(三・四)十一月、A House Is Not a Home

文字数 4,636文字

 星砂が田古の部屋に来て、四ヶ月目。星砂が実の娘であると確信した田古は、今迄以上に星砂のことが心配でならない。パンドラの奴らだって百パーセント星砂を連れ戻しに来ないとは断言出来ない。従って田古は継続して昼間のバイトを休み、星砂を守ることに全身全霊を傾ける覚悟、悲壮感の中で溺れそうな位である。
 青葉荘には何事もなかったように、いつもの朝が訪れる。質素な朝食、台所のコップにはぶっきら棒に背高泡立草が飾られている。秋も深まり、涼しさどころかいよいよ寒さが押し寄せて来る季節であるが、部屋の外から聴こえ来るノイズは変わらない。人々の足音、挨拶、他愛ないお喋り、自転車の急ブレーキ、車のクラクション等々。
 星砂の方は星砂で、いろいろと考え出す時期でもある。親切に甘え、いつまでもみんなの世話になっている訳にもいかない、そろそろ身の振り方を決めねば。かと言って相変わらず宛てもなければ、金もない。お金、うん、やっぱり働くしかないけど、お金なかったら島にだって帰れないんだし。どうしよう、初心に帰って寮付きのバイトを探すしかないか……。
 気を利かせて、駅前の求人ペーパーを持って来てくれたり、履歴書を買って来てくれたりの田古。でも履歴書用の写真は自分で撮りに行かないといけないし、応募するとなると公衆電話……、ふう面倒臭そうと、具体的にイメージしてみる。まず応募の電話、それから面接、それからもし仕事が決まれば職場に出て、あっ寮だから引っ越ししないといけないし、個室だとまだひとりで暮らす自信ない、かと言って相部屋は良い人ならいいけど変な人だったら……。などと考えていくうち気が滅入って、あっもう今日は駄目、また明日から頑張りゃいいやと不貞寝してしまう。そうやって一日また一日と先延ばししていくうち、気付いたら一週間、二週間、カレンダーの日にちだけが過ぎてゆく星砂の今日この頃。
 だからつい苛々したり、頭抱えて、考える人状態。そんな星砂を見るに見かねて、田古がやさしく言葉を掛ける。
「なんだかね、やっぱり、焦らない、焦らない。慌てる何とかはもらいが少ないっていうよ」
「でも、もう十一月だし」
「まだ十一月じゃないか」
 必死に慰める田古。でもかぶりを振って、田古にも負けない神経質ぴりぴり娘の星砂は叫ぶ。
「でもわたしなんか何の役にも立たないし、最低の屑なのよ。こんな奴、とっとと死ねばいいのに」
「何言うんだい」
「みんなに迷惑掛けてばっかだし、わたしなんか、生まれて来なければ良かったのよ」
「そんなこと言っちゃ駄目、産んでくれたお母さんに悪いだろ」
「お母さん……」
 ふたりとも泣きそうな顔で見詰め合う。
「でもわたし、お父さんいないし……。わたしね、お父さん行方不明なの」
 あっと、星砂を見詰める田古。しばし沈黙の後、
「なんだかね、やっぱり、お父さんだって、きっと何処かで、きみのことをちゃんと見守っていてくれてるよ」
「そうかな」
 少し落ち着く星砂。
「そうさ」
 力強く頷く田古。うんと星砂も頷き返す。
「年内一杯はいいんじゃない、仕事。それに、あ、そうだ、それにまだ検査残ってたよ」
 検査、そっか、確かに残ってたね、と星砂も思い出す。
 早速ふたりは翌日朝から、海亀病院へとHIV検査に出掛ける。直ぐに結果が分かり、ふたりとも問題なし。「ふう、良かった」
 と手に手を取って喜び合うふたり。これで肉体面での心配はすべて解消。ずっと仕事探しのことばかり考えて悶々としていたから、久し振りに気分が晴れて心に無限の青空が広がる星砂である。
 帰り道夢の丘公園に立ち寄ると、先ずは公衆電話ボックスに入って、島の美砂に電話。と思ったけれど、テレカの残りが少ない。やばいと公園前のサンファミに駆け込み、田古からもらったお小遣いで新しいテレカを購入。美砂との電話では、
