番外編 静かなる舞

文字数 5,391文字

(12月のお題コミュ、『魔法』に因んだ作品です、新キャラが早くも番外編にw)

           『静かなる舞』

 大晦日の夜十一時過ぎ、志のぶと晴子は鎌倉・鶴岡八幡宮の境内で肩を並べて、参拝の順番を待っていた。
 鶴岡八幡宮は本殿、拝殿に通じる大階段で知られている、一度に多くの参拝客が集中すると危険なので、大階段下にある舞殿の前にロープを張って入場規制しているのだ、とは言え、ここで待つことはさして苦にならない。
 鎌倉には幾多のお寺があり、八幡宮の境内にいても、そこかしこから除夜の鐘の音が響いて来る。
 除夜の鐘は人の煩悩を払うと言う、ショッカーとの戦いの日々で疲れた心を癒してくれるような、澄んだ、深みのある響き……志のぶは心洗われるような心地でいた、身に染み入る寒さもむしろ心地良く感じる。
 だが、同じ鐘の音を聞きながら、晴子は少し落ち着かない様子だ。
 
「どうかしたの?」
「……気のせいなら良いんだけど……」
 晴子は現代に生きる陰陽師、安倍晴明の末裔である。
陰陽道では、万物は陰と陽、二つの『気』から生じるとされ、陰陽師はそれらを敏感に感じることができる、そして、呪術、占術を用いて災厄を回避することをその使命として来た。
その晴子が何か嫌な『気』を感じるということは……。
「ひょっとして、ドゥーマンが?」
「ううん、陰陽師の『気』じゃないの、なにか別なもの……ずっと昔の、でもすごく強い『気』……深い悲しみと怨みを感じる……それと、何か別の『気』も……」
「昔って、いつ頃の?」
「千年くらい前……」
「千年? 『気』ってそんなに長く残るものなの?」
「陰の『気』が強く残ると怨霊になるの……」
「怨霊? 千年も続く程の悲しみが怨霊になったら……」
 志のぶがブルっと震えたのは寒さのせいばかりではない。
 形あるものの物理的な攻撃に対してなら、怖れは感じない、勇気を持って、しかも冷静に立ち向かえる、しかし、相手が怨霊となると話は別だ。

「あ……あの巫女さん」
 晴子の視線を辿ると、一人の巫女が大階段を降りてくるのが見えた。
「あの巫女さんが、何か?」
「彼女、おそらく霊感が強いのね、陰の『気』が彼女を選んで操ってる」
「怨霊に取り憑かれてるってこと?」
「ちょっと違う……『気』に突き動かされてる感じ……そもそも、その『気』は怨霊ともちょっと違うの、陰の『気』が強いのは確かだけど、そればかりじゃない」
「陽の『気』も感じるってこと?」
「それとも違う……陰と陽、二つの『気』が揃えば怨霊にはならないわ、陽の『気』じゃない、何か別の『気』を感じるの」
「……危険が?」
「わからないけど……邪悪な感じはしないわ」
「でも、目を離さないほうが良さそうね」
「うん……」

 巫女は静々と舞殿に上がる。
 参拝客は何が始まるのかと、期待をこめて彼女を見つめている。

「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」

 巫女は声高らかにそう詠むと、静かに舞い始める。

「……静御前……」
 晴子がそう呟いた。
「静御前?……そう言えばここって……」
「あたしがここに来たのがいけなかった……」
 晴子が呟いた。
「え?」
「きっと、静御前の『気』が、あたしの、陰陽師の『気』を感じて動き出したんだわ」
「そんな……晴子ちゃんのせいじゃないわよ……」
 晴子には、蘆屋道満の血を引くアシャード・ドゥーマンとの戦いで助けてもらっている、正義のために共に戦ってくれたのだ、その晴子が、怨霊を呼んだなどとは思いたくない、だが、晴子は常人と違っていることもまた確かなこと……。
 志のぶの気持ちは乱れた。

 静かに始まった巫女の舞は、徐々に熱を帯びて来る、そして……。

「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」

 そう詠むと、あろうことか、巫女は見る見る内に鬼の形相に変わって行くではないか!
 始めは寒い中立って待っている参拝客へのサービスか? と眺めていた人々も騒然とし始める。

「晴子ちゃん……あっ」
 志のぶも巫女の変化に気を取られていた……その間に、晴子は既に舞殿に上ろうとしていた。
 そして、鬼と化した巫女が、晴子を認めてカッと口を開けると、その中にはちろちろと燃える火が……。
 晴子は陰陽師、しかし、身体能力的にはごく当たり前の若い女性だ、もし鬼が物理的攻撃を仕掛けて来たら危険だ……志のぶは舞殿に駆け寄ろうとするが、人垣で上手く進めない。

