後編
文字数 3,203文字
田端さんが水を買ってきてくれて、ベンチにかけなおして、ここまでのことをゆっくり話して、頭が回るようになれたのは、三十分くらい後だった。
「綾花ちゃん――
少女の話を聞いた田端さんはそう、ぽつりともらして、涙をこぼした。
「ごめん……謝っても今更だけど、ほんとにごめん」
「ううん……でも昌也くんは、どうして、そんな――?」
僕はすっかり蚊帳の外で、僕の体を使って喋る少女と、まだ涙を溜めた目の田端さんを見ていた。
「綾花ちゃんと、ずっと一緒に――そう決心して、女装はじめたんだ」
――えっ?
「女の子はじめて、十年は経ったよ」
「そんな、あたしのため――?」
「守れなかった、から」
「ちょ、ちょっと待って」
少女から口のコントロールを取り戻す。
「田端さんって、その――」
聞きにくいし、信じがたい。言い淀んでいると、先に田端さんが答えを出してくれた。
「男だよ。戸籍上は今も、昌也」
「嘘だろ――男には見えないよ」
「第二次性徴より前に、女の子してるからね」
ふぅっと微笑む、泣き笑いの表情の田端さんは女の子としか思えない。
「じゃあ、綾花って名前は――」
「小園くんの中の綾花ちゃんから借りてる」
田端さんが触れ合うくらい近寄ってきた。
甘い香りがふわっと漂う。
「綾花ちゃん、ごめん」
「いいって、ね? それより昌也くんが無事でよかった」
また奪われる。少女のコントロールで、僕の手が田端さんの手に乗せられる。
「昌也くんも被害者なんだから。――そりゃ、ここで意識が戻った時には恨んだけどね。でも十年も考えれば解るよ」
さっき、埋められたとか言ってたのを思い出す。
「――埋められた時は息があった、ってこと?」
「そうなの」
僕の口から疑問と答えが両方出る。
「じんじんした痛みで目が覚めて、でも動けなかった――この木の根に縛り付けられてたみたい。もしかしたら刺さってたのかも。
ゆっくり死んでいく中で、あたしをこんな目に遭わせたあの男を恨んで、守るって約束を果たせなかった昌也くんにも腹を立てたけどそれは思い直した」
田端さんと、見つめ合っていた。
僕の鼓動は早まるけど、少女――綾花ちゃんは平気なようだ。
「何の木か知らなかったけど、桜だったんだね。
綺麗に咲いてる――よかった」
綾花ちゃんが、真上を見上げた。
すっかり暗くなって、街灯が花を照らしている。
「あたしね、出られなくて死んじゃうなら、この木を立派なのにしてやろう、って思ったんだ。花が咲くなら、周りより強く咲かせてあげよう、って。
それができたら――昌也くんが無事だったら、あたしの育てた花を、花が好きな昌也くんに届けたい、そう願った」
花が――好き?
「え? 田端さんって花嫌いなのかと」
「トラウマになってたんだ」
そう、少し笑って、枝を見上げる。
やっぱり、可愛い。
「この公園で一番綺麗な桜だよ。
――そうだ。あの男は今、刑務所」
田端さんが言う。
「ここに綾花ちゃんがいることも、ボクから言うよ。急に思い出したとか何とか、適当な理由で」
田端さんの一人称が『ボク』に変わった。
「あ――あの、さ」
同じ口からでも、僕が発するほうが綾花ちゃんよりわずかに低い声になることに気がついた。
「ふたりは、付き合って――たの?」
いまどき小学生でもそういうことがあるかも知れない。
田端さんはひょっとして、この綾花ちゃんがいるから、浮いた話がないのかも――そんなことを思う。
「ううん」
しかし、二人に否定された。
「誘拐されて、半年くらい一緒に監禁されてた」
もっとヘビーな答えが僕の口から出る。少し高い。綾花ちゃんの声だ。
「昌也くんは今は、彼女とかいるの? それか、彼氏?」
「どっちも、いないよ」
困ったような眉と、自嘲のような唇を見せる。
