僕がやるべきこと ④

文字数 3,238文字

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 ――その日も、普段どおりに(つまりは課長の無理難題やら何やらに追われて)どうにか終業時間を迎えた。

「桐島ぁ、今日このあと日藤(にちどう)物産の女子社員との合コンあんだけど、お前も行く? 可愛いコ揃ってるらしいぜ♪」

「悪いけど俺パス! 久保、また明日な!」

 能天気な同期の誘いを蹴り、僕はさっさとエレベーターで地下駐車場へ向かった。一刻も早く、絢乃さんの声が聞きたかったのだ。……というか、彼女いるんじゃなかったのか!?

 僕は元々、合コンというヤツが好きではない。自分は何の取柄もない男だと思っていたから、合コン受けするとも思えなかったし、そもそも「とにかく誰でもいいから彼女が欲しい!」とがっつく方でもなかったのだ。飲めない人間が飲み会に参加すること自体、むなしいことはないのではないだろうか。
 それに、絢乃さんの精神状態が心配で合コンどころではなかったし。彼女以外の女性と親しくしたいという希望もなかったし。

 そんなわけで、自分の車に乗り込むとすぐにスーツの内ポケットからスマホを取り出し、前日に交換したばかりの絢乃さんの携帯番号に電話をかけた。

『――はい、絢乃です』

 電話に出た彼女の声は、思っていたより落ち着いていた。僕宛てにメッセージを送ってからだいぶ経っていたので、気持ちが少し落ち着いていたのかもしれない。が、やっぱりお父さまの病状を知ってすぐはかなり動揺していたのだろう。

「絢乃さん、桐島です。メッセージ、読ませて頂きました。『連絡してほしい』とあったので、お電話を」

 僕がそう言うと、彼女は僕の仕事のことを心配して下さった。よくよく聞けば、彼女は僕からの電話を受けるまで、時間の経過にすら気づいていなかったのだそうだ。
 それほどまでに彼女が茫然自失になっていたのかと思うと、僕の胸は苦しくて張り裂けそうだった。
 現実と言うのはなんて残酷なのだろう。こんなにショッキングな事実を突きつけられたら、もし僕が彼女の立場だったとしても、とても受け止められそうもない。

 僕は彼女の気持ちを少しでも和ませたくて、「本当はメッセージを頂いてすぐにでも、仕事も放りだして連絡したかった」と言ったのだが。真面目な彼女はそれをそのままの意味で受け取り、僕は「仕事はちゃんとしなきゃダメ」と叱られてしまった。
 でも、彼女の声色がそれほどきつくなかったのは、僕のユーモアを理解してくれたからだろう。……と僕は解釈した。

「――そんなことより、絢乃さんのお父さまのことですよ。末期ガン……なんですって? それはショックだったでしょうね」

 できるだけ同情的にならないように、僕は本題を切り出した。僕自身、湿っぽいのはキライなのだ。

『うん……。ママからの電話で聞いた時、わたし、目の前が真っ暗になったわ』

 彼女が受けたダメージは、かなりのものだったらしい。気丈に振る舞っているようでも、声はまだ沈んでいた。
 こういう時、ヘタな慰めは却って逆効果だ。僕のリアクションは相槌だけに留めておいた。

「お気持ち、お察しします。――泣かれたのは、ショックだったからですか?」

 僕が訊ねると、彼女はこう答えた。――ショックだったのもあるが、お父さまの苦痛を思うと苦しくなった。それに、お父さまの苦痛を代わってあげられないことがもどかしい、と。

「……うん、なるほど。お父さまのことを思って泣かれるなんて、絢乃さんは優しいですね。そんなお嬢さんに恵まれて、会長は幸せな方だと思います」

 僕の口から、自然とそんな言葉が出た。

 親が病気だと知って、ショックのあまり子供が泣いてしまうのはごく普通のことだ。……中にはそうでもない子供もいて、それが現実なのだが。
 けれど、彼女が泣いた理由はそれだけではなかった。病気だと、しかももってあと三ヶ月の命だと分かった父親の苦しみを自分のことのように感じ、それを自分が代わってあげられないことへのもどかしさ、悔しさから彼女は涙を流していたのだ。本当に父親想いのいいお嬢さんだと僕は思う。もちろん今でも思っている。
 そんないいお嬢さんを持てた源一会長は、すごく幸せだったのではないだろうか。本当に仲のいい親子だったのだなと思う。

『……えっ? そうかしら』

 僕のこのセリフを受けた彼女は、どうもピンとこないような口ぶりでそう言った。
 源一会長は多分、シャイな性格だったのだろう。自分のご家族にそういうことを口に出しては言えない人だったのだと思う。

「はい。多分、口ではおっしゃらないでしょうけど、心の中ではいつも感謝されてると思いますよ」

 僕も多分、自分では分かっていないけれど似たようなタイプの男だ。絢乃さんとのお付き合いが始まってからは、だいぶ変わったなと自分では思っているが、彼女がどう感じているのかは分からない。
 というか、日本人男性というのはきっと、元来そういうことを言わない人種なのかもしれない。そこは一種のお国柄、というべきか。

「――それで、お父さまは今、どうなさってるんですか? 今後の治療方針とかは聞かれました?」

 僕が一番気になっていたのはそこだった。源一会長が入院されるのか、在宅での治療になるのか。会社へは出社できるのか。
 彼は当時、我が〈篠沢グループ〉の大黒柱だった。もちろん会長職というのは名誉職だから、出社しなくても務まる。が、彼は仕事が生き甲斐のような人だったから、きっと病状をおしてでも出社されるだろう。社員としては、あまりご無理をして頂きたくなかったのだが……。