「久し振りにあんた、元気そうで安心した」と美砂。
 流石母親、電話口とはいえ星砂がずっと沈んでいたのを、ちゃんと見抜いていたらしい。
 電話を終え、田古のいるベンチへ。時刻はもうお昼。
「なんだかね、やっぱり、今日はお昼、どっか外で食べないかい」
「だったらお弁当買って、ここで食べようよ」
「おお、ナイスだね。そうしよう、そうしよう」
 と頷く田古、はい決まり。そこで田古は星砂に財布を渡し、お弁当の買い物を星砂ひとりで行かせることに。でも星砂はあっさりとスーパーでの買い物を見事クリア。
 夢の丘公園のベンチに腰掛け、田古が焼き魚&唐揚げ弁当、星砂はオムライスに野菜サラダ、それにペットボトルのお茶。風は少し木枯らし気味で肌寒いけど、日差しは暖かく木漏れ陽もきらきらと眩しくて気持ちがいい。時折り落葉枯れ葉、砂ぼこりが舞うけど、ふたりは気にせずむしゃむしゃと平らげ、はい、御馳走様。
 食事の後、改めて夢の丘公園を見渡す星砂。そうだ、ここでやすおさんと着ぐるみマンさんが生活しているんだった。夢の丘公園は新宿のビル街に隣接している区民公園であり、公園内を一周するのにも徒歩数十分を要する程広大である。敷地内には一通りの遊具は勿論、花畑、噴水、広場、公民館まで有り、桜を始めとする樹木も数限りなく植えられている。区民は勿論、近隣オフィスの労働者、サラリーマン、サラリーウーマンが集う憩いの場である。その中の一角に公園で暮らす住民たちの集落とも呼ぶべきコーナーがあり、樹木に寄り添うように幾つものテントと大きな荷物とが並んでおり、時折りNGO、ボランティアによる炊き出しや救護活動が行われている。
 ふたりベンチでのんびりしている間に、もう昼下がり。田古の携帯するラジオからニュースが流れ、株が暴落したとかでこれから景気が悪化すると伝えている。
「なんだかね、やっぱり、そろそろ帰るかい」
「うん」
「でも外出ると、気持ち良くないかい」
 田古の言葉に、うんと頷く星砂。そこで恐る恐る提案する田古。
「どうだい、これから毎日、散歩してみるのも悪くないっていうよ」
 えっ、毎日散歩、どきどき、どきどきっ、散歩かあ……。じっと星砂を見詰める田古の顔。
「うん、頑張ってみようかな」と微笑み返す星砂。
 ふう、やったあと、我が事のように喜ぶ田古は、久し振りのOKサインとウィンク。
 それからふたりは毎日、晴れた日も雨の日も風の日も散歩し、散歩の範囲も少しずつ広がってゆく。夢の丘公園、ビル街、そして新宿駅前まで。こうして少しずつ外の世界に慣れてゆく星砂である。但し駅の反対側、即ち繁華街、歓楽街、ネオン街へはまだ行けない。ネオン街の景色、匂いが、八月六日パンドラの夜のトラウマを星砂の胸に呼び覚ますから。ネオン街を前にして、星砂の足はすくみ立ち止まる。
「なんだかね、やっぱり、無理しなくていいんだよ」
 そして新宿駅へと引き返す、そんな日々が続く。
 JR新宿駅地下道、改札の前で、しばし行き交う人の波を眺める。流石大都会新宿、丸で洪水のような人の波、人の多さであり、ぼやぼやしていると突き飛ばされ、飲み込まれ、押し流されてしまう。田古が星砂の耳に囁く。
「なんだかね、やっぱり、ほら目を瞑ってごらん、海の音がしないかい」
 えっ海の音、そんなばかなと思いつつも、言われるまま目を閉じてみる星砂。けれどやっぱり海の音など聴こえない、というかそもそも聴こえる筈がない。幾ら星砂でも新宿に海がないこと位知っている。耳に聴こえるのは絶え間ないノイズばかり、足音、喧騒、人々の声、ざわめき。確かにそれらがずっと続いているから、潮騒のように聴こえなくもないが、星砂にとって海の音といえば夢国島のそれだから、ちょっと違う気がしてならない。
