村人全員凶器不在被害者川流不在動機分未複雑怪奇説明困難殺人事件

文字数 2,785文字

 二つの大地を繋ぐ、巨大な金属の下。
 錆びついた赤い鉄橋の上には、昨日までの暗雲が嘘のように青い空が広がり、生い茂る緑と相まって景観を彩っていた。時折聞こえるハシナガウグイスの鳴き声が、厳しい冬の終わり、のどかな春の訪れを人々に告げる。

「やれやれ。こんな麗らかな午後に、殺人事件だなんて……」

 せせらぐ渓流の横に集められた人々を振り返り、深くため息をついた男はやたら芝居掛かった仕草で大きく両手を広げて見せた。

「皆さんに集まってもらったのは他でもない……」

 男の名は、平等院鳳凰堂。明らかに偽名である。人を信用してなさそうな腫れぼったい目つき。パーマ頭に、無精髭。ヨレヨレのTシャツに破けたジーンズという、見た目も明らかに安っぽくて怪しさ満点だ。

「一体何だって言うんですの?」
「まさか、犯人が分かったとか!?」

 自信たっぷりの男の前で、誰もが口々に騒ぎ出した。平等院は余裕の笑みを口元に浮かべ、ゆっくりと人差し指を天に掲げ彼らに告げた。

「ええ。実は犯人を……忘れてしまいました」
「何だって!?」
「それだけではありません。トリックも動機も……緊張ですっかりど忘れしてしまったんです」
「そんなバカな!?」

 突然の告白に、集まった人々はまるで探偵が意外な真犯人を指名したかのように、驚愕の表情を見せた。平等院は掲げた人差し指を、取り敢えず適当に目の前にいた男に向けた。

「おい、やめろ。俺が犯人みたいじゃないか」
「さっきまではちゃんと頭に入っていたんですがね……振り向いて皆さんの顔を見た瞬間、『あれ?』って」
「おいおい……」
「どうするんだよ。この村の関係者全員、一四三〇人を橋の下に集めておいて」
「今更『分かりません』だなんて、巫山戯るなよ」

 蜂の巣を突いたような騒ぎが、橋の下に集められた人々に広がっていく。遠くの山々から数羽鳥が飛び立った。

「何とかしろよ。都会の有名な探偵なんだろ。こっちは莫大な金アンタに払ってるんだぞ」
「そうですね……」

 平等院は口元に手をやり、考え込む仕草を見せた。

「では、第一の殺人から振り返って見ましょう。そのうち何か思い出すかもしれない。最初に殺されたのは、この村の村長の娘さん。娘さんは何者かにこの橋から突き落とされ、亡くなった……」
「おい、待て」

 やがて語りに入った平等院に、一人の男が横槍を入れた。

「第一の殺人って何だよ。被害者は一人だろ。第二の殺人なんて起こってないぞ」
「そうでしたっけ?」
「そうだよ。適当なこと言いやがって」
「しかし、第一の殺人は『村人全員にアリバイがあり凶器も見つからず被害者は結局川に流され見つからず動機も分かりにくくそのトリックについても未だ複雑怪奇で説明が困難』です。ここはまず、もし犯人がいたと仮定して。第一の殺人を明らかにする為にも、第二の殺人があったと仮定して二つ目の殺人から検証して行きましょう」
「訳がわからない……」
「でっち上げじゃないか」

 都会の探偵のやり方に、村人一四三〇人全員が頭を抱えた。平等院は無視して続けた。

「第二の殺人のキーワード……それは『炎』です」
「いや起こって無いんだろ?」
「皆さん思い出してください! あの日のことを。一体何故、被害者の体は突然炎に包まれたのでしょう?」
「あの日って、どの日?」

 混乱する村人を尻目に、平等院がさらに畳み掛けた。

「村人全員が見守る中、一見自然発火したかのように見えるあの不可思議な事態……それには巧妙なトリックが隠されていたんです」
「いい加減にしろ。一体何がどうやって、目の前で人が燃え出すって言うんだ?」
「それは、ね……」

 平等院がくすりと笑みを零した。そしてポケットの中から、徐ろに”真っ黒な枝”と”スマートフォン”を取り出して見せる。

「携帯電話?」
「一体何を……?」
「『人体自然発火現象』は、昔からよく見られるものです。周囲に火の気がなくとも……例えば一九八八年にイギリスで起こった事例で言えば、サウザンプトンのアルフレッド・アシュトンという男性が、辺りに全く火の気が無いのに、下半身だけくっきり残して焼け死んでいます」

 探偵が淡々とネット記事を読み上げるのを、村人達は固唾を飲んで見守った。

「当時室内は高温で……原因は煙草とも、アルコールとも、それから……すいませんこれ何て読むんですか?」
「リンよ」
「それから燐とも言われています。黄燐はよく燃えますからね。最近の研究では、糖尿病に伴い、ケトーシスと言う体内のケトン体が異常に増え、それが人体を燃えやすくするのでは無いかと言われています」
「そんなことが……!?」
「枝はなんだったの?」
「うーむ……。だがそれが一体、第一の殺人とどう繋がるって言うんだ?」
「それは……」
「待って!」

 探偵が口を開きかけたその時。赤い鉄橋の上から、一人の少女が集まった人々に叫んだ。

「早苗!」
「早苗ちゃん!?」
「ありゃあ、村長さんトコの一人娘……!?」
「サナちゃん、アンタ生きとったんか!」

 口々に驚きの声を上げる村人に、早苗と呼ばれた若い少女が険しい顔で探偵を指差して叫んだ。
「おじいちゃん! その男よ! 私を橋から突き落としたのは!」
「なんだって!?」
「その男が、この前突然私を連れ出して……『事件が起こらないから』って、訳わかんないことを……」
「そんなバカな!?」

 突然の告白に、集まった人々はまるで探偵が意外な真犯人を指名したかのように、驚愕の表情を見せた。皆の視線が集まった平等院は、取り敢えず適当に人差し指を目の前にいた男に向けた。
「皆さん……信じるのですか!? あの少女のことを!」
「当たり前だろ」
「では……では、どうすると言うのです? 警察に突き出しますか? わざわざ莫大な金を払って、私を呼んでおいてまで?」
「そうだな……ここは貧乏な村だし」

 いつの間にか、探偵は村人に囲まれていた。

「第二の殺人が起きても……誰も口外はしないじゃろうよ」
「第二の殺人? 第二の殺人はまだ起きていませんよ? それは仮定の話で……」
「皆にアリバイがあるしな」
「ちょっと……狭いです、やめ……」
「凶器は見つからない……あくまで自然な現象……」
「『被害者は、川に流され見つからず』……ってのはどうだ?」
「いいね。動機も分かりにくいし、トリックも誰も解明できないだろうよ。まさか村人全員が共犯者だなんて、な」
「何の話をしてるんですか?」

 二つの大地を繋ぐ、巨大な金属の下。錆びついた赤い鉄橋の上には、昨日までの暗雲が嘘のように青い空が広がり、生い茂る緑と『自然発火』した橙が相まって、景観を彩った……。
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