第二章 始まりは偽物の香り(四)

エピソード文字数 3,619文字

 アントニーは快活かつ上品に笑うと、挑戦的な態度で申し出た。
「この部屋の中にある美術品の中に、実は一つ偽物がある。僕は、もちろんどれが偽物か知っている。先ほどの貴方の説明が本当なら、そこの木偶の坊君にも、偽物がわかっていなければおかしい。もし、木偶の坊君が偽物を見分けられなかったら」

 アントニーは指で銃の形を作って顳顬(こめかみ)に当てた。
「左近さん、拳銃を頭に当てて引き金を引いてもらいましょう」
(なんだって!)

 等々力は部屋の中を改めて見渡した。部屋にある美術品は、二十や三十じゃない。しかも、アントニーは目に見える範囲と言わず、部屋の中と発言した。
 部屋の抽斗の中にあるかもしれない万年筆。
 クローゼットの中にあるかもしれないアンティークの衣装掛け。
 アントニーの服の内ポケットに中にあるかもしれない懐中時計。

 可能性を挙げれば、際限がない。
 左近さんは、うまく断ると思った。ところが「いいわ」と返事をした。
 アントニーが「さあ、あとは君しだいだね」と等々力を見た。
 等々力は断ろうと思ったが、別の考えが浮かんだ。

(これ、ひょっとして、チャンスかも。ここで俺がもし失敗したとする。アントニーさんの性格からして、本気で左近さんの命まで本当に取ろうしようとはしない。精々、左近さんを笑い者にして終了。仕事は途中でキャンセル。つまり、俺は危険な目に遭わないで帰宅)
 等々力は是非やらせてくださいと言いたかった。だが、邪念を左近さんに見透かされれば、後できついお仕置きが待っている気がした。

 等々力は等々力自身の身を守るために「やめましょう。こんなの、誰も得しませんよ」と自信なく切り出した。案の定「これが僕だって」とアントニーに大笑いされた。
 左近が凄く怖い顔で睨んできたので「わかりました。やりますよ。やればいいんでしょう」と、さもやりたくないけどやっているように声を出した。

(予防線は張ったぞ。これで失敗して後で責められても「だから、言ったじゃないですか」と開き直って言い訳できる)
 等々力は「少し待ってくださいね、アントニーさんになりますから」と弱弱しく発言した。等々力の声を聞いて、アントニーは腹を抱えて笑った。

 等々力は目を瞑って、外界をシャット・ダウンした。
 アントニーの人物像を頭に思い描いた。アントニーと左近との会話から膨らんだイメージ像から、相手をより深く理解する。

 等々力が目を開いた時、全く思いも掛けない言葉が口から出た。
「いいだろう。勝負を受けようじゃないか。ただし、僕が負けたら、拳銃の引き金は僕が引く。僕が勝ったら、そうだね、この部屋の中にあるものを一つ貰おうかな」

 アントニーが等々力の声を聞くと、笑うのを止めた。
 等々力は「受けるの? 受けないの?」と挑戦的に聞いた。アントニーは珍獣でも見た顔になってから、面白いというように「OK、いいだろう」と発言した。

 等々力は自然な態度で部屋の机の前に移動し、鋏がないかを確認した。だが、鋏はなかった。
 そのまま机の中を開けた。すると、鋏はないが、ペーパー・ナイフがあったので、手に取った。
 見渡せば美術品だらけ。美術品は古今東西あり、調和が取れていなかったのが少し奇妙に見えた。美術品の調和なんて、今はどうでもいい。

 アントニーの視点で部屋に目をやると、自然と二枚の絵に目が行った。
 等々力は普通に絵の前に移動した。
 一枚は女性が窓辺で手紙を読んでいる写実的な絵。
 一枚は富士山を描いた日本画。

 富士山の日本画が持つ空気に、どこか田舎くさい粗悪な物を感じた。等々力は平然と手に持っていたペーパー・ナイフを日本画に突き刺した。
「やベえ、俺、何をやっているんだろう」と思い、一瞬、心が怖れで空白になった。
 日本画が本物だったら、十万ユーロ以上するかもしれない。だが、手が動いてしまった以上、もう後には引けない。

 ペーパー・ナイフをゆっくり動かし、画を切り裂きながら、等々力に戻った心をアントニーに戻していった。
 等々力は振り返って、ペーパー・ナイフをアントニーに軽く放り投げて言い放った。
「偽物はこれだろう」

 アントニーは怒った顔で叫んだ。
「なんてことをしてくれたんだ。それは、横山大観の『富士』だぞ」
 アントニーの怒りが演技だと思ったので、素直に笑った。
 等々力の笑い声は等々力自身でも驚くほど自信に満ち、先ほど左近を笑ったアントニーそっくりだった。

