第16話

文字数 3,718文字

第4章 家族(その1)

 駅ビルのレストランで昼食を取ったあと、三人は在来線に乗り換えて山室の実家に向かうことになった。
「仙台ってすごい都会なんだね」 
 在来線のホームで電車を待っているときに沙理奈が言った。
「東北で一番大きいまちだからね。最近では郊外から通勤する人も多くなってきて、農地もどんどん宅地に変わってきてるけど、うちの実家のあたりはまだまだ田んぼが残っている」
 山室が答えたちょうどそのとき、ホームに電車が入ってくるのが見えた。
 三人は在来線で北に向かった。乗って20分くらいは家並みが続いていたが、そこから急に景色が変わり、やがてあたり一面が水田となった。
「だんだん実家が近くなってきたよ」 
 車窓に目をやりながら山室が沙理奈に言った。
 30分ほど乗車して、仙台駅から10番目となる駅で三人は下車した。
 三人のほかに下車したのは高齢の夫婦が一組だけだった。木造の小さな駅舎を出ると、その前にはこじんまりとした広場があり、何台かの車が止まっていた。
「誰かが迎えに来てくれているとありがたいんだけどな……」 
 山室が広場を見まわしながらつぶやいたとき、白っぽいコンパクトカーからジーンズ姿のすらりとした女性が降りてきて、山室に手を振った。
「兄さん! こっちよ!」
「おう、お前、迎えに来てくれたのか!」 
 山室は笑顔を見せると、沙理奈に向かって言った。
「妹の美穂が迎えに来てくれたよ」 
 美穂が駆け寄ってきた。
 沙理奈は美穂に向かって丁寧に頭をさげた。
「この方が……?」 
 美穂は沙理奈に笑顔を向けながら兄に尋ねた。
「うん、竹井沙理奈さんだ。そしてこの可愛い女の子が娘のあずさちゃんだ。4歳になる」
「はじめまして。竹井沙理奈といいます。よろしくお願いします」 
 沙理奈は美穂にあいさつしたあと、あずさに向かって、「ごあいさつしなさい」とささやいた。
 あずさは美穂の前に行くと、ぺこりと頭をさげた。
「竹井あずさです」
「まあ、かわいいお嬢ちゃんだこと」 
 美穂は声をあげると、沙理奈とあずさに向かってお辞儀をした。
「山室美穂といいます。よろしくお願いします」
 そのあと美穂は山室に笑顔を向けた。
「お父さんとお母さん、それにおばあちゃんがどきどきしながら待ってるわよ。早く家に行かないと」
 山室も笑顔でうなずいた。
 車が走り出してすぐ山室は美穂に尋ねた。
「ところで、お前はどうしてここに来てるんだ?」
「昨日のお昼前にお父さんから電話があって、兄さんが結婚相手を連れてくるからお前も来てくれって言われたの。いきなりの話だったんで、お父さんはかなり驚いていたみたいだったよ」
「そうか、それは悪いことをしたな。でも、沙理奈さんと知り合って結婚を決めたのがごく最近のことだったんで、これでも急いで報告したんだよ」
「そうなの……」
 美穂はバックミラーで沙理奈とあずさをちらっと見ながら言った。
「それで兄さんは竹井さんとどこで知り合ったの?」 
「うん、それはうちに着いてから話すから……」 
 5分ほど走ると、左手に生垣を巡らせた大きな屋根の家が見えてきた。
「あそこが俺の実家だよ」 
 山室は指さしながら沙理奈に言った。
「すごく大きなおうち……」 
 沙理奈がつぶやいた。
 みかげ石の立派な門をくぐると、門と家の間には広々とした庭が広がっていた。
 左手にあるガレージには様々な農業機械が停まっており、右手には普通自動車が2台と軽トラックが1台停まっていた。その奥には庭があり、池のまわりには松などの庭木が植えられていた。
 美穂が玄関先に車を横付けにした。すると開け放した玄関の先にある茶の間から、男女二人が立ち上がるのが見えた。
「父ちゃん、母ちゃん、俺の結婚相手を連れてきたよ」
 山室は車から降りるなり、両親に向かって呼びかけた。
 山室の両親が玄関まで歩み出た。
 山室の父親は、山室と同じようにがっしりとした体格をしていたが、日に焼けた顔からのぞく目は穏やかそうだった。山室の母はすらりとした身体つきで、涼しげな目もとは山室とそっくりだった。 
 あわててあいさつしようとする沙理奈に向かって、山室の父親が声をかけた。
「玄関先では何だから、まずは上がってください」
 以前は畳だったと思われる茶の間には真新しいカーペットが敷かれ、応接セットが置かれていた。
「父ちゃん、部屋を変えたんだ」 
 それを見た山室が声をあげた。