『ううん、それはこれから聞くけど。一応、今日は家に帰ってきてるから、すぐに入院ってことにはならなかったんだと思う。先生はパパのお友達みたいだから、パパの意思を尊重したかったんじゃないかしら』

 ……そう来たか。ということは、源一会長が本当にギリギリまで出社されるかもしれないということを意味していた。
 医師というのは、死期の近い患者には最期の瞬間まで患者自身の思い通りにさせてやりたいと思うものなのだろう。ましてや、その主治医がご友人であったならなおさらだ。

 僕はこの件について、彼女には悲観的になってほしくなかった。
 お父さまが「あと三ヶ月しか生きられない」というのは、裏を返せば「まだ三ヶ月は生きていられる」ということでもあるのだ。だから、できるだけ前向きに考えてほしいと思った。そしてその間に、彼女には精一杯の親孝行をしてほしいと。

 そのことを伝えると、彼女は「自分もお父さまには悔いを残してほしくない」と頷いて下さった。

「そうでしょう? ――僕が絢乃さんにして差し上げられることなんて、こうしてお話を聞くことくらいですけど。それでもよければ、またいつでも連絡して下さい。それで、絢乃さんのお気持ちが楽になるんでしたら」

 血縁者でもない、接点すらほとんどなかった僕が彼女のためにできることなんて、たかが知れていた。それでも、彼女が僕に胸につっかえた色々な思いを聞き、(ちょっと偉そうではあるが)人生の先輩としてアドバイスを送ることくらいならできると思った。
 些細(ささい)なことかもしれないが、それが一番彼女にとっても救いになるのではないかと。

『ええ。ありがとう、桐島さん。――それじゃ、また何かあったら連絡するわ。じゃあ、失礼します』

「はい。じゃあまた」

 彼女は僕に感謝の言葉を言って、通話を終えた。……僕個人としては、何もなくても彼女に連絡してほしいという気持ちではあったのだが。そんなことを言えば、下心見え見えで幻滅されるかもしれないので、これは今でも絢乃さんに内緒である。

「――これで、絢乃さんの気持ちがちょっとでも楽になってくれてたらいいんだけどな……」

 代々木まで車を走らせながら、僕は独りごちた。
 来るべき時のために、秘書室への転属希望は出すつもりだったが、僕が彼女のためにできること、やるべきことは他にないものか? この頃の僕は、毎日そんなことばかり考えていたような気がする。
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登場人物紹介

桐島貢(きりしまみつぐ)

篠沢グループ本社・篠沢商事・秘書室所属。大卒。

五月十日生まれ、二十五歳。A型。

身長一七八センチ、体重六〇キロ。

絢乃が会長に就任する際、本社総務課から秘書室に転属し、会長付秘書になった。マイカー(軽自動車→マークX)を所持している。

恋愛に関しては不器用で、現在も彼女なし。

絢乃と同じくコーヒー党。微糖を好む。スイーツ男子。

篠沢絢乃(しのざわあやの)

私立茗桜女子学院・高等部二年A組。

四月三日生まれ、十七歳。O型。

身長一五八センチ、体重四四キロ。胸はDカップ。

趣味は読書・料理。特技はスイーツ作り・英会話。好きな色は淡いピンク。

主人公。高二の一月に『篠沢グループ』の会長だった父・源一(げんいち)をガンで亡くし、父の跡を継いで会長に就任。

小学校から女子校に通っているため、初恋未経験。

大のコーヒー好き。ミルクと砂糖入りを好む。

桐島悠(きりしまひさし)

フリーター。飲食店でのバイトを三ヶ所ほど掛け持ちし、調理師免許を持つ。

六月三十日生まれ、二十九歳。B型。

身長一七六センチ、体重五八キロ。

桐島貢の兄。一人暮らしをしている弟の貢とは違い、実家住まい。高卒でフリーターになった。

貢曰く、かなりの女ったらし……らしい。兄弟仲は決して悪くない様子。

愛煙家である(銘柄はメビウス)。

篠沢加奈子(しのざわかなこ)

篠沢グループ会長代行。篠沢家当主。短大卒。

四月五日生まれ、四十三歳。O型。

身長一六〇センチ、体重四五キロ。胸はDカップ。

絢乃の母で、よき理解者。娘が学校に行っている間、代わりに会長の務めを果たしている。

亡き夫で婿養子だった源一とは、見合い結婚だったがオシドリ夫婦だった。

大の紅茶党。ストレートティーを好む。

ちなみに、結婚前は中学校の英語教諭だった。

広田妙子(ひろたたえこ)

篠沢グループ本社・篠沢商事の秘書室長。大卒、四十二歳。秘書室に異動した貢の直属の上司。

入社二十年目、秘書室勤務十年のベテラン。バリバリのキャリアウーマン。職場結婚をしたが、結婚が遅かったためにまだ子供には恵まれていない。

絢乃とは女性同士で気が合う様子。

小川夏希(おがわなつき)

篠沢グループ本社・篠沢商事の秘書室所属。会長付秘書→村上社長の秘書。貢と同じ大学の二年先輩。

七月七日生まれ、二十七歳。O型。

身長百六十二センチ、体重四十八キロ。

美人でスタイルもよく、仕事もバリバリできるキャリアウーマンで、社内では「彼女にしたい女性社員ナンバーワン」らしいが、現在彼氏ナシ、未婚。

同じ大学の後輩である貢のよき相談相手で、仕事上でもよき先輩。

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