それなら――
「田端さん――す、好きですっ」
ヤケ気味だった。
体の支配権を奪還して、言おうとしたことと尋ねようと思ったことがぐるぐる巡った結果、唐突な告白になってしまう。
田端さんがくすっと笑った。
「そんな気はしてたけど、そうなんだ」
さらに距離が縮まる。
「ボク、男だよ」
「それでも」
やっぱり。
胸が高鳴ってるのが、萎えないでいるから。
「その姿で告白するのは、ズルいなあ」
そうだ。忘れかけてたけど僕は女に――『成長した綾花ちゃん』になってるんだ。
ほとんど密着しそうなくらいになる。
「言うのも応じるのも、ずるい。ボクも、小園くんも」
またいい匂いが僕の鼻孔をくすぐる。
女の子の香り。
「ボクは男が好きだから女装してるんじゃないし、誰かと付き合いたいとも思ってない。でも今の小園くんは女の子になってる――何より、綾花ちゃんが入ってる」
田端さんの腕が、僕の背に回される。
胸の圧迫感は、僕のものか田端さんのか判らないけど、柔らかく圧されて締められ、ほとんど耳元で田端さんが言う。
「綾花ちゃんと付き合う気でOKしたら、小園くんに悪いよ。
小園くんは『田端は実は男だけど、自分が女になったからちょうどいい』とか思った?」
「そんなこと、思いもよらなかった」
即答で否定する。
「男だって聞いても、田端さんが好きな気持ちは変わってない。男女の――お互いの体のことなんて、いま考えてなかった。性格というか人となりというか、そういうとこに惚れてるんだ」
告白した勢いで言う。
「小園くんはそう言うかな、って思った」
田端さんが笑って、僕から離れた。
唇を数秒、重ねてから。
「――っ!?」
「ありがとう。小園くん――綾花ちゃんも」
「あたしは、昌也くんが元気なのがわかったから、なんていうか満足だよ」
手は、まだつながっている。
「小園さん? ごめんなさい、こんなことになっちゃって」
「――いいよ」
ひとつの口で、少女と会話するのは奇妙な――ある種の話芸のようにも思えてきた。
「結果的に、田端さんと近付けてるし」
「優しいんだね。いっそ昌也くん、付き合ったら?」
「――うん、まあ、とりあえず今までより仲を深めるところから、始めない?」
田端さんは困ったような、照れたような、微妙な笑みを浮かべた。
「それで充分だよ」
今度は僕から田端さんを抱きしめる。
「――じゃあ、あたし、行くね。
なんでか解らないけど『行かなきゃ』って気がした」
急に、綾花ちゃんの気配のようなものが薄れていくのを感じた。
「そっか。
綾花ちゃんと話せてよかった」
「あたしも。
昌也くん、元気でね。
小園さんも、ありがとうね」
すぅっ、と脳裏にかかっていた靄が消え――
「なんで、戻らないんだよ」
僕の体は、女のままだった。
(ん?)
綾花ちゃんも、まだ僕の中にいるようだ。
「なんでだろうね。まあ、その内消えるんじゃない?」
「他人事みたいに言うなよ」
「ほら、死にかけてたし、あたし、命の恩人かもよ?」
「これが夢じゃないなら、もう大丈夫だろ」
綾花ちゃんとのやりとりに、田端さんがくすっと吹き出す。
「面白いね。ボク――私、ちょっと気持ち軽くなれた」
一人称が戻った。
「これからは花も、見れるようになれそう」
よかった、と思う。
少なくともこの出来事が、田端さんのプラスになったのなら、それでいいような気がした。
「これからもよろしくね、小園くん。
あ、それか、女の子っぽく『智子ちゃん』とかしてみる?」
「それは――」
どうしたらいいんだろう。
答えを出せないでいる僕の手を引いて、田端さんが立ち上がった。
「どっちでもいいんじゃない? すぐに結論出さなくてもいいし、私は小園くんの意思を尊重する。
けど――」
けど?
