第3話 一九三九年四月二〇日(ベルリン、ペーター)
文字数 2,915文字
最初にそう言い出したのは、ヨーゼフ・ヴェーゲナーだった。なのにヨーゼフは、待ち合わせの時間に二十分も遅れてやって来た。私もフミオも、約束の時間の五分前には待ち合わせ場所に着いて待っていたのに。
おかげで私達三人がシャルロッテンブルグ大通りに辿り着いた頃には、通りの両側はパレードを一目見ようと集まった市民の群れで大混雑だった。
ヨーゼフ・ヴェーゲナーは私の従兄で、親しい仲間にはゼップと呼ばれていた。三人ともこの日のパレードをとても楽しみにしていて、フミオはいつものレチナを、そして私はフォクトレンダーのベッサを持って来ていた。私のベッサは、銘玉ヘリアーが付いた自慢のカメラだ。けれど私達の前には既に人の厚い壁ができていて、背伸びをしても見えるのは他の観衆の頭や帽子だけだった。
だから遅れるなよ、って言ったのに。
心の中で悪態をつきながら、隣のゼップを見上げる。私と違ってゼップは背が高く金髪で、まるで絵に描かれたナチ党員の見本のようだ。
「どうしよう、こんなに混んでたら写真なんて撮れっこないよ」
「大丈夫だ、任せておけ」
ゼップは前に並んでいた人々を肩で押しのけるようにして、前へ前へと強引に割り込んで行った。
「おい止せよ、止めろったら!」
私は慌てて袖を引っ張ったが、ゼップは聞かない。パレードの到着を待っている人達の間に、大きな体をぐいぐいとねじ込んで行く。
人々は顔をしかめ、鋭い目で睨んだ。けれどゼップのSS将校の黒い制服を目にすると、文句を言いかけた口をつぐんで私達を前に通した。
私とフミオをパレードを待つ人々の最前列にまで引っ張り出して、ゼップは得意満面だった。
「どうだ、ここなら良く撮れるだろ?」
しかし私は周囲の人々の視線を痛いほど感じて、恥ずかしくて顔も上げられなかった。私だけでなく、フミオもひどく居心地が悪そうだった。
けれどパレードの先頭が大通りの向こうに姿を現すと、周囲の人々に対する済まなさも恥ずかさも、私の胸の中から一瞬のうちに消えた。
先頭は軍楽隊を従えたアドルフ・ヒトラー連隊で、次にはドイッチュランド連隊やゲルマーニア連隊が続く。金髪で碧い目の、アーリア人の見本のような大男たちが、銀のモールとパイピングを施した黒い制服を身にまとい、足を高く上げ、ブーツの音を響かせて一糸乱れずに私の目の前を行進していった。
しかし私を最も圧倒したのは、国防軍の戦車隊だった。まずサイドカー付きのBMWの大型バイクが爆音をたてて進み、そのすぐ後には完全武装の兵士達を乗せた装甲兵員輸送車が続いた。そしてその後に地面を揺るがしてやって来たのは、最新型のⅢ号戦車だ。
初めてこの目で見たⅢ号戦車は本当に大きかった! 砲塔のハッチから身を乗り出して沿道の私達に手を振る戦車兵は、まるで二階から見下ろしているように見えた。それまでのⅠ号戦車やⅡ号戦車など、この新型戦車の前では大人と子供くらいの差があった。
通り過ぎる戦車の一台一台にカメラを向け、私はシャッターを押し続けた。前方を睨み据える大砲、見るからに強靭な鋼鉄の装甲板、重々しいキャタピラの響き、ガソリンの臭い……。その何もかもが私を魅了し、夢中にさせていた。
「おい、戦車なんかもういいだろ。フィルム、ちゃんと残しておけよ!」
ゼップが耳元でしきりにそう言っているが、その声も私の耳には殆ど入って来ない。
「来たぞ、あの人だ!」
ゼップは私の肩を掴んで乱暴に揺さぶった。