 しかし……鬼は晴子に襲い掛かろうとはしなかった、二人は舞台の上でしばし向かい合っている……隙を覗って対峙している様子ではない、心と心で何かを語り合っているような……。
 しばらく向かい合った後、晴子は小さく、しかしはっきりと頷き、宙に五茫星を描いて呪を唱える、すると、鬼はばったりと倒れ、その顔は見る見るうちに元の巫女に戻って行った。

「晴子ちゃん!」
 ようやく舞台に辿りついた志のぶが晴子を呼ぶと、晴子は振り向いてさっと舞台から飛び降りた。

「今、何が起きたって言うの?」
「説明は後で……静御前と約束したの、今から由比ガ浜へ行きましょう」
「……由比ガ浜?……海岸へ?」
「そう、あ……お線香が手に入ると良いんだけど……」
「一束で良ければ持ってるわ、マッチもよ、帰りにどこかのお寺に寄って、おばあちゃんに手向けようと思ってたから」
「良かった! それ、借りて良い?」
「もちろん構わないけど……どういう事?」
「それは道々話すわ、早く行きましょう」
 意味がわからないが、陰陽師たる晴子の言うことだ、従った方が良いのは間違いない。
 由比ガ浜へ向かうには、人の流れとは反対方向に進まなければならない、しかし、くの一である志のぶは人の動きを読むことができる、晴子をかき抱くようにして、人の波を縫うように若宮大路を由比ガ浜目指して逆走して行った。


「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色……」
 由比ガ浜の砂浜に線香を立てると、晴子は一心に般若心経を唱え始める。
 陰陽師は僧侶ではないが、おそらく両親を同時に亡くした際に憶えたのだろう。
 般若心経なら、志のぶも祖母の墓前で唱えるためにそらんじている、二人は線香が燃え尽きるまで般若心経を繰り返し唱和し続けた。

 線香が燃え尽きると、晴子は宙に漂う『気』に神経を集中する……。

「良かった……鎮まってくれたわ……」

 晴子がようやく肩の力を抜いて、そう呟く。
 海岸にはカウントダウンで一騒ぎしようと若者たちが集っていて、『何が始まったんだ?』とばかりに二人を取り巻いていたのだが、その人の輪も自然と解けて行った。

「どういう事? 説明してくれないかしら?」
 志のぶが穏やかに訊くと、晴子はようやく訳を話し始めてくれた。

「大銀杏よ」
「大銀杏? 何年か前に倒れたって言う、あの銀杏?」
「そう……あの大銀杏は、静御前の深い悲しみと怨みを、千年の間、ずっとその胎内に宿し、封印していたの」
「それが倒れたから……」
「ええ、宿るものがなくなって、静御前の『気』は八幡宮の境内を彷徨っていたのね……そこへあたしが境内に……結界に足を踏み入れたものだから、あの巫女さんを媒介に選んで、あたしに訴えかけてきたの」
「ごめん、その辺りの歴史って、良く知らないの」
「うん……およそ千年前のことよ、静御前は源義経公と深く愛し合っていたことは知ってるでしょう? その義経公が兄である頼朝公に追われた時、山中で離れ離れになってしまってね、彷徨っていた所を捕らえられた静御前は、鎌倉に送られたの、そして、あの境内で頼朝公に命じられて舞った……その時詠んだ歌が、巫女さんの唇から出たあの歌よ……義経公を想う気持ちを歌にして、気持ちを込めて舞ったの、頼朝公は大層怒ったけど、静御前の一途な気持ちと見事な舞に感銘を受けた御台所に諌められて怒りを静めた……でも、静御前が義経公の御子を身ごもっていることは看過できなかったのね……産まれて来た子は男の子だったから、取り上げられて、この由比ガ浜に沈められた……」
「そんな……悲し過ぎる……」
「そう、子供を奪われ、殺された母親の悲しみと怨み……それは千年経っても癒えるはずもないわ……大銀杏に抱かれていれば、鎮まっていられたけど……それで、あたしに訴えかけるために、巫女さんに乗り移ったの」
「何か、心と心で対話しているように見えたけど、そう言うことだったのね」
「うん……もう一度鶴岡八幡宮に戻りましょう、やらなきゃならないことがあるわ、静御前と約束したの」
「わかったわ」


