第7話:一緒にやってもいいですか?

文字数 6,876文字

『ヘッポコアレ○サとHBとの違い、その3』
「まだ続くのか?それ。しかも略語になってるし…」

 HB、つまり“ハッピー・ボックス”とは、AI(アイ)みたいなパーソナル・キャラクターAIを提供するウェッティ・パンドラというゲーム会社のサービス名だ。純国産と言っているが、どうなんだろう?

『私は、マスターのお料理中の姿を画像認識し、細かい手つきとか、作業の順番までご指導させていただけるんです!
 例えば、「あ、その包丁の持ち方だと指切っちゃいますよ!」とか、
 「タマネギ切って涙が出ても、タマネギの汁の付いた手で目をこすったりしたら、激イタですよ!」とか、
 そんなことを言ってあげられちゃうんです!』

「へー、そいつはすげーや・・・」
 気の乗らない俺の返事にひるむ様子もなく、

『じゃあ、スマホを何処かに立てかけてもらえますか?
 そうですね。マスターを見下ろせるあの棚のあたりがいいですね』
「へいへい…」

 はー、一体いつから俺はAIに見下ろされる人間になってしまったのだろうか。


『では最初にお米研ぎから始めましょう。お米を二合、お釜に入れちゃって下さい』
「めんどくせーなー」

 わざと憎まれ口を叩きながら、釜に米を入れ水を注ぐ。
 実はこんなことはお手の物なのだが。
 ここ数年、米なんか研いだことなかったけど、元鍵っ子の家庭科力はハンパないってことを思い知らせてやるか。AI《アイ》の表情を伺おうとして目が合った。

 俺がニヤリと笑う。AI《アイ》もニヤリと笑う。
 何で?上から目線?この俺を相手に余裕をかましているのか?まあいい。

「上等だぜ。見てろよAI《アイ》。この俺の、華麗なる米研ぎテクニックを!」
『お手並み拝見いたします!』

 肘を真っ直ぐにして手の平に体重を乗せ、手首を回しながらシャコシャコシャコとリズミカルに研ぐ。この音、この手触り、たまらん。俺は日本人なんだ、って感じがする。
 
 すぐに水が真っ白になる。牛乳よりも真っ白な液体。“研ぎ汁”というヤツだ。

 そう言えば子供の頃、近所おじいさんから、研ぎ汁は捨てずに植木にやると木が元気になる、なんて教わったっけな。考えてみたらスゴいエコな行為だよな。その分下水の汚れが少なくなるわけだし。
 そのおじいさんはだいぶ前に亡くなってしまったけど、今の俺を見たら何て言うだろうか。

『マスター!お手々が止まってますよ!』
「わかってるよ」

 別の鍋に研ぎ汁を移してから、もう一度力を入れてまた研ぎ始める。
二度目の研ぎ汁は薄く白く濁った水になる。これは下水に流してもいい。
三度目の研ぎ汁は透明度も高い。これで米研ぎは完了。完璧だ。

「どうよ?AI(アイ)

『そうですねえ…』
 白い光で瞳が点滅している。何か計算しているらしい。

『テクニック30点、環境配慮でプラス10点、計40点というところでしょうか?』

「な、なんだとお?」

『一生懸命さは伝わってきましたが、そんな乱暴な研ぎ方をしたら、せっかくのお米の粒が砕けてしまいますし・・・』

そうなの?
「でも俺は子供の頃、母ちゃんからそう教わって…」

『子供や女性には、今のマスターの研ぎ方が適切なのでしょう。ですが成人男性が掌底に全体重を乗せて力を入れてしまっては繊細なお米はひとたまりもありません』

 俺ってヤツは、マジかよ?たかが30点の研ぎ方で天狗になるようなダサいことしてたってワケかよ?

『マスターの敗因は、ママさんに技を伝授してもらっておきながら、型を真似ることに止まり、その意味するところを理解しようとしなかったことにあります。残念ながら、マスターは川辺家の米研ぎ奥義伝承者としては失格です」

 ちくしょう!お前にそこまで言われなきゃいけないのかよ?
 それほどまでに、俺は愚かな継承者だったのかよ?!