 アントニーに近づき、軽くアントニーの胸を指差して指摘した。
「あれが、横山大観の作品だって。だとしたら、この部屋には、少なくとも二つ偽物が有った状況になるね。一つは田舎大観と、君の目だよ」

 アントニーは怒りの表情を消して、軽い驚きの表情を浮かべて微笑んだ。
「なるほど、宣伝するだけのことはあるね。僕でも、同じような行動をとって、同じようなセリフを口にするかもしれない。約束通りに、この部屋にある物で好きなものを一つあげるよ」

 アントニーは「偽物は一つ」だと発言していた。
 つまり、この部屋にあるのは全て本物の美術品。おそらく一つでうん千万円はする高価な物も存在するはず。一つ貰えるなら、なるべく高価な品がいいと普通は考える。
 されど、等々力は気を緩めなかった。

 アントニーなら美術品は貰わない。アントニーなら、こうする。
「では、一番価値ある物を頂くとしようかな」
 等々力は柴田の前に移動する。親指と人差し指で柴田の顎に添え、柴田の唇を上げさせ、横目でアントニーを見て「では、約束通り、一ついただくよ」と発言した。

 アントニーは等々力の行動に驚いた。でも、何も言わずに、ただ少し悔しそうにしていた。等々力は柴田の顔を見ると、柴田が諦めたように目を閉じた。
 等々力は柴田がアントニーに好意を持っているのを、すぐに自覚した。
 同時に、柴田が等々力にアントニーを重ねて錯覚している状況を理解した。なぜか、等々力は少し悲しい気分になった。

 等々力はキスする寸前で「やーめた」と中止して左近の前に移動した。
 左近から拳銃を受け取り、顳顬(こめかみ)に当てた。等々力は引き金を素早く連続して六回引いた。
 弾は出なかった。

 アントニーが本当に弾を入れていないと思ったら、思った通りだった。
 等々力は呆気にとられているアントニーに銃を渡して、勝者の余裕を見せながら言葉を掛けた。
「拳銃を頭につけて引き金を引いたから、僕の負けだね。だから、賞品は受け取れない」
 等々力は柴田を手で指し示して、紳士のように発言した。
「僕は君に負けたんじゃない。彼女の心根に負けたのさ」

 アントニーは等々力のセリフを聞いて、街中でドッペルゲンガーにでも遭遇したかのように驚いた表情をしていた。
 等々力は、アントニーがいつも座ると思われた椅子に自然に腰掛け、足を組んだ。

 半ば呆然とする柴田に声を掛けた。
「どうだい、今日の僕はエレガンだったかな。それとも、少し上品すぎたかい」
 突然、声を掛けられた柴田はハッとなり、すぐに、上ずった声で応じた。
「エレガンです、坊ちゃま」
 柴田が冷たい態度を崩し、確かに等々力を「坊ちゃま」と呼んだ。

 柴田がすぐに気まずそう態度になった。柴田の態度が、左近の勝ちを表していた。
 アントニーが少し面白くなさそうな顔で、左近を見ながら発言した。
「柴田が同じ視界に僕がいるのに彼を僕だと誤認させた以上、ゲームは僕の負けだと認めざるを得ない。だが、納得いかない点もある」

 アントニーが子供のように柴田に尋ねた。
「柴田、僕はこんなに格好つける人間じゃないよな。それに、こんな嫌味な人間でもないだろう」
 柴田が控え目に、毒を交えて発言した。
「坊ちゃまは、普段なぜ人に嫌われるのかわからないと申されておりました。彼とお会いになられて、少しは理由がおわかりなったと思いますが」

 アントニーは少し表情を和らげて等々力を見た。
「なるほどね。自分の思い描く僕と、他人から見た僕は少し違う、か」
 アントニーは爽やかに微笑して、等々力を認める口ぶりで評した。
「でも、彼は使えるね。彼がいれば、つまらないレセプションに僕の身代わりに出てもらえばいい」

 等々力はアントニーのまま返した。
「ああ、あれは、時間の無駄だね。僕だって嫌さ、代わりにティディベアのぬいぐるみでも置いておいて欲しいね。どうせ、皆が見ているのは父の影さ」
 等々力の言葉に、アントニーと柴田の顔がわずかに歪んだリアクションを等々力は見逃さなかった。
 やりすぎたと思って。心のスイッチを切り替えて等々力に戻って「すいません。言い過ぎました」と弱弱しく謝罪した。

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