筆持て立て。剣を取る者は皆、剣で滅ぶ【第五話】

文字数 1,977文字





 夜刀神は語る。
 夜刀神、かく語りき、だ。
「ソクラテスは『存在』やら『客観的真理』には目もくれなかったのでごぜぇますよ。観点の取り方によって答えが変わるようなものに『価値』を見いだせなかったのでごぜぇましょう。ひとが生きるうえで肝心・大切な〈問い〉は〈根拠を問う〉ことであり、なぜならそれは〈共通な答えが出る〉と考えたからなのでごぜぇます」
 夜刀神は、またアイスキャンディを一口囓る。
「フィロソフィ……日本語でいう哲学、の語源は『知を愛する』営みのことを指し、それは〈対話〉によってなされる、としたのでごぜぇます。ソクラテスは書物を書かなかったことからも、対話を最重視していたのはわかるでごぜぇますよ。対話の二つのルール。ひとつは〈根拠を挙げて主張する〉こと。二つ目は〈問題の根っこを考える〉こと。自分の魂を『よいもの』にするにはそれぞれが互いの考えを持ち寄り、検討し合うこと。それを『魂への配慮』と呼ぶのでごぜぇます。この魂の『価値(よさ)』の根拠を問うこと。価値とはひとの求めしもの。故にこれがはっきりしないと元気がなくなる。逆に価値を見いだせれば元気が出てひとはそちらへと向かう。だから価値の根拠を問うことは必要不可欠なのだとしたのでごぜぇますよ。魂について、どのようにそれがもっとも優れたものか気にかける、これが『魂への配慮』だとすると、『(アレテー)』とは魂の優れた在り方、魂の〈よさ〉を意味する。その優れた在り方……『徳』こそがもっとも大切であって、金銭、健康はあくまで『徳』を持つための〈手段〉に過ぎない、と言ったのでごぜぇます」
(アレテー)のための魂への配慮……か」
「〈ひとのアレテーとはなにか〉? ソクラテスによればそれは『魂の優れた在り方』なのだ、と。ここで言う『(プシュケー)』は、死後も続くイメージのものではなく、心や人格と言い換えても良い類いのものなのでごぜぇます。魂のアレテー、すなわち『美徳』とは、具体的には『正義』『勇気』『知恵』『節度』を指す。この四つを『四元徳(しげんとく)』と呼ぶのでごぜぇますよ。哲学の対話は魂の美徳……四元徳を磨くためのものであり、それは〈魂の配慮の営み〉ということ。で、ごぜぇますが」
「ごぜぇますが……なんだい?」
「ニーチェという男に言わせるとソクラテスは、道徳的な価値、〈善〉を重視するが、ひとによっては()くあるより、わくわくして元気になることそれ自体が大切であり、道徳的に善いことばかりしているとひとの〈生命力は削がれる〉ので、人々によって大事なのはそれよりも、〈創造的な力〉を発揮し、高揚させ、〈自分を肯定する〉ことだ、と説いたのでごぜぇます」
「ニーチェらしいね。猫魔がよく話題にするニーチェなら、確かに、そう言いそうだってのは、僕も思うよ」
 言い終えてアイスキャンディを全部食べきり、残った木の棒をダストシュートに投げていれる夜刀神に、僕はそう、返した。
「どういう風に憂えているのか、僕にはわからないけど、夜刀神が今言ったようなこと、突き詰めて考えることは、ほとんどのひとは、しないだろうなぁ」
「『空談(くうだん)』を、ひとはして生きてしまうものなのも重々承知はしているのでごぜぇますが」
「空談?」
「『空談』とはハイデガーの用語で、意味のないおしゃべりのことを指すのでごぜぇます。その空談というものは〈非本来的〉なのでごぜぇますよ。意味ある言語、文学者や詩人が綴るような価値ある言葉をひとはいつも喋るかというとそうではなく、ひとの会話は、いつも意味があるとは限らないものでごぜぇましょう? そしてその非本来的な空談、言い換えれば〈無意味なおしゃべり〉は『死からの不安』を忘れさせてくれるため、平均的日常を送る現存在は、非本来的に空談を喋り、死を忘れて生きるのがデフォルトなのでごぜぇます」
 数時間前に猫魔が言っていたことを思い出す僕。
 話が繋がった。
 不思議なこともあるもんだ。
 僕はコンビニ前の灰皿でセブンスターをもみ消して、吸い殻を灰皿に捨てた。
 立ち上がる。
「僕はそろそろコンビニで買い物して帰るよ。楽しかったよ、〈対話〉になったかどうかはわからないけど」
「コンテンポラリーアート……現代美術は、美であると同時に、『意味』や『価値』の塊でごぜぇます。『価値』に縛り付けられないよう、アートタルタロスでは、じゅうぶん、気をつけるでごぜぇますよ、人間。生きてまた会おう、でごぜぇます」
「ああ。そうするよ」
 同じ裏政府のエージェントである夜刀神は、もちろろん、朝になったら僕らがアートタルタロスに行くことを知っていた。
 僕は手を振って、自動ドアの中に入る。
 エアコンの涼風が僕を包んだ。
 夜刀神も立ち上がり、どこかへと歩いていったのだった。
「ありがとね、夜刀神。楽しい時間を過ごせたよ」
 聞こえていないだろうけど、僕は店内に入ってから、独り呟いた。



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登場人物紹介

破魔矢式猫魔(はまやしきびょうま):探偵

小鳥遊ふぐり(たかなしふぐり):探偵見習い

萩月山茶花(はぎつきさざんか):語り手

百瀬珠(ももせたま):百瀬探偵結社の総長

枢木くるる(くるるぎくるる):百瀬探偵結社の事務員

舞鶴めると(まいつるめると):天狗少女。法術使い。

更科美弥子(さらしなみやこ):萩月山茶花の隣人。不良なお姉さん。

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