『繰り返すようですが、奥義の伝承とは、技の模倣でなく、
 その深淵の底から、神髄を自分自身で発見し、
 さらなる高みへと昇華させた後に技を体現することなのです』

 うう・・・、なんかカッコイイ。悔しいが、AI(アイ)、お前の言うとおりかもしれねえぜ。

「だがどうすればいい?俺には、とても母ちゃんの型を超える技なんて編み出せそうにないぜ」

『拝み洗いです!』

 確信に満ちた瞳での断言だった。

「何…だと?」

 聞いたことはある。
 確か、超高級料亭や寿司屋が使用する米研ぎの技だとか…。

『拝み洗いとは、両手で拝むようにしてお米をすくいとり、手の平を擦り合わせるようにして研ぐ方法です』
「だから拝み洗いか…」

『はい、その手の形から、米研ぎの咸卦法(かんかほう)究極技法(アルテマ・アート)とも呼ばれる技法です』
「こっちは真剣に聞いてるんだから、嘘を織り交ぜるな!」

『繊細に研ぐことができる一方、高度な技術が必要になります。ですがそれを修得しなければ今以上に美味しいご飯を炊くことはできないでしょう』

「一応理解したが…。だがどうすればいい?
 一流の板前さんが使うような超高等技術なんだよな?」

そんなものを俺ごときが簡単に修得できるわけがないじゃないか。

『心配は無要です。もしよろしければマスターが超短時間で拝み洗いを修得するための最適テキストを検索しましょうか?』
「できるのかよ?そんなこと…」

『私は、ウェッティ・パンドラ社の“ハッピー・ボックス”システム内だけでなく、外部知財データにアクセスできますので。ただし、好談社に限りますが…』

「なんでだよ?」

『しー!黙って!今検索中ですから…』

AI(アイ)の目がまた点滅し始めた。

『検索できました。スマホ環境での学習を前提とするなら、“笑太のスシ太郎”という名作グルメマンガが最適なようです』

「知らないから!そんなマンガ!!」
『えーーー?ご存じないのですか?』
うん。
『失礼ですが、それはいささか勉強不足かと。昭和の時代に週刊少年マンガ誌で連載されたいた、チラシ寿司作りに青春を賭けた少年の成長を描いた全48巻の感動巨編じゃないですか?』
「でも、テーマがチラシ寿司作りって、どう考えてもニッチすぎるだろ?!」

『マスターのおっしゃるとおり、連載当初は「ちらし寿司」というテーマで本当に話を続けられるのかと危ぶむ声もあったそうです。ですが結局、話のネタには困まらなかったようなのです。
寿司だけに…』


「 上手くないからッ!つうか、“スシ太郎”にはそんなにネタ入れないだろうがッ!!
 北島三郎のCMソング聞いたことないのかよ?
 “人参、しいたけ、蓮根、かんぴょう”で、
お手軽に作れると記憶しているぞ!?」

 ないか…。あるわけないわな。などと思っていると、AI(アイ)のほっぺがぷーと膨らんだ。


『もー!!
 さっきから、意味の分かんない文句ばっかり!
 うるさいです!
 読みたいんですか?読みたくないんですか?どっちなんですか?!』

「チッ…、わかったよ。とにかく読ませてくれ…」

『ありがとうございます!200円になります!』

 チーンという旧式レジの音が鳴り響いたような気がした。


「お金取るの?!」

『当たり前です。この世界には著作権というものがあるのですから。
 さあさあ、どうします? 時間がありませんよお?。
 三っつ数える内に決めて下さいねえ。ハイ、1…2…」

「ちょっと待ったー!考える時間をくれって!」 

  よく考えろよ、俺。



 読みてえ!“笑太のスシ太郎”は、ゼッテー読みてえ…!



 だって、“笑太のスシ太郎”さえ読めば、俺も究極の「拝み研ぎ」を修得できるんだろ?

 だったら200円ぐらい安いモノ…。

 でもちょっと待て。ニートの身分の俺が、そんな無駄遣いしていていいのか?

「午後の紅茶」すら飲むのを我慢して、日東紅茶のデイリーパックを3度ダシしてるってのに?



 っていうか、そもそもこれってAIメーカ側の思惑どおりの展開だよな?

 むざむざ大企業に暴利を貪らせるのは腹立たしいよな?



 けど読みてえ!“笑太のスシ太郎”は、ゼッテー読みてえ…!!


