第一章 ファイブカード(3)

文字数 3,729文字

 ルール表には書かれていなくても、考えてすぐに心当たりが浮かんだ。
 拒否は英語でrejectまたはrefuse。
 つまりこの『R』2個は“拒否”2回を意味しているのではないかと。
 意味が分かり、さらに愕然とした。
 なぜならこの『R』2個は、まだ玄をカモとして認識していなかったプレイヤーにまでその事実を公表していることになるからだ。
 これではまるでカモたちだけが暗闇の中でヘッドランプを点けてかくれんぼをしているようなものだ。
 絶望的状況に気が遠のきそうになった。
 でもここで諦めたら、また明日からの借金生活が待っているだけ。
 そんなの嫌だ。
 やるしかない。
 気持ちを奮い立たせて、とりあえずバトル逃れのトーク相手の厳選を始めた。
 今明るくなっていないゲーテの微笑みに狙いを絞った。
 深呼吸して、指先に神経を集中して、コマンド画面の【NO】をクリックすると同時にカーソルを走らせた。

「ピポン」

 沙織の奮闘を嘲笑うかのような乾いた電子音が、カーソルがゲーテの微笑みに届く寸前で鳴った。
 hitomiのひとみからのバトル申し込み。3回目のバトルが申し込みだ。
 あぁ!! 
 沙織は天を仰いだ。
 このタイミングで間に合わないの? 
 じゃあ、どうすればいいのよ!
 やはり私を狙っているのは猛者中の猛者。
 それを上回るにはもっと早くトーク相手をクリックしなくては駄目ってこと?
 ゲーテの微笑みは【NO】のボタンから距離がありすぎた。
 もっと最短で行けるプレイヤー……。
 【NO】のボタンは画面中央よりもやや右下に表示されているから、見えている中で一番近いのはザクロというプレイヤー。その上のプレーヤーの方が距離的には近いかもしれないけど、コマンドで隠れているので明かりがついているかどうかの状態が見えない。
 だからザクロを狙うしかない。だけどあいにく今は明るくなっていてトーク中かバトル中のためトークを申し込める状態じゃない。
 バトル申し込みの回答時間が残り2分を切った。時間が過ぎれば自動的にバトルへ突入する。
 ザクロの次に近いのはお宅じじいか、なで肩japanだが、偶然なのか意図されたものなのかこの2人も明るくなっている。
 お願い、誰か早くトークを終わってよ。
 祈りながらも、3人のうちの誰かの明かりがいつ消えてもいいように、画面上でカーソルを走らせ距離感のシミュレーションを繰り返した。
 
 その間に、また新たな発見があった。
 リスト上のいくつかの名前のセルがいつのまにか黒くなっていた。
 他にはグレーになっているプレイヤーやゴールドに輝いているプレイヤーもいる。
 いずれもルール表には載っていないけど、燦然と輝くゴールドはその神々しさからおそらくセカンドステージ進出を決めたプレイヤーだろうと推測できた。
 もうセカンドステージ進出を決めたプレイヤーがいる……。
 そう思うと、沙織の心はずっしりと重くなった。
 反対に黒くなったプレイヤーは、それが醸し出す死者のような雰囲気から、バトルに敗れてリタイアしたプレイヤーだろうと察しがついた。
 数秒後の自分の姿かと思うとぞっとする。
 ただ、数人いるグレーのプレイヤーというのはどういった状態なのか見当もつかない。
 
 hitomiのひとみからのバトル申し込み拒否のリミットが残り1分を切った。
 だけど狙っている3人のうちの誰も明かりが消えてくれない。
 お願い、誰か早くトークを終了してよ! このままじゃただお金を捨てに来ただけで、何のためにゲームに参加したのか分からないじゃない! 
 そんなのあまりにも悲しすぎる……。
 お願い神様、私に一度だけチャンスを下さい。
 ふだん信仰心などそれほど持ち合わせていないけど、顔の前で手を合わせて祈った。
 その瞬間、ザクロの明かりが消えた。
 沙織は慌てて右手をマウスに戻し【NO】のボタンをクリックしようとしたけど、急いだせいでカーソルが【NO】のボタンから外れてしまった。
 カチッとクリックが空振りした音が響く。
 すぐにカーソルを【NO】に合わせ直したが、時すでに遅くザクロは再び明るくなっていた。
 やってしまった……。
 最初で最後のチャンスを……、神様が与えてくれたチャンスを、自分のミスで棒に振ってしまった。
 虚脱感と敗北感に襲われ、沙織はうなだれた。

 脳裏に、つんざくような奇声が聞こえてきた。
 
 死霊の叫びのような狂気の声。

 カーソルをリスト上の玄に合わせ、その明かりが消えるのを今か今かと待ち侘びながら狂ったようにクリックを連打している狂人たちの雄たけび。

 もうっ、嫌っ!!