 でもたこさんには聴こえるらしい。ま、それならそれでいいじゃない、たこさんがそう言うんなら、と星砂は目を開ける。ところが隣りの田古を見て唖然、えっ何で。なぜならその時、田古の目から涙が溢れていたから。どうしたの、と尋ねようとして黙り込む星砂。
 そう言えば、やすおさんがなんか言ってたっけ、たこさんのこと。人の涙が見えるとか何とか。それでもらい泣きしてしまうそうで、泣いてる姿をちょくちょく見掛けるかも知れないけど、気にすんなと。ふーん、もしかしてこのことかな。でも流石に目の前で泣かれたら、やっぱり心配してしまう。
 ところが田古はお構いなし、気取ったふうで星砂に語り掛ける。
「なんだかね、やっぱり、きみには聴こえないかい。だから、ここは海なんだよやっぱり、たくさんの人の涙でできた」
 はあ、訳分かんないけど、頷いてみせる星砂である。
 新宿駅から夢の丘公園へと引き返し、ベンチに腰を下ろすふたり。そこへ一匹の猫が「みゃーお」と寄って来る、痩せた黒の野良猫。流石に広大な公園だけあって、暮らす野良猫の数も半端ではない。「みゃーお、みゃーお」と黒猫は星砂に懐いて来る。
「なんだかね、やっぱり、気に入られたみたいだよ」
にこにこ笑う田古に、
「そうみたい」
 と笑い返す星砂。黒猫はちゃっかりと星砂の膝に乗り、気持ち良さそうに大欠伸、そのまま午後のうたた寝へ。ありゃりゃと星砂と田古も釣られて、こっくり、こっくり、みんなしてベンチで午睡。
 昼寝から覚めて、星砂は黒猫に名前を付ける。クロとかにするかと思えば、星砂が黒猫に向かって呼んだ名前は「雪雄」。どきっとする田古。呼ばれた雪雄は目を覚まし再びふにゃーっと大欠伸、星砂の膝から飛び降りると「みゃーお」とふたりに別れを告げ、何処へともなく消えてゆく。
「また遊ぼうね、雪雄」
 元気に手を振る星砂。田古は雪雄という名前には知らん振りで、星砂と一緒に黒猫の雪雄を見送っている。
 日が暮れてもふたりはそのまま夢の丘公園で過ごし、着ぐるみマンを待つ。そのうち着ぐるみマンがやって来て選手交代、田古はネオン街へ。しばらく着ぐるみマンとふたりでいると、今度はやすおがやって来る。それで着ぐるみマンは御役御免、公園内のマイホームへと帰ってゆく。やすおと星砂は公園のベンチで、お弁当の晩御飯。
 青葉荘の部屋の中と違って、夢の丘公園では着ぐるみマンもやすおも自由気まま、のんびりゆったりしている感じ。着ぐるみマンは痩せた口笛で好きな映画音楽を奏でたり、くるくるくるっと踊ったり。やすおはやすおでギター爪弾き、がんがん唄っている。星砂も今迄やすおに教わった歌をやすおのギターと共に思い切り唄う。
「あ、ついでだから、ギターもやる」
「えっ、まじ」
「まじ、まじ」
 とにたにたしながらギターの練習に誘うやすお。
「でも、出来るかな」
「簡単、簡単、超簡単。コードさえ覚えりゃいいんだよ、後は自己流」
 こうしてやすお先生によるギターのレッスンも開始。
 早速今夜の曲は、A House Is Not a Home。その歌にちなんで、星砂に向かって屁理屈を垂れるやすお。
「だから俺らはさ、ホームレスじゃないんだな」
「はい」
「言うなれば、ハウスレスってやつ」
「ハウスレス」
「そ、建物としての家はあっても、心がホームレスなやつらは、この世にごまんといるんだよ」
「そっか……、確かにそうだね」
 頷いて、自分もホームレスだと感じる星砂。でも青葉荘、今のわたしにはたこさんのいる青葉荘がある……。
 朝には青葉荘の前の路上にも霜が降り、寒さも少しずつ増してゆくこの季節。星砂の為にと、田古は布団一式を購入。夢の丘公園の暮らしも厳しさを増し、そろそろ冬の足音が近付いて来る頃である。
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