引っ張られるまま腰を上げて、目を丸くした僕に、田端さんが言う。
「とりあえず、軽く晩ごはん、行かない?」
柔らかな笑顔はやっぱり女の子にしか見えなくて、爽やかで温かく、僕にはどこまでも魅力的で、また惹かれるばかりだった。
――そうだ。
ふと思った。
田端さんに、花束を贈ろう。
「綾花ちゃん――
ここ
だったんだ」少女の話を聞いた田端さんはそう、ぽつりともらして、涙をこぼした。
「ごめん……謝っても今更だけど、ほんとにごめん」
「ううん……でも昌也くんは、どうして、そんな――?」
僕はすっかり蚊帳の外で、僕の体を使って喋る少女と、まだ涙を溜めた目の田端さんを見ていた。
「綾花ちゃんと、ずっと一緒に――そう決心して、女装はじめたんだ」
――えっ?
「女の子はじめて、十年は経ったよ」
「そんな、あたしのため――?」
「守れなかった、から」
「ちょ、ちょっと待って」
少女から口のコントロールを取り戻す。
「田端さんって、その――」
聞きにくいし、信じがたい。言い淀んでいると、先に田端さんが答えを出してくれた。
「男だよ。戸籍上は今も、昌也」
「嘘だろ――男には見えないよ」
「第二次性徴より前に、女の子してるからね」
ふぅっと微笑む、泣き笑いの表情の田端さんは女の子としか思えない。
「じゃあ、綾花って名前は――」
「小園くんの中の綾花ちゃんから借りてる」
田端さんが触れ合うくらい近寄ってきた。
甘い香りがふわっと漂う。
「綾花ちゃん、ごめん」
「いいって、ね? それより昌也くんが無事でよかった」
また奪われる。少女のコントロールで、僕の手が田端さんの手に乗せられる。
「昌也くんも被害者なんだから。――そりゃ、ここで意識が戻った時には恨んだけどね。でも十年も考えれば解るよ」
さっき、埋められたとか言ってたのを思い出す。
「――埋められた時は息があった、ってこと?」
「そうなの」
僕の口から疑問と答えが両方出る。
「じんじんした痛みで目が覚めて、でも動けなかった――この木の根に縛り付けられてたみたい。もしかしたら刺さってたのかも。
ゆっくり死んでいく中で、あたしをこんな目に遭わせたあの男を恨んで、守るって約束を果たせなかった昌也くんにも腹を立てたけどそれは思い直した」
田端さんと、見つめ合っていた。
僕の鼓動は早まるけど、少女――綾花ちゃんは平気なようだ。
「何の木か知らなかったけど、桜だったんだね。
綺麗に咲いてる――よかった」
綾花ちゃんが、真上を見上げた。
すっかり暗くなって、街灯が花を照らしている。
「あたしね、出られなくて死んじゃうなら、この木を立派なのにしてやろう、って思ったんだ。花が咲くなら、周りより強く咲かせてあげよう、って。
それができたら――昌也くんが無事だったら、あたしの育てた花を、花が好きな昌也くんに届けたい、そう願った」
花が――好き?
「え? 田端さんって花嫌いなのかと」
「トラウマになってたんだ」
そう、少し笑って、枝を見上げる。
やっぱり、可愛い。
「この公園で一番綺麗な桜だよ。
――そうだ。あの男は今、刑務所」
田端さんが言う。
「ここに綾花ちゃんがいることも、ボクから言うよ。急に思い出したとか何とか、適当な理由で」
田端さんの一人称が『ボク』に変わった。
「あ――あの、さ」
同じ口からでも、僕が発するほうが綾花ちゃんよりわずかに低い声になることに気がついた。
「ふたりは、付き合って――たの?」
いまどき小学生でもそういうことがあるかも知れない。
田端さんはひょっとして、この綾花ちゃんがいるから、浮いた話がないのかも――そんなことを思う。
「ううん」
しかし、二人に否定された。
「誘拐されて、半年くらい一緒に監禁されてた」
もっとヘビーな答えが僕の口から出る。少し高い。綾花ちゃんの声だ。
「昌也くんは今は、彼女とかいるの? それか、彼氏?」
「どっちも、いないよ」
困ったような眉と、自嘲のような唇を見せる。
それなら――
「田端さん――す、好きですっ」
