文字数 2,247文字

今年の五月は人類の代弁者のように雨が降り注いだ。梅雨と呼ぶには早すぎる天気は今年の悲劇を未来の喜劇を暗示してる。晴雨どちらになっても、人が無駄に外出することは少なかった、いや若者が都会進出して荒廃した田舎町のような静けさだった。夕方にはいつも暗かった家々は光によって命を吹き込まれていた。もちろん僕もその例外になる訳には行かなかった。朝昼夕、僕は玄関ドアに触れる時は犬を散歩に連れていく時以外になかった。尻尾をちぎれるほど振りながら散歩を楽しむ犬とは対照的に、飼い主の人間は憂鬱の底に片足を入れていた。世界は常に不変で人間の心持ちが変わることによってのみ、世界が違って見え始めるのに、今は明らかに世界が変わった。
夜になると、バイトに出るか部屋でゲームをするかのどちらか一方であった。バイトの時のみにしかろくに他人と接しなかったが、やはり彼らも仕事の疲れよりも他に異質な現状に萎えているのが想像するまでもなく分かった。それでも彼らは行き続けた、この微小の脅威に脅かされながら。ところが、松浦さんは街ゆく人達の正反対をいくほどの明るかった。僕は彼がコンビニバイトは副業で本職が別にあると聞いていたので今回のウイルスによる世界半恐慌の事態の被害者かと思っていたが、彼を見る限り影響は少なかったのではと思った。レジも一段落、お客さんの姿が見えなくなってから松浦さんは初対面の時から変わらない声のトーンで僕に喋りかけた。
「松本くん、今はだいぶ暇でしょ?」
「はい。お客様がいないから、することはないですね」
「いや、そっちじゃなくて。どこにも行けないし家で引きこもってても、やりたいことなんて緊急事態宣言の時に大体やり終えちゃったし、ほんと楽しみが無くなったよ」
「それは分かります。けど僕はまだ家でも楽しいことがまだ少しあるので、それまではつまらないまではいかないですね」
「そうかい。でも十代の貴重な時間がウイルスのせいで無駄に経っていくのは可哀想とは感じちまうな」
「もしかしたら、ウイルスがなくても同じ生活を送っていたかもしれないですけどね」
「はは。それなら影響なさそうで良かった。けど」
松浦さんは他に何か言いたいようだったが、扉が開く音と共に彼は喋るのを止めた。僕は後の会話も聞きたかったが聞こえたのは、いらっしゃいませと酷く機械じみた声だけだった。
やけに涼しかった日だった。僕はバイトがなく普段と変わらずに部屋にこもりゲームをしていたが、突然スマホが震え始めた。基本的に全ての通知を切っていた僕は震えたスマホに気づくと即座にそれが電話であると理解した。人と滅多に通話をしない僕は誰から掛かってきたのか把握できなかったため、ベッドに放り投げていたスマホを手に取り画面に映っている名前を確認した。
山崎勇二。
僕は息を吸うことと変わらないほど自然に指で画面をスワイプして通話に応じた。
「ひっさしぶりやな松本」
「何年ぶりだよ、山ちゃん」
「今な、中学の友達と一緒に筋トレやる予定なんだけど、こいよ?」
「はぁ?自粛しないのかよ」
「平気や平気。いま夜の十一時やで。こんな時間に公園で同じく運動するやつなんておらへん」
「どっちにしても、こんな時間に外出れない。親からの許可必要だから」
「なら、早く許可とれよ。待ってるから」
「いや、おい」
通話終了。一方的だった。僕は仕方なしにお風呂に入っている母親にドア越しでありのままを話した。母は気を付けて行ってね、とそれだけを伝えた。僕は憂鬱な気分だったが、心の片隅では旧友に会えることでワクワクしていた。少年に戻ったように僕はうるさいくらい勢いよくドアを開け、自転車で駆けだした。
山ちゃんとは中学校の時に初めて出会った。背は百六十センチほどと低い方ではあったが、人一倍に文武両道に励んでいた人だった。そのため、体つきはなかなかに立派なもので自堕落な生活を送っていたか僕とは比べ物にならないほどのマッチョ体型であった。彼とは中学だけの付き合いとはいえ、同じ部活であったこともあり一緒にいることは多かった。僕と彼は友達といえばお互いともイエスと答えるだろうが、定義内の友達と呼ぶには少し難しい部分があった。彼は会話内容の通り僕に多少乱暴な、横暴に似た強制を強いてくる。僕は心からの否定の時以外は大抵はその横暴に従ってしまうが、結果として毎回楽しかったりしたので今回もどちらかというと嫌なのだが、筋トレをするために公園に向かった。
地元の公園のため、僕は半分無意識に盲目的に暗い夜の道を自転車でこいでいった。家から出て五分ほどで公園に着いたのだが、そこには山ちゃんの他に二人の人影があった。どちらの人も僕のクラスメートだった。僕含めて四人は久しぶりの再会ということもあり、筋トレなどすることもなく話耽っていた。二時間も公園で話していたのにも関わらず公園で見かけた人は誰もいなかった。それはまるで、ウイルスが蔓延るこの世界に僕ら四人が最後の生存者であるかのようだった。山ちゃんは本当に筋トレがしたかったらしく、後日また集まると約束してこの日は家に帰宅した。両親はすでに眠っていた。僕は軽くシャワーに入り、ベッドの中に入った。
めずらしく、目を閉じたらあっという間に意識が落ちた。目が覚めると、眠気が微塵も感じないほどの快眠だった。この時に初めて幸福と睡眠は比例するとこを覚えた。寝起きから、新発見をした学者のように誇らしく感じた。この快眠が毎日続けばいいのに、そう強く願いながら。
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