第1話

文字数 2,038文字

「今度は田辺君だって」

 また一人、クラスメイトがいなくなった。森へ薬草採取に出かけた田辺君だ。みんなの最後尾を歩いていた彼は、いつの間にか姿を消していた。
 捜索すると、薬草籠と小刀が見つかった。ひらけた場所に並べて置いてあったそうだ。

 それ以上は、どんなに探しても、かけていた眼鏡さえ見つからなかった。

「きっと帰ったんだよ」
「いいなあ」

 川で洗濯する女子たちは田辺君を羨んだ。次こそは自分の番だと明るく笑う。私は分担の衣類を黙々と洗っている。
 先に作業を終えて、物干し場へ向かった。進路に美しい青年が立っている。

「君も羨ましい?」

 震える私へ、彼は穏やかに微笑んだ。チラリと空を見た青年は、肩をすくめて、すぐに道を譲ってくれた。

 □

「やあ皆さん、異世界へようこそ。その変わった服は、転移者だね」

 遠足のバスが崖下へ転落した。事故の後、私たちは何故か熱帯植物が生い茂る森にいた。大人は見当たらず、ここには高校生しかいない。青年に声をかけられるまで、その場から動けなかった。

「異世界? 嘘だろ」
「ありえない!」

 彼の説明によると、この辺りは空間が不安定で他の世界から迷い人が来るらしい。集団の迷子は初めてだと、彼は朗らかに笑う。

「大丈夫。元の世界と繋がりが深いんだろうな、いつの間にか帰ってしまうよ」

 みんなの顔に安堵が浮かぶ。初対面の青年が語る、根拠の無い話を信じてしまった。縋りつくしか無かったのだ。気さくで容姿端麗な青年への好感もあったと思う。

「良かったら、村に来る? 滞在中は働いてもらうけど。君たちの世界について教えてくれ。娯楽に飢えてるんだ」
「野宿は危険だよ。お世話になろう」
「俺たち運がいいな」
「ラノベなら最初はゴブリン戦だもんね」

 青年が目を丸くする。

「ゴブリンって?」
「えっと、緑色のモンスターで……」
「ははは、さっそく面白い話が出てきたぞ」

 人当たりの良い青年に、明るく話しかけるクラスメイト。私は地べたに座り込み、ガタガタ震えていた。

「違う、転移なんかじゃ……」

 だって、みんな死んでいた。ひしゃげたバスの中で、頭が潰れ、首が折れて。みんな即死した惨状で、生存者は私だけだった。そんな私自身、救助が来る前に息絶えた筈だ。

「立てるかい?」

 体が強張る。青年が私を見下ろしている。私が彼の嘘に気付いたと、たぶん彼は察していた。青年がチラリと空を見る。肩をすくめた彼は、動けない私を抱きあげた。


 美男美女ぞろいの村人たちは、快く住居を提供してくれた。労働は水汲みや薪割りなど、主に家事の手伝いだ。
 彼らは私たちの話を聞きたがった。何が流行っていて、どんな価値観で、何が常識かを。
 異世界転生、転移、勇者、聖女、エルフにゴブリン。そんな話まで村人たちは楽しそうに聞いている。

「異世界から帰れた人たちが、話題にならないのは、どうしてだろう?」

 その疑問は度々出てきた。けれど、村人ではなく、私たちの誰かが答えを用意する。

「正直に話して、誰が信じるんだ」
「転移直後の時間に戻れるのかもよ」

 みんな不安を隠していた。仲間の帰還を疑えば、足元が崩れてしまう。裏付けのない願望を真実だと思い込むほど、私たちは寄る辺なかった。

 □

 月明かりの下を歩いていく。みんなが眠ってから家を抜け出した。聖域だから近付かないよう言い付けられた場所には、ただ穴があった。

「そんな」

 底には干からびた遺体が積み重なっている。後ずさると、軽い物が踵に当たった。ひび割れた眼鏡だ。

「田辺君……」

 震える手で拾い上げる。背後から静かな声が響いた。

「食事が済んだら、この穴へ捨てている。君たちは、燃やすと嫌な臭いがするから」

 ギクリと振り返る。青年は、私ではなく月を見ていた。

「逃げなくていいよ。見られているときは食べたくない。別に逃げても構わないけど」

 自力で生きていけるなら、友達も連れて行けばいいと、無関心に彼は言う。月を眺める姿は凄艶だった。

 ――この虫は獲物の体液を吸うんだ。

 ふいに兄の言葉を思い出す。虫の飼育を趣味にしていた。私にとっては気持ち悪くても、兄はそれを綺麗だと言った。

 ――神経質で人前では補食しない。でも、いつか見てみたいなあ。

 生き餌でないとろくに食べない。餌は大人しい小虫が適している。側に置いておくと、いつの間にか補食しているという。

 事故で命を落とした無害な私たちは、意識だけ抜きとられ、新しい体を与えられた。転移ではなく転生。もしくはコピー・アンド・ペースト。
 私たちは、彼らのために用意された、小さな虫だ。

「おやすみ」

 何もせず青年が立ち去る。天上の誰かは落胆しただろう。彼らのためにクラスごと与えたくらいだから。
 握りしめた眼鏡に涙が落ちた。


 朝食は和やかだった。村人は同席するが、いつも通り信仰を理由に人前では何も食べない。みんなは、日本へ帰る話ばかりしている。
 傍らにいる青年が、笑みを含んだ声で私に囁く。

「早く帰れるといいね」

 私は唇を噛んで目を伏せた。
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