 子 の賀 茂 保 憲 が向かっている筈 である。
歩き始めてまもなく、岩に腰を下ろしている老 婆 がいた。
その老婆が唄 っている。その唄に、晴明は目を瞠 った。
ああ、なにゆえに。
かの嘆 きに雨が降る。
白き骸 を濡らす雨が降る。
嘆きの雨は華 を咲かす。
その華の名は死 人 花 。
華を辿 ると、自然に昏 がりの地に着くという。
「媼 どの」
思わず声をかけた晴明に、老婆はゆっくりと顔を上げた。その目は光を有してはおらず、晴明の視線と絡むことはなかった。
「どなた――ですかの?」
「いきなり声をかけ申し訳ない」
老婆は誰ぞを弔 いに化野 にいるのか、それとも偶 然 に立ち寄っただけなのか、足となる杖 は彼女をここへ誘 うには心 細 い細 さである。
「この唄はある日、聞こえてきましてのぅ。あなたさまには、聞こえなんでしたかの?」
老婆は晴明が尋 ねる前に、唄のことを切り出した。
「いえ……」
「――それは残念じゃ……」
なにが残念なのか、老婆は多くは語らない。
ある日、かの唄は聞こえてきたという。盲 目 ゆえに、そうした音などに敏感なのか、奇 妙 かつ哀しげなかの唄は、老婆の耳に届いたのであろうか。
「まさに――この地にふさわしい」
光を宿さぬその目を細め、老婆は呟く。
化野は風葬地、数多くの魂 魄 が集まる所。だがそうしたモノの中には、この世に未 練 を残し、彼岸に渡れぬモノもある。己 が亡くなった理由もわからぬモノもいる。
なにゆえ、自分はここにいるのか。
なにゆえ――と。
雨など降らずとも、秋になればここにも華は咲くだろう。紅 い彼 岸 花 が。
晴明は奇妙な老婆に辞 儀 をし、狩衣の袂 を翻 した。
「この先はさらなる昏がり。気をつけるがよい。――安部晴明」
背に突き刺さる声に、晴明は躯 を強 張 らせ、老婆を振り返った。
だがそこにあの老婆の姿はなく、青い彼岸花が風に揺れていた。
はたしてあの老婆は何者だったのか。化野に眠る誰かなのか、それとも妖 が見せた幻か。
「昏がり? だから行くのではないか」
罠であろうと、行かねばならない。
陰陽師として――。
『晴明』
ふっと降りた神 気 に、晴明の緊張は解けた。
「騰 蛇 、妖 気 の正体、わかったのか?」
十二天将の一人・騰蛇は、宙に浮いた姿勢で腕を組んでいた。
『ああ。この先の廃 寺 に、大 髑 髏 がいた』
「大髑髏? あの大髑髏か?」
晴明はこれまで実際に対 峙 したことはないが、もし想像したモノが間違っていなければその妖の名は『がしゃどくろ』という。
小 山 ひとつほどの大きさで、死者たちの骸 骨 や怨 念 が集まって巨大な骸骨の姿になったとされる。夜中にガチガチという音を立ててさまよい歩き、生者を見つけると襲いかかり、握りつぶして食べると言われる有名な妖である。
『場所が場所だけにいてもおかしはないが、なにかおかしくはないか?』
怪 訝 なその顔に、晴明も眉を寄せた。
そう、なにかがおかしい。
大髑髏ほどの妖ならば、晴明の占いにも出る。だが今回、悉 くそれを覆 されることが起きている。人を喰 っているという蛟 、内裏を彷徨う幽 鬼 、そして大髑髏、蛟に関しては式 盤 ですら異変を読めさせなかった。
それでいて、謎の声が晴明の耳に届くようになった。
なにゆえ――、そう問いかける声の意味はなんなのか。
もしかすると、真 に祓 わねばならない相手は他にいるかも知れない。
『既 に賀 茂 の息子が対峙しているが、お前はどうする? 晴明』
「ここで、ああそうですかと帰るわけにはいかん。何もかの罠だろうとだ」
晴明の決意に、騰蛇はふっと笑った。
◆◆◆
その寺は――、化野に彷 徨 うモノたちを弔うために建 立 されたという。しかし最初の法 師 が彼岸の者となると後に続く者はなく、寺 は朽 ちていったらしい。
「保 憲 どの!」
遅れてやってきた弟弟子 に、賀 茂 保 典 は振り向いた。
「遅かったな?」
「すみません……」
大髑髏は文字通りの姿をしていた。
なにを食べたらそんなに大きくなるのか、地上にいる生き物は大髑髏を超えるモノはいないだろう。
黒く空いた眼 窩 、カタカタとなる歯、普通の髑髏 は何度か見たことがある晴明でも、小山一つほどの大髑髏には戦 慄 を覚える。
晴明は結 印 し、真 言 を唱 える。
「オン、アミリトドハン、バウンパッタソワカ!」
呪 が放たれるが、大髑髏ともなるとその骨は硬いと見えて、跳ね返されてしまう。
「まったく、あんなモノに噛 みつかれたら早くもあの姿にされる」
「保典どの、その冗 談 、笑えませんよ」
「人間、皮と肉を削 がれれば、誰もあんなものだぞ? 晴明」
確かに人は亡くなると、等しく同じ骨となる。
なれど――。
『なにゆえ……』
大髑髏が呟 く。
「……?」
『なにゆえ……我だけがかような目に遭う。なにゆえ――……』
「晴明、どうした?」
大髑髏の嘆きが、晴明に流れ込んでくる。
それが漂う妖気の仕業だと気づいた時は、周りはふっと何もかも消えて晴明は冥がりにいた。軽く舌 打 ちした晴明である。
周りは漆黒の闇である。隣にいた保憲も、眼 前 にいた大髑髏もいない。晴明だけが闇の中にいた。
(まったく、なにゆえと嘆きたいのはこっちのほうだぞ?)
