第1話

文字数 2,919文字

春、花が咲く時期以外に"桜"を見分けられない人間について、あなたはどう思うだろう?
きっと多くの人が「そんなの自分だってそうだ」とか「それが普通」と思うだろう。しかしボクはそうは思わない。ハッキリ言うと「友達までは許せるが、それ以上の関係にはなれない」のだ。
つまりボクは偏屈な植物マニアである。ちゃんと自覚はある。

何故こんな話をするのかというと、つい先日デートで彼女と日本庭園を訪れ、自分が「偏屈植物オタク」だと気づいたからだ。
彼女は文学を好む知的な女性で、そこが好きだった。しかし、植物についての知識はなかったようだ。
樹齢何百年の立派な桜を前にしたボクが「こんなに立派な桜、残すのは大変だっただろう」と口にした時に、あろうことか彼女は「どの木?」と平気で口にしたのだ。

それはまさしく、日本人の多くに当てはまる「桜は花が咲いていないとわからない」パターンであった。
咄嗟に口から出た言葉は「えっ…?」だった。
それをきっかけに帰りの電車でボクから別れ話を切り出し、彼女とは一方的に別れることにしたのだ。

みんなはこう思うだろう。「大袈裟だ」って。でも考えてもみて欲しい。
例えばあなたがあるアーティストを好きだったとしよう。そのアーティストのひとつの作品が何らかの形で大ヒットして、「にわか」が増えたらどう思うだろうか。そのアーティストの他の作品は知らないくせして、なんなら「知ろうともしない」くせして、我が物顔で「このアーティストのここが好き」と話していたら…少しイラッとするだろう?
ボクにとってのこの話は、まさに"桜"にあてはまるのだ。

日本人は桜が大好きだが、そんな人たちの中で、はたしてどれだけの人間が夏の桜を愛しているだろう?
桜はひとくちに桜と言っても、種類が多い。花の形だけ見ても花弁が五枚のものや八重のものなど様々であるのだ。
ちなみに何百種類もある桜は、基本的には十種ほどの桜が元になっている。ヤマザクラやオオシマザクラ、エドヒガンなどだ。ほとんどの人が思い浮かべるであろうソメイヨシノは、先ほど紹介した"オオシマザクラ"と"エドヒガン"の交配で作られた園芸品種だ。
ソメイヨシノは子孫を残す手段がないため、挿し木や接ぎ木でクローンを作ることしかできないことも特徴だろう。
挿し木や接ぎ木については分からない人は各自調べてみよう。調べることでキミも植物への興味が湧くだろうから。

さて、そんな桜だが、みなさんはそんな桜の夏の姿は思い描けるだろうか。

個人的に桜はほかの植物に比べ、夏の姿でも見分け易い方だと思う。桜の中の細かい品種までは難しいが、"桜の仲間"だというのを見分けるのは容易い。
樹皮も葉の形も分かりやすいのだ。

樹皮は横向きに細かい線が入る。なんだか人間の目のように見える線だ。比較的ツヤツヤしていることも特徴のひとつだろう。
葉もわかりやすい。たまごのような形で、真ん中あたりは広めなのだが、先にいくと急に狭くなりとがる。ふちはノコギリのようにギザギザだ。そしてやはり葉も比較的てかっているのだ。
木全体の樹形でも分かるようになれるといいのだが、さすがに初心者にはこのボクもそこまで求めようとは思わない。近くで見て桜だと分かるくらいが、最低限求められる知識だ。
偉そうに言っている自覚はあるが、これは譲れない。

できればだが、ほかの植物にも詳しい人が理想だ。
例えばボクは桜の他に"ナンキンハゼ"という木も大好きだ。この植物はなんといっても秋の紅葉が美しい。
紅葉といえばモミジやイチョウが代表的だが、それだけではない。ボクの中ではナンキンハゼこそが紅葉の王さまだと思っている。
モミジやイチョウよりやや大きい葉が真っ赤に染まり地に落ちると、まるでそこがホテルのロビーかと思うほどの美しい赤に染めあげてくれる。なんならホテルの絨毯より美しい。
それだけではなく、ナンキンハゼの実は和ろうそくの原料として利用できることも素晴らしいところだろう。
ちなみにナンキンハゼは多くの街で街路樹として利用されているので、ぜひキミたちにも探してみてほしい。葉の形で見分けるとわかりやすいぞ。

限界オタクすぎてここまでの文章を、ボソボソと一人きりの自宅でつぶやいていた時、軽快な音とともにスマホにメッセージが届いた。送信主の名にちらりと視線を遣ると、それは先日別れた彼女からだった。

「このあいだはごめんなさい。もう一度会って話したいです」

届いたメッセージをまじまじと見つめ、しばらく固まる。会って話したとてこのボクの、ある種ケッペキのような「桜見分けられない人間嫌い」はどうにもならないだろう。だがしかし、ボクも先日の別れ話の切り出し方があまりにも急だったとは思っていたのだ。
謝りついでにまあ一度会うくらいなら…と了承のメッセージを返した。そしてやりとりの中で、後日地元の大きな公園で会うことになった。

さて。時間が経つのは早くて、そうこうしているうちにその日が来た。公園まではチャリで十五分ほどだ。のんびり呑気に自転車を漕いでいく。
公園に到着し、待ち合わせ場所を振り返ると、彼女はボクより先に来ていた。こちらに気づくとまっすぐボクを見つめ、口を開く。
「…このあいだはごめんなさい」
「いいえ…こちらこそ」
そのふた言の後言葉は続かなかった。気まずい沈黙を破るべく、ボクは言葉を発した。
「このあいだは急にごめん。折り入って話がある」
そう言うとボクは俯いてしまう。自分の都合の良さに少しだけウンザリしたからだ。
彼女も口を開き、
「なに…?」
と訊ねてくる。
ボクはぽつぽつと話しはじめた。この間のデートのこと、桜や植物が大好きなこと、そしてボクが桜を見分けられない人アレルギーであること。

「なぁんだ」
そこまで聞くと彼女は笑った。その声の方へと顔をあげる。彼女の笑顔が眩しい。

「じゃあ私は植物のことは話さないようにするね」
そこで発された思いもよらない返答に、脳がフリーズする。

「にわかがイヤなんでしょ?その気持ちわかるから」
…ちがう。問題点が大間違いである。

「私はやり直したいな」
彼女がそう言い切る前に、ボクは我慢しきれず叫んだ。

「良さを分かち合えねぇ恋人はいらねぇっ!!

ボクの大声でハトが飛び立った。周りの子供や子連れファミリーからの視線もたくさん浴びているのだろう。まわりを考える余裕はないが簡単に想像がつく。

「ちげえよボクはめんどくせぇ植物オタクなんだわ!?語り合えねぇどころか理解する気のない恋人は要らねぇんだよ!残念だったな偏屈オタクで!!

そこまで一息で言い切ると、息を吸い込む前に頬に衝撃が走った。尻もちをつくくらいには勢いのあったそれ…ー平手打ちー…を食らって、ボクはただ呆けてしまう。そんなボクに目もくれず、彼女は去っていった。
しかし少ししてボクも正気に戻ると、なんだか面白くなってきて、大声でけらけらと笑い始めた。
そして大声でこう付け足した。

「求む!植物オタク!!もし我こそはという方は是非気軽に友達からはじめよう」

この声はきっとまだ見ぬ植物オタクに届くことだろう。そんな未来に思いを馳せ、帰りがけ大笑いしながらチャリを漕ぐボクは、自他ともに認める変人であった。
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