クリスマス(無花果)

文字数 2,262文字

十二月二十四日

明日は、私が生まれる日。
生へと帰す。

明日のイエス・キリストの誕生を祝う為、
世界は昨日より一層息を荒げている。

この日だけ、世界がただ一人のためだけに動いている。

イエスは人類の罪を償うため、自ら十字架に磔にされた。

そんな壮大な、自意識過剰な、存在

私もその二の舞を踏む黒夢が、脳髄の隙間にこびり付いていた。

生へと帰す。

別れを告げ、始まりに戻る。

そして、次に磔にされるのは私
流れる血の線が、未来への道しるべになる。

街は赤と白に彩られ、嗜好品を買いに来た人々の足音、止まない金銭の授受、飛び交う黄色い歓声、無意味に揺れ続ける鐘の音…

裏山の教会へ向かう。今朝自宅に届いた手紙を握りしめながら。裏山の教会で明日〇時、私たちのどちらがあの世逝きかを告げるのである。手紙には、〈遺書 無患子〉の文字がハッキリと書かれている…
教会の入り口に立つと、牧師のイライジャが歩み寄ってきた。
背は高く、体格の良い、牧師らしくない見た目の男性だ。
「明日だな」
「はい」
「行くのは、…………無患子か?」
「…」
「聞かなくていいところまで聞いたな。すまない」
「死は全員に平等に来るって言いますよね」
「ンあ? ………うん。…そうだな」
「平等にって語弊ありますよね」
「そうか?」
「無患子、あの子は私よりもずっと生きたがってます。感染症のせいで家族や世間から避けられているけど、感染症がなければ、あの子は世の中に何かいい影響を与えられる人なんじゃないかなって思うんです」
「でも現実、ディーツー〇八七は不治の病だ。無患子が世間に出ることはないさ」
「そんなの、分からなくないですか? この先医療の発達も考えられます。私、無患子にこの先を託してみたいんです。私なんか、健康というところ以外何の取柄もありません。毎日に意味なんてないし、淡々と生きてます。あの世にいくに適してるのは、本当は私なんじゃないかって思うん」
「無花果」
空を見ていたイライジャが、ゆっくりと私の方に向き直った。
荘厳な眼差しで、ジッと私を見つめた。まるで、魂までもまじまじと見られているようだった。
そしてイライジャはゆっくりと口を開いた。

「私たちは、自分がこの世でたったひとりの存在で、かけがえのない、取って代わることのできない絶対的な存在だと考えているだろう。正確には、勘違いしているだろう。そう、勘違いなのだよ。この世でたったひとりの存在? 違うね。かけがえのない、取って代わることのできない存在? いいえ。誰にでも取って代わることのできる一時的な存在なんだよ。

祈るな、無花果。

勘違いを続けるな。誰もがこの事実に耐えることなんてできないだろう。隠しているだけなんだ。真実はいつも隠されてしまうのだ。人間の都合で。「かけがえのない」という言葉は、人間の都合によって作られた幻想の言葉。妄想の言葉だよ。

人間の神話に騙されるなよ、無花果。

その割に私たちは
大事にしているものを奪われやすい。そしてそのたったひとつひとつに命を懸けてしまうのだ。夢から醒めろ。お前はなんでもないのだ。自分を支える大きなものは時に突如として現れ、突然奪われる。神はお前を大切になんて思っちゃいない。だってこの世に何人の人間がいると思う………?
でも神に愛されてると思っていなきゃあ私たちは何を信じて生きていけば良い? だから錯覚することでしか……自分の存在価値を保てないのだよ。天気が良いから今日は神から愛されてる、勝利の女神が微笑んだ、なんて考えることでしか……

誰が自分の存在を最後まで護ってくれる? 、無花果。

他人の不幸に涙を流すことがあるだろう。その涙もいつか乾く。そしてその不幸も涙を流したことも数年後には忘れているはずだ。自分の存在が、世間に残り続けることはない。

無患子がこの世からいなくなったら、世界が滅亡するのか?経済が止まるのか?
無患子が死んだら無花果は悲しむのか。たとえ悲しんだとしても、それが何だ。無花果が悲しんだことによって、世界は変わるのか? 無患子のような人間がきっとこの世に履いて捨てるほどいて、今日もどこかで苦しみぬいているだろう。その全ての人が、無花果の涙によって救われるのだろうか? 何か変えられるのだろうか? 答えは言うまでもない。

何も変わらないんだよ、無花果!

この地球だけでどれだけの魂が日々蠢いてるか分かるか? そのうちの米粒大にもならないくらい私たちの存在は小さくて小さくて仕方がないのだ。その仕方がない存在が命を枯らす程泣いたことが何だ。誰も困らない。何も問題がない。考えろ、無花果。あるのは遺産と歴史だけだ。何をやったか、何を遺(のこ)したか。

無花果、私たちは何も遺していない。何も残さず、宇宙の闇に消えていくのみだ。

誰も護ってくれない。誰も愛してくれない。誰も信じられない。
私たちに残されているのはこの事実と、僅かな時間だけだ。

さあ、無花果、もう一度考えろ。無患子と無花果、どっちがあの世行きか。
スマートにいこう。私たちにそれ程猶予はないのだ…」

森の中は、凍ったように沈黙でいっぱいになった。
イライジャは厳しく私をまっすぐ見つめたまま立ち尽くしている。
十二月の北風が容赦なく吹き付ける。
イライジャの眼は、神の意向を代弁しているようだった。

神様は、私たちが思っているより、私たちの話を聞く耳なんて持っていないのかもしれなかった。必死に捧げる祈りも、神にはあまり記憶にない。記憶に残す気もないのである。
それは、誰のせい……?


気づくと辺りは真っ暗になっていた。
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