だが晴明には、見慣れた光景であった。
子供時代、自分で作り出して逃げ込んでいた冥がり。現在 もたまに現れて誘ってくるかの地に、ここは酷 似 していた。となれば――。
どうやら強い妖気と亡 者 の霊 気 が、晴明を冥がりの地に飛ばしたようだ。
そんな晴明の前――、誰かが走ってくる足音があった。
胡 乱 に眉を寄せた晴明が見たのは、水 干 姿 の童 子 だ。
何かに追われているのか、必死な童子が晴明に近づいてくる。はっきりしてくるその顔に、晴明は愕 然 とした。
その童子は、幼い頃の晴明自身だったからである。
幼い晴明はぶつかる寸前に、晴明の視界から消えた。
いや――、消えたのは。
『安 部 童 子 、コッチヘオイデ。人間ナンカモウ忘レテシマエ』
冥がりの住人は、そう童子 に語りかけた。
かの
白い
なにゆえと、問うてくる。
我が声が聞こえたらば、
その華は
華を辿れば自然と
◆
皇族や貴族は
地を吹く風は、
まるで、早く
晴明は
まだ
さすがにこの
見てしまえば、迷いがさらに強くなる。
もし人でいられなくなったら――。
人と妖の血がせめぎ合い、こちらへこいと綱を引く。まったく
この近くに
先に、
歩き始めてまもなく、岩に腰を下ろしている
その老婆が
ああ、なにゆえに。
かの
白き
嘆きの雨は
その華の名は
華を
「
思わず声をかけた晴明に、老婆はゆっくりと顔を上げた。その目は光を有してはおらず、晴明の視線と絡むことはなかった。
「どなた――ですかの?」
「いきなり声をかけ申し訳ない」
老婆は誰ぞを
「この唄はある日、聞こえてきましてのぅ。あなたさまには、聞こえなんでしたかの?」
老婆は晴明が
「いえ……」
「――それは残念じゃ……」
なにが残念なのか、老婆は多くは語らない。
ある日、かの唄は聞こえてきたという。
「まさに――この地にふさわしい」
光を宿さぬその目を細め、老婆は呟く。
化野は風葬地、数多くの
なにゆえ、自分はここにいるのか。
なにゆえ――と。
雨など降らずとも、秋になればここにも華は咲くだろう。
晴明は奇妙な老婆に
「この先はさらなる昏がり。気をつけるがよい。――安部晴明」
背に突き刺さる声に、晴明は
だがそこにあの老婆の姿はなく、青い彼岸花が風に揺れていた。
はたしてあの老婆は何者だったのか。化野に眠る誰かなのか、それとも
「昏がり? だから行くのではないか」
罠であろうと、行かねばならない。
陰陽師として――。
『晴明』
ふっと降りた
「
十二天将の一人・騰蛇は、宙に浮いた姿勢で腕を組んでいた。
『ああ。この先の
「大髑髏? あの大髑髏か?」
晴明はこれまで実際に
『場所が場所だけにいてもおかしはないが、なにかおかしくはないか?』
そう、なにかがおかしい。
大髑髏ほどの妖ならば、晴明の占いにも出る。だが今回、
それでいて、謎の声が晴明の耳に届くようになった。
なにゆえ――、そう問いかける声の意味はなんなのか。
もしかすると、
『
「ここで、ああそうですかと帰るわけにはいかん。何もかの罠だろうとだ」
晴明の決意に、騰蛇はふっと笑った。
◆◆◆
その寺は――、化野に
「
遅れてやってきた
「遅かったな?」
「すみません……」
大髑髏は文字通りの姿をしていた。
なにを食べたらそんなに大きくなるのか、地上にいる生き物は大髑髏を超えるモノはいないだろう。
黒く空いた
晴明は
「オン、アミリトドハン、バウンパッタソワカ!」
「まったく、あんなモノに
「保典どの、その
「人間、皮と肉を
確かに人は亡くなると、等しく同じ骨となる。
なれど――。
『なにゆえ……』
大髑髏が
「……?」
『なにゆえ……我だけがかような目に遭う。なにゆえ――……』
「晴明、どうした?」
大髑髏の嘆きが、晴明に流れ込んでくる。
それが漂う妖気の仕業だと気づいた時は、周りはふっと何もかも消えて晴明は冥がりにいた。軽く
周りは漆黒の闇である。隣にいた保憲も、
(まったく、なにゆえと嘆きたいのはこっちのほうだぞ?)
だが晴明には、見慣れた光景であった。
子供時代、自分で作り出して逃げ込んでいた冥がり。
どうやら強い妖気と
そんな晴明の前――、誰かが走ってくる足音があった。
何かに追われているのか、必死な童子が晴明に近づいてくる。はっきりしてくるその顔に、晴明は
その童子は、幼い頃の晴明自身だったからである。
幼い晴明はぶつかる寸前に、晴明の視界から消えた。
いや――、消えたのは。
『
冥がりの住人は、そう