第7話アンドロイドとか心とかについてのぐだぐだ論理。

文字数 1,472文字

 SFの古典の一つ、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読破して思ったぐだぐだ論理。
 はっじまっるよ~。

………

 たまにこいつ機械か? とか感じるやつがいる。どんなところがというと例えばである。
 例えば、AIのように心がプログラミングされたものだとする。
 だが、心がプログラムだろうが人によって生育環境や遺伝子やらでプログラミングの内容が違うと思うわけ。つーか、心をプログラミングとか言うこと自体が機械か? とか言われるとか思うけど、それは置いといて。つーか、機械か? とか言われると俺は思うから分かってるわけである。
 
 でも、たまにそれがわかんないやつがいる。そーいうやつです。機械か? とか思うの。

 まあ、そう言った感情論はとりあえず論理的思考をするために別に分けといて考えて…。

 とかいう論理的に思考すると、道徳的や倫理観的に冷血とかされる判断やらするので機械とか言われるわけです。でも、別にそれは別に論理的に思考する人が機械というわけではなく、別に感情的に冷たく感じるというだけです。そーいった人のことは自分は機械とは思いません。論理的に物事とらえて思考する人だと思うだけ。俺が機械か? とか思うのはそういった人ではありません。

 例えば、自分自身の主観や感性で物事の良しあしの判断ができない人。それに心あるんかい? とか思うわけです。
 例えば、ミリオンヒットしたとか今流行りでヒットしている。だから、いい。
 そう言い張る人。別に流行りの曲だからクソとかは言う気はないです。だが、流行りだからいいとか言って…。そこに自分の心での作品の判断がないわけです。だから、心ねーじゃん、機械じゃん、とか思うわけ。
 心がプログラムだとかはですね、AIつくろうと思ったらAIはプログラムの産物なわけです。よって、心をプログラミングで表現しようって研究が今まさに行われてるわけで、別に冷たくないわけです。漫画とかに出てくる人型ロボットとかみたいなのをAIとして作ろうとしたらプログラミングして作るしかないわけですから。
 よって、感情論は置いといて、そういった研究してる人たちは別に機械か? とか思わんわけです。
 自分が機械か? 心あるんかって思ったり感じる人は自分自身の心で作品の良しあしなどが判断できない人です。
 例えば、偏差値が高いから自分は頭いいとか言い張る人。いや、本当に頭いい人ももちろんいますが、偏差値高い大学出身だろうがバカはいますし、逆に学歴に興味ないから高偏差値の大卒じゃないけど頭いいって人も当然います。
 アップルのジョブス、頭いいけど中退で大卒じゃないですよ? でも、大卒じゃないからバカですか? 当然、違うじゃんってことで。
 そういった判断が機械みたいに偏差値だけで判断してできない。偏差値で頭の良しあし判断って、めっちゃくちゃ単純でバカ丸出しのプログラミングで動いてる出来の悪いAIみたいで、こいつ機械か? そう思うわけです。

 まあ、そんな感じでぐだぐだくだ巻いてますが、SFの古典読んで、んなこと思いました。
 いや、だって作品に出てくる人間そっくりだけど人間じゃないアンドロイド。そいつの同類じゃねーかとか思うし感じる人種がたまにいるんで。

 別に心理学者じゃねーけど、ここで言ってみる。
 他者の評価軸とか置いといて、自分自身の心の感じる判断で作品の良しあし判断できるのが心じゃないっすか?
 できたら、最近の作品か昔の作品かとかんけーないじゃん?
 古かろうがいいものはいい。新しくてもね?

 んな感じで、ぐだぐだ論理でした~。
 
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