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文字数 1,309文字

 会議室の奥にある部屋は、五年前までは空き教室だったと聞いたことがある。今では俺がすっかりお世話になる部屋になってしまった。俺の意思ではないが。
 引き戸を三度ノックすると、中から返事が聞こえる。それを開けると、男性教諭が魔法瓶を片手に立っていた。
「碌くん、来ましたか」
「田中で良いです」
「でも田中って人沢山いるからなぁ」
 田城先生は此方に手招く。俺はいつものように対面ソファに腰を掛けた。
「この一週間はどうだった?」
「先週と変わらないです」
「大丈夫だったんだ」
 先生が紙袋から取り出した缶クッキーを皿に出し、俺の目の前にあるテーブルに置いた。その内の一枚を摘む。
 先生は長い脚を組んで、此方に向き直った。髪は少し明るい茶髪を短く切りそろえており、凝ったヘアセットをしたら渋谷で美容師をしているか、モデルの職をしていそうな容姿になる。
「確か、永冨くんと沙川くんが話しかけてくれるようになってからだよね」
「そうですね」
 俺が虐められなくなったのは、その二人がきっかけだった。新学期を迎えたと同時に自分が転校して丁度半年経った時のことである。一人でいるの俺を珍しく思ったのか、声をかけてきたのだ。どちらが声をかけてきたかは覚えていないが、そのころからパタリと意地の悪い戯はなくなったように感じていた。
「そういうわけなんで、週に一回通うの辞めたいんですけど」
「えー? それだと僕が暇になるから嫌だな」
「俺も先生の暇潰し相手になるの嫌なんですよね」
 紅茶を一口含む。いつもと同じダージリンだった。
「でも、お互いにメリットがあると思うんだよね」
「例えば、何ですか」
 先生がクッキーを口に運ぶ様を眺める。伏した睫毛が艶っぽいとかいう理由でこの先生に想いを馳せる人がいたらしい。事実、顔は整っている。
「君が来てくれることで、僕は休息が取れる。相談者がいる時は他者の面談は拒否出来るからね。君は建前上は悪い戯が解決していないことにすれば、それに託けて都合良いことが言えるんじゃないか?」
「それは……そうですね」
 一限をサボって教師から口出しされなかったのは、言わばそういうところにある。
「それにここに来ればお菓子が食べられる! ラッキーでしょ」
「いやそれは何とも思ってないんですけど」
 先生があからさまにしょげた様に視線を落とした。結構これ高いのにな、という小言が聞こえる。
「いやでも、誰かしらの先生と仲が良いと不便ないと思うんだけど」
「先生と仲が良い事になってたんですか俺は」
 気がつけば、皿に盛られたクッキーが無くなっていた。俺は伸ばしかけた腕を大人しく膝の上に戻した。
「え? そのつもりだったんだけど。もしかして友達いたの?」
「先生はそうやって生徒を虐めるんですか」
 先生はすまないと言って訂正した。
「でもその感じだと仲良くしてるんだね、あの二人とは」
「まあ、そんな感じです」
 部屋の壁に掛けてある時計が十七時を差したのと同時に、先生は自身の腕時計を確認した。
「うん、もう時間か」
「そうですか」
 引き戸の前に立った俺に向けてヒラヒラと手を振っていた。それに対して会釈をし、その教室を後にした。
 これがいつもの水曜日の放課後である。
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