21 絶対矛盾的自己同一
文字数 1,570文字
さて、ここから先へ進むのは、いまのぼくには難しい。
アートマン=<はたらき>は、詰まるところ、この世界を生成している<はたらき>と同じものだ、というのが『ウパニシャッド』の真髄であり、かつ、シャンカラの思想でもあるんだが、ここから踏み込むには、物理学の知識が不可欠だ
世界(宇宙)はバラバラではなく、どうしてこのようにまとまっているのか。
このように在るのは、いかなる<はたらき>があってのことか。
現代物理学では、4つの<はたらき>
①重力
②強い力
③弱い力
④電磁気力
が、世界を生成している、ということになっている
それがなければ、そもそも世界(宇宙)も、ここにいるこの私も誕生しなかったであろう、根源的な<はたらき>が、確かに在る。
その<はたらき>に、世界は満たされ、私も満たされている。
ブラフマン=アートマン。
梵我一如の実相とは、世界が、あなたが、私が、<はたらき>に満たされていることに他ならない
単純化して言ってしまえば、そういうことだが、世界(宇宙)について考えれば考えるほど、なんていうか、不思議な感情が芽生えてくる。
たとえば、ぼくは中学校の理科の時間に、マイナスの電荷をもつ電子について習った。
大人になり、物理の本を読んでいて、プラスの電荷をもつ陽電子があることを知った。
物理について調べれば調べるほど、あるものには必ず反対のものがあることを知らされる
またどこかで改めてしっかり語り直したいと思うんだが、ぼくがリスペクトする西田幾多郎という哲学者は、これを絶対矛盾的自己同一と言った。
この絶対矛盾的自己同一的な<はたらき>を、ブラフマン=アートマンの思想とね、つなげて感得しちゃってるのがさ、ぼくの立ち位置
ある程度すでに調べてあるんだけどさ、なかなかまとめていく時間を割けなくてね・・・・・・
そのうち、落ち着いたらさ、続きを再開します。
ただ、言い訳ではないけれど、ブラフマン=アートマン(梵我一如)をどう理解し、どうとらえるか、ってのがね、インド哲学(思想)の本丸だからさ、まぁここらへんで小休止としても、突くべきところは一応は突いたんじゃないかなぁ・・・みたいな