 沙織は恐怖と絶望で発狂しそうだった。
 ここは私のような素人が踏み込んではいけない世界だった。
 オンラインゲームなんて碌にやったことがない私が太刀打ちできる相手じゃなかった。
 私は所詮、ひとりでは何もできないただの借金まみれの女。
 頭脳ゲームで一攫千金なんて夢見た私が馬鹿だった。来月自己破産して、それで私の人生全て終わりよ。

 拒否権はあと1回残っていたが、沙織にはすでに抗う気力は失せていた。
 手を膝の上に置いたまま漫然と画面を眺め、自動的にバトルに突入するのを待った。
 まるで死刑執行を待つ死刑囚のように……。
 
 残り15秒。
 その時、何かが沙織の脳を刺激した。
 さっきまでとは何かが違う。違和感?
 えっ、何!? 
 沙織は懸命に考える。 
 さっきまで【NO】のボタンから1番近いのはザクロだったはずなのに、今はそのザクロが見えない。
 あっ!! と沙織は思わず叫んだ。
 コマンドの枠の位置がずれている。
 試しにのコマンドの端をクリックして横に滑らせてみると、動いた。
 メッセージコマンドはドラックできるんだ。
 沙織は考えるよりも先にコマンドを画面左の方へ移動させ、【NO】のボタンを今明るくなっていない理人8926の上に重ね合わせて、右手人差し指で渾身のクリック連打をした。
 コマンドが消えると同時に理人8926が明るくなった。
 ハンターからのバトル申し込みのメッセーも現れない。
 そして玄にも明かりがともっている。
 やった。包囲網から脱したんだ。
 沙織はリタイア寸前の窮地から辛うじて生き延びた。

 目を閉じて一度ふぅーと大きく息を吐き出した。
 心を落ち着かせながら目をゆっくりと開け、用意してあったペットボトルのお茶を一口飲んだ。
 これから初めてのカード交渉が始まる。慌ててはいけない。
 相手がいつトークを終了の【EXIT】ボタンを押してもいいように、カーソルを現在明るくなっていないカナリアの上に動かしてから【TALK】ボタンをクリックした。
 冷静さが徐々に戻りつつあった。
 さっそく画面右側のチャットスペースに文字を打ち込んだ。

《 玄 》 何か欲しい色のカードありますか?
《理人8926》 そりゃあ、もちろんあるよ。

 返事はすぐに来た。
 理人8926という名前から理系で緻密な策略家、冷たい性格のイメージを持ったけど、どうやら会話はしてくれそうだ。

《 玄 》 欲しいカードの色は何ですか?

 こちらの思惑としてはできるだけ相手の意向に沿ったように見せ掛けて白を集めたい。
 しかし、手の内を見せたくないのは相手も同じだった。

《理人8926》 そっちこそ欲しい色を教えてよ。
 
 こちらはまだカード交換を1枚もしていない。だから1回のカード交渉に長く時間を掛けている余裕はない。私から欲しいカードを言うしかないか……。
 沙織は柔軟に作戦を変更した。
 赤のカードは交渉が難航した時のための切り札として温存させるとして、青のカードをエサに疑われることなく白のカードを入手できるかどうか……。
 捻った質問を考えた。

《 玄 》 私は黄色のカードが欲しい。青と緑のカードを出すから黄色と白のカードと交換しない?
《理人8926》黄色集めてるの? 珍しいね。俺は青が欲しかったから交渉に乗るよ。どうせ赤は人気が高すぎるしね。

 えっ、ほんとに? 
 あまりにものあっさりとした交渉成立に沙織は呆気に取られた。
 これまでまったく思い通りにいかず、死の淵を彷徨い続けていたというのに、うまくいく時は案外あっさりとうまくいく。

《 玄 》 ありがとう。ではさっそく交換お願いします。

 右上に並んでいる5枚のカードの中から青と緑のカードをクリックして【CHANGE】ボタンをクリックした。すぐに画面中央にメッセージが現れた。

 理人8926さんの黄と白のカードと交換しますか?
 【YES】 【NO】

 なるほど、相手が交渉したカードと違う色のカードを差し出すことを防止するため、ここで一度確認があるんだ。
 納得しながら【YES】のボタンをクリックしかけたけど、まだ自分は狙われている身であることを思い出してクリックを止めた。
 手拍子に【YES】をクリックしていたら再びハンターの包囲網に掛かるところだった。
 カード交渉がうまくいったぐらいで浮かれすぎだ。
 沙織は拳で頭を小突き、調子に乗るな! と自分に喝を入れた。
 メッセージコマンドをドラッグして【YES】のボタンを現在明るくなっていないカナリアに合わせてからクリックを連打した。
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