第3話 共犯者

文字数 3,891文字

 その後のめまぐるしい展開は、今思い出してもめまいがする。
 崖っぷちに立ち尽くしている美香と玲子の後を追いかけて、何事かとぞろぞろと生徒たちがやって来た。
 それからは悲鳴や鳴き声があたり一帯に響いた。
 警察が来て黄色いテープが貼られ、いつの間にか近所の別荘の住人や地元の農家の人間が集まってきたりしていた。
 部員たちは再び会議室に戻され、一人一人警察に話をさせられた。
 たいがいの子たちは泣いてしまっていて、らちが明かない。
 厚木もさすがに動揺しうろたえていて、警察への説明もしどろもどろになっている。
 美香たちも、震えが収まらなかった。
 つい昨日まで話をし、関わっていた身近な人の死は、あまりにもショッキングな出来事だった。
 玲子までもがさすがに顔を青くしながら、それでも涙は見せずにじっと黙って順番を待っている。
 特に美香は第一発見者でもあるため、ことさら慎重に話を聞かれた。
 しかし、雅美が崖下に倒れているのを見つけた以外、何も知らないのだ。
 何度も同じ質問を繰り返され、疲労困憊だった。
 携帯が何度も鳴っていたが、とる気にもなれなかった。
 恐らく母からだろうが、きっと自分以上に動転して説明もまともに聞いてくれないに違いない。
 美香は後でメールで単に帰宅が明日になったことのみ、伝え、電源を切っておいた。

 夏はめんどくさがって、入浴をシャワーですますことが多い。
 しかし今夜はしっかり湯舟につかって、美香は深いため息をついた。
 ああ、天国だ…。
 そう思った次の瞬間、ちょっと不謹慎だとあわてて頭を振った。
 昨晩の喧騒が嘘のようだ。
 ようやく家に帰ってきてほっとした。
 考えたら、長くつらい合宿の後だったのだ。
 それだけでも疲れ切っているところへ、最後のダメ押しか何かのようにあんな事件が起きた。
 いや、事故、か…
 警察は断定していないが、どうもそう考えているようだった。
 しかし実際あの状況に疑問を抱く理由は、特になかった。
 何者かのしわざだとしても、雅美と一緒にいたのは部員たちと顧問の先生だけ。
 あとは、まかないのおばさんだが、ほとんどあり得ない。
 事件と考えるには皆、動機がない。
 となると、ぬかるんだ地面から足を滑らせての事故。
 警察だけではない。
 みんなもそのことに何一つ疑いを持っていない。

 だけど美香は気になっていた。
 あの少年の存在…。
 とっくに東京に帰ったと思っていたけど、もしかしたらずっとあの付近にいて、雅美先輩にまとわりついていたのかも知れない。
 第一、わざわざ雨の降る朝に、一人であの場所へ行く理由がない。
 しかし、とんでもないことになっちゃったな。
 美香は浴槽の中で膝を抱えて、天井を見上げた。
 文化祭、どうなるんだろう?
 美香の学校は、夏休みが終わると1か月もしないうちに文化祭が行われる。
 そのため、大会などに参加するレベルの選手は除いて、文化祭に出し物などをする部活やグループは、夏休みのうちに練習や準備をするのが恒例になっていた。
 演劇部も御多分にもれずである。
 今さら、中止なんか、できないよ、ね…?
 両膝に顎をのせてぼーっとしていると、天井に張り付いていた水滴がぽたりと美香の頭に落ちて、思わず飛び上がった。

 数日後、雅美の告別式が行われ、警察は事件についてほぼ事故と結論づけているようで、新聞の地方版で小さく扱われた程度だった。
 合宿後も毎日学校へ通っての練習や準備は続き、同時に終わらない宿題の山に苦労させられながらも、何とか新学期を迎えた。