ヤケ気味だった。
体の支配権を奪還して、言おうとしたことと尋ねようと思ったことがぐるぐる巡った結果、唐突な告白になってしまう。
田端さんがくすっと笑った。
「そんな気はしてたけど、そうなんだ」
さらに距離が縮まる。
「ボク、男だよ」
「それでも」
やっぱり。
胸が高鳴ってるのが、萎えないでいるから。
「その姿で告白するのは、ズルいなあ」
そうだ。忘れかけてたけど僕は女に――『成長した綾花ちゃん』になってるんだ。
ほとんど密着しそうなくらいになる。
「言うのも応じるのも、ずるい。ボクも、小園くんも」
またいい匂いが僕の鼻孔をくすぐる。
女の子の香り。
「ボクは男が好きだから女装してるんじゃないし、誰かと付き合いたいとも思ってない。でも今の小園くんは女の子になってる――何より、綾花ちゃんが入ってる」
田端さんの腕が、僕の背に回される。
胸の圧迫感は、僕のものか田端さんのか判らないけど、柔らかく圧されて締められ、ほとんど耳元で田端さんが言う。
「綾花ちゃんと付き合う気でOKしたら、小園くんに悪いよ。
小園くんは『田端は実は男だけど、自分が女になったからちょうどいい』とか思った?」
「そんなこと、思いもよらなかった」
即答で否定する。
「男だって聞いても、田端さんが好きな気持ちは変わってない。男女の――お互いの体のことなんて、いま考えてなかった。性格というか人となりというか、そういうとこに惚れてるんだ」
告白した勢いで言う。
「小園くんはそう言うかな、って思った」
田端さんが笑って、僕から離れた。
唇を数秒、重ねてから。
「――っ!?」
「ありがとう。小園くん――綾花ちゃんも」
「あたしは、昌也くんが元気なのがわかったから、なんていうか満足だよ」
手は、まだつながっている。
「小園さん? ごめんなさい、こんなことになっちゃって」
「――いいよ」
ひとつの口で、少女と会話するのは奇妙な――ある種の話芸のようにも思えてきた。
「結果的に、田端さんと近付けてるし」
「優しいんだね。いっそ昌也くん、付き合ったら?」
「――うん、まあ、とりあえず今までより仲を深めるところから、始めない?」
田端さんは困ったような、照れたような、微妙な笑みを浮かべた。
「それで充分だよ」
今度は僕から田端さんを抱きしめる。
「――じゃあ、あたし、行くね。
なんでか解らないけど『行かなきゃ』って気がした」
急に、綾花ちゃんの気配のようなものが薄れていくのを感じた。
「そっか。
綾花ちゃんと話せてよかった」
「あたしも。
昌也くん、元気でね。
小園さんも、ありがとうね」
すぅっ、と脳裏にかかっていた靄が消え――
「なんで、戻らないんだよ」
僕の体は、女のままだった。
(ん?)
綾花ちゃんも、まだ僕の中にいるようだ。
「なんでだろうね。まあ、その内消えるんじゃない?」
「他人事みたいに言うなよ」
「ほら、死にかけてたし、あたし、命の恩人かもよ?」
「これが夢じゃないなら、もう大丈夫だろ」
綾花ちゃんとのやりとりに、田端さんがくすっと吹き出す。
「面白いね。ボク――私、ちょっと気持ち軽くなれた」
一人称が戻った。
「これからは花も、見れるようになれそう」
よかった、と思う。
少なくともこの出来事が、田端さんのプラスになったのなら、それでいいような気がした。
「これからもよろしくね、小園くん。
あ、それか、女の子っぽく『智子ちゃん』とかしてみる?」
「それは――」
どうしたらいいんだろう。
答えを出せないでいる僕の手を引いて、田端さんが立ち上がった。
「どっちでもいいんじゃない? すぐに結論出さなくてもいいし、私は小園くんの意思を尊重する。
けど――」
けど?
引っ張られるまま腰を上げて、目を丸くした僕に、田端さんが言う。
「とりあえず、軽く晩ごはん、行かない?」
柔らかな笑顔はやっぱり女の子にしか見えなくて、爽やかで温かく、僕にはどこまでも魅力的で、また惹かれるばかりだった。
――そうだ。
ふと思った。
田端さんに、花束を贈ろう。