 境内に戻ると、気を失っている巫女を介抱していた神職が晴子の顔を覚えていて、ロープの内側へ通してくれた。

 晴子は倒れた大銀杏の切り株から芽生えた子銀杏の前に立ち、五茫星を描いた紙を張って呪を唱え始める。
 ぶつぶつと呟くように始まった呪文だが、それは段々と熱を帯びて行く、晴子にとっても簡単な仕事ではないようだ……そして、晴子が『はあっ』と五茫星を指差した時、それは一瞬だがまばゆい光を放った。
 晴子の様子を覗うと、精根尽き果てた、と言うように肩を落としている。

「終わった……静御前の『気』はこの子銀杏に宿ったわ、もう彷徨わないで済む」
 そう言うと、大階段は昇らずに、下から拝殿に礼だけすると、ざわつく参拝者達を尻目にきびすを返す、いつの間にか除夜の鐘も打ち終えられていた。



 晴子は、押し黙ったまま小町通りを駅に向かう。
 ちょっと塞ぎ込んだような様子に、志のぶも声を掛けられなかったのだが……。
 

「あ、お汁粉屋さん」
「え?」
「晴子ちゃん、お汁粉、食べて行きましょうよ、彼、甘いものは苦手だから、一緒に歩いていても甘味屋さんは素通りなの、ね? 食べてこ♡」
「う……うん」


 お汁粉を待つ間、晴子はようやく口を開いた。

「巫女さんの顔、鬼に見えたでしょうけど、あれって鬼子母神のお顔だったの」
「それって、鬼とは違うの?」
「元は人間の子供を攫う鬼だったけど、改心して母親と子供の守り神になった……ツノがなかったからすぐにわかったわ」
「そうだったんだ……」
「子を失った悲しみと頼朝公への怨みは消えていないわ、悲しみと怨み、それは陰の『気』よ……」
「そうでしょうね……でも、別な『気』も感じるって……」
「うん、最初は何の『気』かよくわからなかったけど……」
「でも、静御前は怨霊にはならなかった……それは晴子ちゃんが感じた別の『気』のせいね? それって何なの?」
「静御前は、もう二度と自分と同じような目に遭う女性が現れないことを強く願いながら亡くなったの、権力のために幼い命が奪われることがないように、母親が幼子を奪われて悲嘆にくれることがないようにって……それは『憂い』よ、陽の『気』ではないけれど、陰の『気』でもない……それがあったから静御前は怨霊にはならなかった、でも陽の『気』でもないから霊は鎮まらない、そして、人に害成すことを恐れて、大銀杏に宿してもらうことで自らを封印したの、でも子銀杏にはまだそれほどの霊力はないから、自らをそこに封印するには手助けが必要だったのよ……舞殿で頼まれたことは二つ、一つは由比ガ浜に沈められた子を供養してあげて欲しい、もうひとつは自分の抑え切れない『気』を、あの子銀杏に封じて欲しい……って」
「そうだったの……静御前って、きっと優しい人だったのね」
「そう思う、それなのに……」
「それなのに?」
「ウチの子供たちには、親に捨てられた子もいる……」
「あ……」
「むしろ、静御前には鬼子母神の姿を借りて子供を捨てる親を懲らしめて欲しい……あの時、ちょっとそんなことも思っちゃった……」
「……晴子ちゃん……」
「静御前はそんなこと望んでなかったのにね……」
「……でも……晴子ちゃんの気持ちはわかる気がする……」
「ありがとう……志のぶさん……でも、あたし、チラっとでもそんなことを考えちゃった自分が嫌で……子供を捨てた親だって、どうにもならない事情があって、子供の幸せを願いながら、身を切る思いで捨てたのかも知れないのにね……」
「そうね……」

 志のぶはそれ以上言葉を継ぐことができず、しばしの間、重い沈黙が流れた。
 しかし、幸い、その沈黙を暖かい湯気と甘い香りが救ってくれた。
 注文したお汁粉が運ばれて来たのだ。

「わぁ、おいしそう!」
 晴子は顔を上げて眉を開いた……可憐な顔に輝く笑顔が広がる。
「うん、寒かったし、ちょっとお腹も空いたし、こんな時はお汁粉よねぇ」
「うん……わぁ! 甘~い」
「う~ん! おいしいわねぇ!」
 
 どれだけ重いものを背負っていても、晴子は若い女の子、甘いものを口にした時の心からの笑顔に、志のぶの心も軽くなる……そうだ、お土産に鳩サブレーを買って帰ろう、施設の子供たちの分も……。
 子供たちの笑顔を思い浮かべると、心が弾んで来る志のぶだった……。
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