4月30日(土) 晴れ

文字数 2,833文字

 麗らかな春の午後。

 堀田和臣巡査は、いつもの交番の事務机に噛り付いて、慣れない書類……県警広報の依頼のアンケート相手に悪戦苦闘していた。

 あれから十二日経ち、堀田はようやく静かな日常を取り戻しつつあった。
 事件は解決した。が、その後が大変だったのだ。
 護送中に逃走した凶悪犯を、たった一人で未成年者を人質に取られた状態でバケツをぶつけて捕まえる、という事態に、警察という組織が困惑したのだ。噛み砕いて言えば、堀田を褒めていいのか、罰していいのか、全く決まらなかったのである。
 堀田は数えるのも諦めた程に色んな場所に呼び出され、当時の経緯(いきさつ)を繰り返し繰り返し説明させられた。説明する相手は段々に偉くなり、最終的には県警本部長を始めとする地域の警察幹部の御歴々が一堂に会する場での説明を求められた。背筋に大いに汗はかいたものの、間違ったことはしていないという自負に基づいて、堂々と説明できたと堀田は思っている。

 最終的に、警察上層部は堀田を褒めるという方向で大筋の合意に至った。
 マスコミには細部は伏せられこそしたが、地方の交番巡査のファインプレーとして発表された。
 堀田はそこに、護送中の犯人に逃げられた、という警察の痛恨の不祥事から世間の目を逸らそうというような曲がった根性の意図を感じ、更に自分が演出されたヒーローとしてその片棒を担がされているようで、正直面白くなかった。
 
 逮捕の様子についての警察の発表は「人質を盾に車のキーを要求した犯人に対し、交番勤務の警官が一瞬の隙を突いて取り押さえた」だったが、どこから漏れたものか、弾を抜いた銃を敢えて奪われたことや、蹴ったバケツをぶつけて犯人をノックアウトしたことが噂以上のレベルで世間に流布していた。
 どうやらネット上の有名掲示板に当時の様子をかなり詳しく書き込んだ人物がいたようで、堀田の元には真相を尋ねる電話が親類縁者や友人は元よりマスコミや学生時代の恩師、作家や動画製作者など、実に様々な人々からひっきりなしに掛かって来ていた。
 県警の広報が窓口になってくれたので、問い合わせの数々の一切はそちらの電話番号へ即座にスルーパスしていたのだが、それでも堀田は電話のない世界に行きたいと本気で願うほどに大きなストレスを感じていた。

 だから、平時なら断るだろう「お手柄巡査・堀田和臣の素顔」なんて広報の企画も、この内容を伝えることでマスコミの直接取材は断る、という広報担当者の弁に負けて、協力することにしたのである。

 十一ページに渡るアンケートの大半は「堀田巡査への百の質問」という企画の質問紙で、その内容と量は企画への協力を後悔させるのに充分なボリュームだった。

「Q33.お風呂に入ったらどこから洗いますか……? アホか。この企画を立てた奴は」
「こんにちはー」

 からから、と交番の引き戸を開けて、水色のワンピースの少女が入って来た。
 事件のもう一人の主人公、サヤカだった。

「……今日は晴れてるぞ。日本晴れだ。来るとこを間違えてないか?」
「だってあれから全然雨が降らないんだもん。それとも、管轄内の住民が晴れた日に交番を訪れちゃいけないって法律でもできたの?」
「何の用だ。今日中にこの書類を県警広報に出さなきゃ行けないんだ」
「はいこれ」

 サヤカは堀田の目の前に、とん、とプレゼントの包みを置いた。

「何だ? 落とし物か?」
「そんなわけないでしょ。お礼よ。お・れ・い! 一応は、命の恩人なわけだしね」
「給料の内だ。礼にはおよばない」

 サヤカは一歩退くと姿勢を正した。
「堀田和臣巡査殿!」
「はいよ」
「先日は、私を凶悪犯の手から救って頂き! 誠にありがとうございました! 僭越ながら! クッキーなど持参致しました! どうか、お納めください!」
はきはきとした調子でそう言い切ると、サヤカはビシッと敬礼をした。
「さんきゅ」
「……何よ。ノリが悪いわね」

 サヤカは相談者用の事務椅子を引いて腰掛けると、足をぷらぷらさせながら、堀田が書類を書くのをしばらく眺めていた。

「それなんの書類?」
「アンケートさ。県警の広報が俺の記事を書くんだそうだ」
「すっかり有名人ね。どう? ヒーローになった感想は?」
「質問は県警の広報へ」
「冷たいの。空の拳銃とバケツシュート。まあマスコミも飛びつくわよねーそりゃ」
「……サヤカ。お前まさか。ネットの掲示板に逮捕の詳細を書き込んだのは……」

 サヤカはわざとらしく視線を泳がせて口笛を吹いた。堀田は軽く何度か首を振って、深く溜息を吐いた。

「ね。警察官になる試験って、難しいの?」
「……受ける奴によるな。サッカー馬鹿だった俺には難しかったが、高校卒業までしっかり勉強した奴なら、そう難しくはないんじゃないか?」
「駐在さんってさ、地域の交番に住んじゃうんでしょ? 希望して、なれたりする?」
「本人の適性や背景と地域の上長の判断だな。この交番は過去、駐在警察官がいた実績があるから、他の地域よりなりやすいかもな」
「調べたんだけど。男女の警官が結婚して、夫婦で駐在さんになる場合もあるんですってね」
「ああ、らしいな。俺は直接そういう人を知らないが。ケースとしては珍しいんじゃないか?」
「お墓参りの約束……憶えてる?」
「ああ、日取りを決めてなかったな。明日はダメだが、来週の日曜は非番なんだ。お前に予定がなければ、約束通り連れてってやるよ。きちんと筋を通して、気持ちにケリを付けようぜ」
「来週の日曜ね。連絡先を教えて。あなたに直接連絡できる奴」

 堀田は手を止めて引き出しから名刺を取り出し、裏に自分の携帯の番号とメールアドレスを書いて、サヤカに手渡した。

「OK。直前にまたメールする」
「ああ」
「クッキー。食べてよね」
「有難く頂くよ」

 サヤカはにっこり微笑むと、席を立って戸口に向かった。外に出ようとしたサヤカは立ち止まり、

「……ねえ」

 振り向いて不安そうな表情で堀田に問い掛けた。

「また、ここに来てもいい? その……雨が降ってなくても」
「管轄内の住民が、晴れた日に交番を訪れちゃいけないって法律でもできたのか?」

 サヤカは弾けるように笑みを作ると、

「またね!」

 そう言って光溢れる春の山里に飛び出して行った。
 堀田は、ああ、またな、と返事をしたのだが、彼女には届かなかったかも知れない。



 一人交番に残った堀田は、プレゼントの包みを開けた。英字新聞模様の立方体の箱の中には、ハートの形のクッキーが一杯に詰まっていた。

 その一枚を摘み上げ、口に放り込んだ堀田は、恐らく手づくりであろうそのクッキーをぽりぽりと味わいながら、今回の事件で大物を捕まえたつもりでいたが、まんまと捕まったのは自分の方なのかも知れない、と思った。
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