望まれなかった碧玉

文字数 712文字

 まだ肌寒さの残る早朝、おそらくは初春だろう、街路樹の緑は萌黄色だった。
 そんな、人通りの無い道を、酷く息を上がらせた男が歩いていた。
 男の足取りは覚束ないが、それでもなお、男はただひたすらに歩き続けていた。

 姿からして、とても、動けるはずもないその男が向かった先は、遥か上層へと伸びる建物。
 男は、その影に立ち尽くし、散華された蘇芳色に全てを悟った。
 歩く事さえままならない様な足取りで進んだ先に有ったのは、蘇芳色の集塊。

 男は跪き、転がるその塊を抱き寄せる。
 抱き締める左腕は半分ほどが失われて居たが、男はその腕にその塊を抱き寄せ、嗚咽した。
 そして、抱き締めれば抱き締めるほど、それは原形を失い、面影を消し去っていく。

 滴り落ちる涙は蘇芳に染まり、彼の足を濡らす。
 皮肉にも、男の青い病衣に染みた蘇芳は碧玉の色を成していた。
 だが、男が望んで居たのは、そんな物ではなかった。
 崩れ果てた骸を抱き締めて嗚咽するその姿が、それを物語っていた。

 ――どうして、貴女は……俺に守らせてくれなかったんだ!

 獣が咆哮する様におぞましい声が、血塗れの体から放たれる。
 塞がりきらぬ傷から溢れた血液か、抱き締めた蘇芳色か、もはや分からぬほど血に濡れながら、男はただ嗚咽し、蘇芳色の滴を幾重にも広げ続けた。

 目を開けると、白い光を湛えた天井が有った。
 女はゆっくりと、その両の手を掲げる。
 色素に乏しい白い肌が、光の影を作る。

 ――守られていたんだ。

 女は、ふと浮かんだ言葉に、自ら首を傾げた。
 そして、伸びた爪が光に透けている事に気付く。
 それほど長く、此処に居たのか、と。
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