三の皿 「おいしい!」は共有できるのか

文字数 1,552文字

 月と匙は、大学時代に知り合った。
 横浜にあるY大学で、匙が2年だった時、所属していたサークルに、新入生として月が入ってきた。
 通称『CDRC(Cheap and Delicious Research Circleの頭文字を並べたものだ)』。要は、「安くて旨いものを探して食べ、評価する」という、名前そのままの趣旨の、20名ほどのグルメ系サークルであった。

 その頃の月はまだ黒髪を長く伸ばしていて、すらりと背が高く、とっつきにくいくらいきれいだった。でも反面、言動は鈍臭(どんくさ)く、いつもどこか恐縮している印象で、容姿が(うるわ)しい分、落差が余計にマイナスとなり、積極的にモーションをかける男はいなかった。
 しかし匙は、月の食いっぷりに()かれた。

 CDRCでは毎月1、2度、『評価会』なる会合を開いていた。
 みなとみらいや中華街、川崎や湘南にある注目の店を選び、その店で食事会(実質はコンパである)を開いて各人が5段階で評価する。それを集計し、WEBで発表するという活動だった。
 食事会の席で、月はいつも大口を開けて旺盛に食べ、「おいしい!」を連発した。
 珍味も激辛料理も躊躇(ためら)いなく口に運び、満面の笑みで飲み下す。見ていて気持ちのよい、見事な食いっぷりだった。
 ふたりとも自宅生で、匙は本牧、月は鎌倉に実家があった。
 親許から大学に通っていたために、下宿生と違って2次会、3次会にと深夜まではつき合えず、同じタイミングで会を抜け、帰り道が一緒になることが多かった。

 それは10月、厚木でシロコロ・ホルモンを「評価した」帰りだった。電車でふたりきりになり、匙と月はシートに並んで座っていた。
 電車の走る規則的な振動が、ふたりを心地よい揺れと音で包んでいた。月は沈黙を楽しんでいるふうにも見えた。が、匙は落ち着いていられるはずはなく、単なる話題ほしさに、それまで気になっていたことについて口を開いた。
「月ちゃんはさ、これまで全部の店に星5つ、つけただろ」
「え?」
 月は、驚いた顔で匙を見上げた。

「俺、集計係だから」
 好感度を意識して、にこやかに言ったつもりだったが、月は目をぱちくりさせて強張った。
「いや、別にいいんだよ? 全部満点でも」
 匙は焦って先を続けた。
「ただ、なんか気を遣ったりしてるのかななんて思ってさ。個人の評価内容は絶対に公表しないから、安心して、正直に採点していいんだよ」
「あ、ちが、ええと、気を遣うとか、そういうのは全然……」
 しどろもどろになりながら、月は片手をぶんぶんふった。

「じゃあホントに、全部満点で旨いのか?」
 匙の問いに、月ははにかんだようにくちびるを噛んだ。
「それって、基準甘すぎじゃん」
 匙は笑い、つられて月の頬もゆるんだ。
「だって、みんなで、楽しいんだもの」
「それ旨いのと違うだろー」
「そうですか? 先輩チェック厳しいデス」
 ようやく月は笑顔を見せ、匙は何とも温かい気分になった。もどかしいような、浮き上がるような、はじめて経験する熱源が、胸に灯っているようだった。

 クリスマスにベイクォーターへ誘い、正月は一緒に江島神社へ初詣に行った。中華街で春節イベントを楽しんだ頃には、すでにふたりはサークル公認のカップルになっていた。
 誰よりも旨そうに、好き嫌いなく、よく食べる。
 その月に、実は味覚がなかったなんて――。

   ***

 とけかけた氷が、グラスのなかで(はかな)げに鳴った。
 泣き疲れて眠る妻を前にして、匙はグラスを傾け、氷のかけらをいくつか口に流しこんだ。
 容赦なく噛み砕く。
 苦く、甘く、ドライジンが一瞬香り、青い月明かりに散っていった。

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