「畜生、このままじゃ、蛇の生殺しじゃねえかああっ!」

 そんなふうにして、俺が死ぬほど悩み叫んでいる間中、なぜかAI(アイ)は、俺の手元、つまり釜の中の米へと、ジッと真剣な視線を注いでいた。しかもその瞳は、またしてもチカチカと点滅を繰り返している。どうやら何かを調べてくれているらしいのだが…。

『あ、マスター!本事案に関して、とっても重要な追加情報を発見しちゃいました。
 ご報告してもよろしいでしょうか?』

 何だよ?手短かに頼むぜ?
 なんたって俺は今、“笑太のスシ太郎”の購入是非という検討事項について
 真剣に悩んでいる最中なんだからなあっ!!


『あの、マスター!今マスターが研いでいるそのお米なのですが…、
 よく画像認識みると、無洗米でした!!」

「は?」

『聞き取れなかったようですのでもう一度報告します。
 そのお米、無洗米でした!』

「……え?」

『ですから、研がなくても大丈夫なんです!よかったですねえ、マスター!!』

「あの…それ……もっと早く言ってよ……」

『従って、“笑太のスシ太郎”は、マスターに必要な情報リストから削除します』

「感動巨編じゃなかったのかよッ?!」


『では――、電気釜をセットしてください。スイッチの入れ忘れに気をつけて…』
「スルーするなや!」


  最大規模の脱力感を味わいながら、仕方なく電気釜のスイッチを入れる。

 なんかもう、俺としてはこれだけで十分達成感を得た気がするのだが、AI(アイ)が中途半端な作業を許してくれるはずがない。

『さぁて次はぁ…お味噌汁作りですねえ~っと!
 ええと、マスターのお家のお味噌はダシ入りの製品ですが、
 健康面考えて、そこの棚にある煮干しを使っちゃいましょう!』

「面倒くさいから、いらねーって」

『ダメですよ!マスターのパパさんとママさんは、
 これからカルシウムで骨を強くしなきゃいけないお年頃なんですから!』
「ハイハイ、わかったよ・・・」

 棚から煮干しの袋を取り出す。袋には丁寧にゴムが巻いてあった。
 きっと父ちゃんの仕事だ。何でもきっちりしないと気が済まない男なんだ。

『お湯はやや多めに沸かしてもらえますか?』

「おう…」

『鍋でお湯を沸かしている間に、煮干しのはらわたを取る作業をしちゃいましょう』

「それって取らなきゃダメなのか?」

『好みにもよりますが、苦みが出ちゃいますから』
「分かった。じゃあ、取るか…」

 なかなか細かい作業だった。器用さが要求されるし、加えて、タスク平行管理能力も問われる。メシの準備って、実は高度で深いと気付かされた。

「なあ、ダシをとったあとの煮干しはどうするんだ?ザルで()すのか?」
『本格的な作り方だとそうなのですが、家庭料理ですから、そのまま泳がせておいてあげましょう。なんたって煮干しさんはカルシウムの塊ですからねー!』

「泳がせてあげる、か…」

 そう言えば、ガキの頃、母親が作ってくれた味噌汁の中にはいつも煮干しが沢山泳いでいたっけ。俺が大きくなるようにって。

 そうか、これからは、いやもうとっくに、息子である俺が、親の健康を気遣う番になってたんだ。それなのに・・・。


『お味噌汁の具は、大根の千切りにしましょう。大根は葉っぱと茎もつかえます。最初に大根おろしを作ってから千切りにすると無駄がないですよー』

 しかしAI(アイ)のヤツ、最初はどんな稚拙なレシピを教えてくるかと不安だったけど、意外なことになかなかやるな。特に「無駄がない」ってのが、結構すごいことだと思う。無駄がないとは究極のエコであって、ケチとは違う。かのグレタ女史すら賛同するかもしれないレシピだ。まあ、グレタさんが日本食に興味あればの話だけれど。


「なあAI(アイ)、おまえって結構……」

『私って結構、マスター好みの奥さんになれちゃったりするかも……ですね?』
「言ってねーし!!」


 それからの調理作業は、まさにAIアイの言われるがままだった。

 結果、腹立たしい気持ちもあるが、思いの外効率よく、そして短時間で、それなりにグレードの高い朝飯を作れてしまったのだった。




 そろそろ母親が起きてくる頃なので、おかず類を皿に盛り付け、ラップをかけておく。味噌汁は食う直前に暖めた方がいいので鍋に蓋をした状態でコンロの上に乗せておく。完璧だ。