私もカメラのファインダー越しに、あの有名な白い大型ベンツの姿を捉えていた。
その助手席から立ち上がり、沿道に詰めかけた人々の歓呼の声に応えているのは、間違いなく我らが総統だった。
「俺を見て下さった、この俺に手を振って下さったぞ!」
ゼップの声は上ずり、裏返りかけている。
しかし私は、戦車を見た時ほどには興奮しなかった。初めて間近で見たヒトラー総統は、私が想像していたより小柄に見えた。
新聞の写真やニュース映画でも、大勢の聴衆を前にした演説会でも、総統は決まって仁王立ちになり、私達みなを見下ろしていた。けれど警護する屈強なSSの将校達に囲まれている姿を見ると、総統閣下は私と大して変わらぬ小男に見えた。
総統だけでなく、党の幹部達には何故か小柄な者が多いように思えた。ゲッベルス宣伝相も小柄で痩せていて、鍵型の大きな鼻ばかりがやけに目立ち、腹を空かせた烏か何かのように見えた。総統の後ろの座席にちょこんと座る親衛隊のヒムラー長官など、オールドミスの秘書のようにさえ見えた。ゲーリング国家元帥は大柄でこそあるものの、空軍の英雄と呼ぶには太り過ぎていて不格好だった。
総統のベンツが通り過ぎると、ゼップは私の首根っこを掴むようにしてわめいた。
「撮れたな? 総統閣下、ちゃんと撮っただろうな、おい!」
「心配ない、ちゃんと撮った」
私の父親はMAN社、戦車やトラクターを作っている会社の設計技師だった。その血を引いたのか、私は特に目立つ事も無い平凡な子供だったが、機械いじりだけは好きで得意だった。腕時計のような小さなものからバイクのような大きなものまで、動くものは何でも分解してはまた元通りに組立て直すのが何よりも好きだった。
だが従兄のゼップは違った。勉強も出来たしスポーツも得意で、そして人付き合いも上手く、いつも大勢の友達に囲まれていた。十歳になるとすぐにヒトラー少年団に加わり、ヒトラー青年団に編入されると真っ先に小隊指揮官に任命された。
私にとっては、ヒトラー少年団やヒトラー青年団での活動は苦痛でしかなかった。戦闘機や戦車の構造を調べるのは大好きだったが、軍服に似た揃いの制服姿で行進したり、射撃や銃剣突撃などの軍事教練でしごかれるのは、私にとっては苦行そのものだった。さらに私は政治にもあまり興味を持てず、愛国憂士を気取り大袈裟な言葉で国策を語るのも恥ずかしくてならなかった。
私がヒトラー・ユーゲントで何とかやって行けたのは、ゼップが何かにつけて庇ってくれたおかげだ。
しかし私は、別に反ナチでもなかった。ヒトラー総統が指導者になってから、ドイツは確かに強くなったし、暮らしも良くなったと実感していたからだ。
私の両親は金持ちでもなければ、フォン何々と名乗れるような貴族でもない。それでも一応、社会的にはホワイトカラーの中産階級だった。
なのに第一次世界大戦後の大恐慌の時代には、毎日の食べ物すら充分に無く、幼かった私もいつも腹を空かせていた。景気や暮らしが良くなったのはヒトラーとナチスが政権についてからだと、私ですら実感していた。
国民普及型ラジオに国民車計画、アウトバーン、そして鋼鉄の騎士団とも呼ぶべき戦車隊の創設……。ヒトラー総統が手がける事は、政治に無関心な私をもわくわくさせた。
例の人種理論は馬鹿げていたし、強制収用所についての嫌な噂も囁かれてはいた。だが、そうした良くない点を差し引いても、ヒトラーとナチ党はドイツ国民の為になっていると思えた。少なくとも、本当に戦争が始まってしまうまでは。