水無月(三)身近な相談相手

文字数 2,436文字

「お姉さん、何をご馳走してくれるの?」
 今日、由紀子は妹の早紀子を連れて街へと出かけた。
「何でもどうぞ」
「はは~ん、何か相談ごとね。あるいは、愚痴の聞き役かしら」
 相変わらず勘のいい早紀子である。
「じゃ、私、中華がいいかな」
 二人は大きな中華料理店に入った。広い店内はガヤガヤと騒がしく、とても落ち着いて話す雰囲気ではなかった。そんな中で、早紀子はご馳走に舌鼓を打ち、満足そうに店を後にした。
「ごめん、お姉さん、これじゃ食逃げね」
 早紀子の言葉に由紀子は笑いながら答えた。
「そうね、食後のコーヒーをじっくりと味わいましょう」
 
 喫茶店に入った二人は、今度は静かな店内で向かい合って座った。
「それで、直樹さんがどうかした?」
 運ばれてきたコーヒーに砂糖とクリームを入れながら、当然のように早紀子が聞いた。
「実はこの前ね……」
 由紀子は、美沙子と黒木と四人で会った時のことを話した。
 
「ふ~ん、まるでドラマみたいな展開ね。それも登場するのは美男美女ばかり、現実の世界としてはちょっとできすぎって感じもしないでもないわね」
「茶化さないで」
「とにかく事は順調に運んでいるけど、肝心のお姉さんの気持ちがついていかないってわけね」
 早紀子の呑み込みの良さには、いつもながら感心する。
「そうなの、いったい私は何が不満なのかしらね……」
「簡単よ、お姉さんは恵まれすぎているのよ」
「それ、どういうこと?」
「周りに猛反対されるとか、直樹さんのことを好きでたまらない強烈なライバルが現れて取られそうになるとか、そういう障害が全くないからよ。ロミオとジュリエットだって、敵同士の家柄だから、あんなに激しく愛が燃え上がったのだと思うわ」
「恋愛には障害が必要だというわけ?」
「時と場合によるわね。そりゃあ、順調に進むに越したことはないけど、恋に不慣れなお姉さんの場合、あまりにお膳立てが整いすぎているというのは、余計なことばかり考えてしまって返ってよくないんじゃないかしら。
 それに恋愛って、そんな穏やかな時ばかりではないはずよ。刺激が足りないんだわ、そうよ刺激よ」
「刺激?」
「ええ、仮に直樹さんが急に冷たくなったら、お姉さんどう? 気になるでしょう? あるいは反対に、いきなりホテルに連れ込まれそうになったら、言い争いになるでしょ? そうやって、いろいろなことが起こって、お互いの距離が近づいていくものなのよ。雨降って地固まる、っていうあれよ。
 お姉さんたちは優等生同士だから、お互いを気遣い合うばかりでケンカもしないんじゃないの?」
 由紀子は、早紀子の言葉一つ一つに心が頷いた。
「でも、直樹さんはがんばっていると思うよ、遠慮がちながらも、お姉さんに近づこうとしているのがわかるもの。残念なことに、それが逆効果なんだよね、きっと。お姉さんにとって、直樹さんは良い人止まりなんだよ。恋愛って難しいもんだね」
「じゃあ、早紀ちゃんはどうしたらいいと思うの?」
「そうねえ、思い切って一度離れてみたら? 直樹さんの素晴らしさと、直樹さんへの愛情を感じられるかもしれないわよ」
「無責任なこと言わないで。そんな勝手なことできるわけないじゃない!」
「もちろん相手のあることだから、それっきりになる可能性もあるわよ。でも、それくらいのカンフル剤を打たなければ、お姉さんには効かないような気がするのよね。だって、これだけ至れり尽くせり大事にされて、それでも心から好きかわからない、なんて言っている人に、他にどうすればいいと思う?」
「…………」
「恋愛は心と心のぶつかり合いよ、片方の情熱だけでは成り立たないものだわ。お姉さんの心をつかもうと必死な直樹さんを、お姉さんは高みの見物、距離を置いて冷静に眺めているだけ。それではダメよ。お姉さんも傷つく覚悟が必要だわ」
「高みの見物だなんて、私はそんな……」
「私にはそう見えるよ。直樹さんのひとり相撲のようにね。
 これ以上続けても、お気持ちには添えないと思うので終わりにしましょう、そう言ってみれば」
「そんなこと今さら言えるわけないじゃない! お互いの家族にも紹介し合って……」
「ほら、そういうところ! お姉さんは建前が先なのよ。約束したから断れない、歩き始めたから止まれない、そんなことはないよ。いつだって引き返せるし、どこからだってゼロにすることができるんだよ。自分を縛り過ぎて、お姉さん、身動きが取れなくなっているのよ」
「そんなことないわ、これからもっと直樹さんのことを知ればきっと好きになって……」
「本当にそう思える? それができないから、こうして悩んでいるんじゃないの? それなのに、周りの状況は結婚へ結婚へと進んでいく、それで困っているのよね?」
「でも、直樹さんは焦らないでいいって言ってくれているし……」
「そんな生ぬるいことばかり言っているから、全然前へ進まないんだわ。きっと、これからも何も変わらないと思うよ。
 お姉さんがどうしても言えないのなら、私が伝えてあげてもいいよ」
 由紀子は、思いもしない方向に進んでしまった話に、ピリオドを打つように言った。
「この話はもう終わり! 早紀ちゃん、アイスでも食べましょうか? 甘い物は別腹でしょ?」

 
 そして翌日、仕事帰りの電車の中で、由紀子は早紀子からのメールを受け取った。開いてみると、
『お姉さん、今帰り? 私、今日友だちと会うから遅くなるって、お母さんに言っておいてね。
 ああ、それから昨日のこと、直樹さんに伝えておいたから、じゃあ』
(ええ!! なんですって!)
 由紀子は、もう少しで声をあげそうになった。
(昨日のことって、まさかあの別れの言葉のこと?! あの子ったら……まさか、そんな、でも……)
 そういえば今日、直樹は休日のはずだが、一度も連絡が来ない。
(あの子、本当に言ったんだわ!!

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