 新学期初日というのに、あくびが止まらない。
 登校の通学路で美香はまた「ふあ~あ…」と、大口を開けてのろのろ歩いていた。
 閑静な住宅街である。
 いつも朋美たちと待ち合わせをしている大通りの交差点までもう少しというところで、
「おい」
 急に肩をつかまれた。
 ぎょっとして振り向くと、見知らぬ少年、いや、見覚えのある顔だった。
「……あ、あなた」
 指をさすと、ちょっと来い、と腕を持たれた。
「え、ちょっと…!?」
 美香は驚いて踏ん張った。しかしぐいと力強く引っ張られ、つんのめりそうになる。
 美香はパニックになった。
 え!こ、これって…ゆ、誘拐!?
 大声で叫ぶべきだった。
 だが、逆に暴力を振るわれたら、と恐怖で言葉が出ない。
 間の悪いことに、辺りに人がいなかった。
 少年は細い路地を見つけると、そこに美香を連れて行った。
 美香はもうすでに涙ぐみ、がたがた震えていた。
 少年は気まずそうに、
「心配すんな、何もしねぇよ。ちょっと聞きたいことがあるだけだ」
 意外にも優しい声で言った。
 少年は、合宿所で雅美と一緒にいた人物だった。
 そういえば、彼は雅美の死を知っているのだろうか。
「雅美のことだけど…」
「雅美先輩は、あ、あの…事故で…」
「知ってる」
 少年の横顔がつらそうに歪んだ。
 やっぱり、この人、先輩の彼氏なんだ。
 美香は思った。
「だけどどうしてなんだ?一体どうして…どんな事故だったんだ?」
 事故の詳細を知りたいというわけか。
 美香はしどろもどろになりながらも、わずかに知っていることを話した。
 少年は不可解な表情をした。
「なんで雅美は一人で雨の中そんなところへ行ったんだ?」
 美香は首を振った。
 そこのところは自分も疑問だったが、今となっては知りようがない。
「あんな体で、そんな危険なこと、するわけないんだ」
 少年がひとり言のように言って、考え込んでいる。
 美香がきょとんとして少年の顔を見た。
「…あいつ妊娠してたんだ」
 美香はポカンと口を開けた。
 理解が追いつくまで、数秒かかった。
「——ええっ!!」
 に、妊娠!?雅美先輩がっ!?
 あの、成績優秀容姿端麗の、雅美先輩が!?
 いや、妊娠するのに頭や顔は関係ないのだが、あの先輩が妊娠するなんて、まったく想像できなかった。
 だが、合宿所で雅美を探していた時、木立の中で具合が悪そうにしていた理由がようやくわかった。
 いわゆるつわりとかいうやつだろう。
 そんな体で、合宿に参加していたなんて…。
 今さらながら、雅美の演劇への執念に驚かされる。
 それにしても。
「あ、相手って…」
 言ってしまってから、愚問だったと気づいた。
 そういうことか、と思った。
 だからあんなに熱心に雅美の周りをうろついていたわけだ。
「あ、あの…何て言ったらいいのかわかんないけど…ご、ご愁傷様です…」
 おずおずと言った美香の顔を一瞬じっと見つめた後、少年は頬を赤らめて叫んだ。
「ばっ…バカ、!オレじゃねぇよっ!!」
「えっ!?じゃ、じゃあ誰が先輩の…」
「そいつが誰か、知りたいんだ」
 少年が険しい表情で、美香を見た。
 自分が知っているわけがない。先輩後輩関係で、それほど親しくもなかったし、第一、妊娠していることすら知らなかったのだから。
 美香がふるふると首を振った。
「そうか…」
 少年が地面を見た。
「先輩の、家族の人に聞いてみるとか…?」
 美香が言うと、
「ダメだ。オレはあいつの家族によく思われてないし…」
 でしょうね、とひそかに美香は頷いた。
 この少年のいでたちでは、先輩の家族に快く迎え入れられる気がしない。
 以前学校の行事で見かけた先輩の両親の様子を思い出していた。
 二人ともスーツをビシッと着こなし、いかにも良いところのお家の人たち、という雰囲気を漂わせていた。
 しかし今、少年が人前に出られないのには他に理由もあって、
「どうも警察につけられてる気がするんだ」
 少年が低い声で言った。
 ——はっ?
「なんか、オレ疑われているらしい」
 美香は身を固くした。
 えっ…ちょっと待って。
 ということは。
 この人、容疑者ってこと!?
 思わず後ずさり、すぐ背後の石塀にぶつかる。
「オレはなんもしてねぇよ!」
 少年があわてて言った。しかし美香の耳には入っていなかった。
 先輩を殺したかもしれない人と二人きり、という状況に今さらのように震え上がってしあった。
 わ、わたしも殺される…!?
 あわあわと口を震わせ顔面蒼白になってしまった美香を見て、
「おまえ聞いてねぇな」
 少年が舌打ちした。
「とにかく、おまえ、学校でなんか聞いてくれよ。オレ、あいつの友達とかよく知らねぇし、他に方法がねえんだ。合宿所で見たお前の顔だけ覚えていたから…」
「そそそんなこと言われてもっ…」
 犯罪者の片棒をかつげというわけか。
 ああ…お父さんお母さんごめんなさい。
 脳裏に家族の顔が浮かんだ。
 このことがばれたら退学確定刑務所行き、家庭崩壊そして一家離散……。
 美香のたくましい想像が一気に悲惨な方向へ向かう。
「そういや名前を聞いてなかったな」
 こちらの絶望的状況などおかまいなしに、少年は美香の協力を取り付けたとばかりに、スマホを取り出した。
「連絡先教えろ」
「け、携帯とか持ってません!親に禁止されていて!」
 嘘に決まっているが、精いっぱいの抵抗を見せた。
「ほんとかよ?今時珍しい親だな…」
 面食らったように、美香を見た。
 しかしそれ以上は追及してこない。意外に単純…いや純粋なのかも知れない。
「仕方ねぇな…そしたらまた今日みたいにおまえをつかまえるわ」
 通学路絶対に変えよう、と美香は即決した。
「じゃあ名前は」
「…田辺、美香…」
「オレは高橋だ。じゃあ頼んだからな」
 行きかけて立ち止まり、
「それと…怖がらせて悪かったな」
 美香はまだ心臓がバクバクいっていたが、少年が路地の角を曲がって行ってしまったのを確認してから、ようやくふらつきながら歩き出した。
 今しがた自分に起こったことが、まるで悪夢のようだ。
  
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