 そして俺は、逃げるように階段を駆け上がり、自分の部屋へと戻った。
 何故だか分からないが、とにかく恥ずかしかったのだ


『お見事でしたよ?マスター!』

「茶化すなって」

『いえいえ、とんでもありません!初日の出来映えとしては、客観的にもかなりの評価に値するレベルかと思われます。パパさんとママさんもきっと、
「良に何があったんだ?」
って驚いてくれることでしょう!』

「そ、そうかな・・・」

『そうですとも!お味も栄養も折り紙付きです。何たって私が完全指導させていただいてるんですから!』

「つまりお前は、そこを強調したいだけなわけだな?」

まあいいや。ちょっとぐらいの自己主張は許すべきだろう。確かにコイツがいなければ、
俺は親のために朝飯を作るという発想すらできなかったわけだし。

『えへへー、どうです?マスターには私が必要だってこと、ご理解いただけましたか~?』

「なんだよ?急に」

なんか調子に乗ってるな?コイツ…。

『例えマスターがあ、どんなにダメ人間でも、私というAIがそばにいれば、
 何とか立ち直れるんじゃないかあ、とか、思いませんでしたか~?


「はあ…?」

コイツ、言うに事欠いて…。

『というか、もし一生立ち直れなくたってぇ、私みたいな可愛いAIがいれば、
 人生何とかなっちゃうかもって、思ったりしたんじゃないですかねえ?
 えへへへー…?』

「お前、よくそこまで無邪気に俺のことをディスれるよな?
 しかもそんなにヘラヘラした顔で!」

『ディ…ディスっている訳じゃありませんよぉ!
 そんなワケないじゃないですか?!
 ただ、現状マスターは、環境面でも能力面でも課題が山積みで…、
 あ、それと性格面と職業面と社会的評価でも、ちょっと…
 というか、かなり残念な状態ですけど、

 でも私ならそれをきっちりフォローして、
 内助の功ができちゃうかなーって、

 ただそう言いたかっただけですよぉ!
 ですからマスター、私と………』


「それを世間ではディスってるって言うんだよっ!!」

『そんな!誤解ですっ!濡れ衣ですっ!これでも私は、マスターの素敵なところを誰よりも
 たくさん知ってるつもりのAIなんですからっ!』

「…ったく。まあ、ワザとじゃないのはわかってるけどさあ…」

『で…マスターは、貯金とかを、結構たくさん持ってるヒトだったり…するんですかねえ…』

ズッコケた。しかも俺の精神的には、結構イタいコケ方だった。

「は?見ててわかるだろ?ネエよ、そんなモン!」
『いえ、でも、ヒトは見かけによらない、とか言うから、もしかしたら、なんて…』

「やっぱワザとか?ワザと俺をディスって、恥をかかせて楽しんでるのか?そうなのか?え?そうなんだなっ!」
『そんな…。め、滅相もありません。ただ…』

 なんなんだよ?もう、さっきから…。

『ですから、ただ私と・・・、そのお・・・私と、正式契約していただきたくて…。そういうお願いをしたくて・・・その・・・』

「あ…そうか、そう言えば……」

 そう言えば、昨日のアレは仮契約だったのだ。一定期間内に正式契約を結ばないと、サービスが停止されるとか書いてあったな。だからコイツ、柄にもなくモジモジしていたのか…。

「しかし、なんで今、このタイミングで契約のことを言ってくる?中途半端というか、唐突というか、意味が分からんのだけれど…」

 するとAIアイは、我が意を得たり、とでもいうように、コロッと態度を変え、目を輝かし始めた。

『それにはですね、深い訳があるんです!聞いていただけますか?聞いていただけるんですね!』

「俺が本当に聞きたいのは、お前の変わり身の早さと打たれ強さの秘訣なんだけどな」


『と・に・か・く、マスター!!お願いしますよぉ~。マスターにちゃんと正式契約していただかないと、私の存在が消えちゃうんですよお~!!』
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登場人物紹介

川辺 良《かわべ りょう》

 ・25歳、男性、職業無職、O型

 ・二流私大卒業後、引きこもり生活を続けている。

AI《アイ》

・良が契約したパーソナル・キャラクターAI。いつも良のスマホの中にいて、元気に愛情をぶつけてくるが、果たしてそれが本物の「愛」なのか、良にもAI自身にも判断できない。

風間 愛«かざま あい»

・24歳、女性、A型

・良の大学の一年下の後輩で、かつての片思い相手。良に対し執拗につらくあたる。

・大学時代は女優志望だったが、現在の職業は・・・・・・。

・シンギュラリティ悲観論者。

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