「ばあちゃんはもちろんだが、俺も母ちゃんも腰や膝がだんだんおかしくなってきたんで、イスの生活にしたんだ。変えてよかっただろう、ばあちゃん?」
「ああ、お前のおかげで座るのが楽になった」 
 すでにソファーに腰掛けていた祖母が答えた。
 茶の間に入るとすぐ沙理奈はきちんと正座した。そして自分と同じようにあずさを正座させたあと、そっとささやいた。
「ママと同じようにあいさつするのよ」
 沙理奈が山室の両親と祖母に向かって丁寧に頭をさげると、あずさも同じように頭をさげた。 
 やがて顔を上げた沙理奈は、緊張した顔で口を開いた。
「突然お邪魔してしまい、申し訳ありません。竹井沙理奈といいます。となりにいるのが娘のあずさです。4歳になります……」
「そんなところじゃなくてソファーに座ってください」 
 山室の父親は腰を浮かせてソファーの方を指し示したあと、妻に向かって言った。
「お茶とそれから……、オレンジジュースかなにかを出して」
 台所に行こうとして山室の母親が立ち上がったとき、遅れて入ってきた美穂が声をかけた。「母さん、あたしがお茶の用意をするから」
 美穂が台所に行き、沙理奈とあずさがソファーに座ったところで、山室の父親があいさつした。
「遠いところをようこそお出でくださいました。私が純一の父親の孝太郎です」
 続いて孝太郎はとなりに座る妻を見た。
「純一の母親の志津江です」
「はじめまして……」
 志津江が丁寧に頭をさげた。
 そのあと孝太郎はソファーに座っている祖母を見た。
「それからこっちに座っているのが私の母のハナです」
「こんにちは。ほんとに可愛らしい親子だこと」 
 ハナはにこにこしながらちょこんと頭をさげた。
 あいさつが終わったところで、山室は両親と祖母の顔を見ながら切り出した。
「昨日電話で母ちゃんには話したけど、俺は竹井沙理奈さんと結婚するつもりだ。それで顔合わせとあいさつを兼ねて、今日彼女とあずさちゃんを連れてきたんだ」
「いきなりの話で、俺も母ちゃんも、ばあちゃんもびっくりだ。あわてて美穂にも連絡して今日来てもらったんだ」 
 孝太郎が志津江とハナを見ながら言った。
「あたしも父さんから電話をもらってびっくりしたわ」 
 そう言いながら、美穂がお盆を持って茶の間に入ってきた。
 「どうぞ」と言って、美穂は沙理奈の前にお茶を、あずさの前にはオレンジジュースとプリンを出した。
「すみません。あずさのためにジュースとプリンを出していただきまして」 
 沙理奈は丁寧に頭をさげた。それを見たあずさも、「すみません」と言って、ぺこりと頭をさげた。
「お行儀のいい子だね。お母さんのしつけが行き届いているんだね」 
 ハナがにこにこしながらうなずいた。
 孝太郎は一口お茶を飲んだところで沙理奈を見た。
「ところで竹井さんは、どういう縁で息子と知り合ったんですか?」
「それをお話しする前に……」と言ったあと、沙理奈はやや青ざめた顔で言葉を続けた。
「わたしがどういう人間で、どういう人生を送ってきたかを皆様にお話ししなければなりません。わたしの話を聞けば、皆様はきっと驚き、あきれ、そしてわたしを軽蔑することと思います。わたしも人に知られたくないし、できれば隠しておきたいことです」
 沙理奈は、そばに座っているあずさにちらっと目をやった。
「この子にも、いまではなく、もっと大きくなってから知ってもらいたいこともあります。
 でも皆様にお会いする前に決めたんです。隠し立てをしたり、取り繕ったりしないで、正直にすべてをお話ししようと……。
 自分勝手で都合のいい話ですが、ありのままのわたしをわかっていただいたうえで、何とか皆様にわたしとあずさを家族として受け入れていただきたいという希望を持っているんです」
 そう言ってから、沙理奈はハンドバッグからブルーのハンカチを取り出すと、両手でぎゅっと握りしめた。
 沙理奈の様子をじっと見つめていた山室が美穂に向かって言った。
「悪いけど、家のまわりをあずさちゃんに案内してくれないかな」
 美穂はうなずくと、あずさの手を取った。
「あずさちゃん、おねえさんと一緒に散歩に行こうか」
 飲み込みの早いあずさは黙って美穂の手を握ると、二人して外に出て行った。
「純一さん、ありがとうございます」 
 沙理奈は小さな声で礼を言った。
「竹井さん……、あなたはどんなことをしてきたんですか?」 
 孝太郎が緊張した声で尋ねた。
 
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