4 皇帝への遺書

文字数 1,438文字





 「彼は、許してくれるだろうか?」
ぽつんと、ナイペルクはつぶやいた。

 枕辺の(マリー・ルイーゼ)が、顔を上げた。再びナイペルク()が眠ってしまったと考えたのだろう。彼女は、編み物をしていた。
 「彼」が、誰を指すか、もちろん、マリー・ルイーゼには、わかっているはずだ。ナポレオンとの間の息子、ライヒシュタット公フランツ……、
 だが、彼女は、聞こえないふりをした。

 ……自分は、彼から、母親を奪い取った……。
 心に空洞を抱えたまま、彼は成長した。微笑みと優雅さで孤独の悲哀を隠し、昨年会った彼は、立派な、オーストリアのプリンスになっていた。



 手遅れだ。
 もう、償いは、できない。

 自分の体のことは、自分が一番良くわかる。この病から、もう助からないことを、ナイペルクは、悟っていた。それで、去年、ウィーンへ帰った際、妻から皇帝に、二人の結婚を話してもらった。
 思ったほど、皇帝は驚かなかったと、後から妻は語った。


 ベッドに横たわったまま、力を振り絞り、ナイペルクは尋ねた。これも、今までに何度も、繰り返している問いだ。
「皇帝に、アルベルティーナとヴィルヘルムのことは、話しましたか?」
 妻の答えは、いつも同じだった。
「もちろんですとも」

 さらに、ナイペルクは、質問を重ねた。
「二人の年齢を、きちんと、お伝えしましたか?」

 それでも、皇帝は、二人の存在を許してくれたろうか。姉弟が、マリー・ルイーゼの前夫(ナポレオン)の存命中にできた子とわかっても。

「……ええ」
マリー・ルイーゼの返事が、一拍、遅れた。

 ……(マリー・ルイーゼ)の言うことを、信じるべきではない。
 ナイペルクにはわかっていた。

 彼の、子どもたちへの危惧は、差し迫っていた。
 妻には伝えていないが、イタリア半島の情勢は、緊迫している。マリー・ルイーゼが、君主として治めるパルマもまた、水面下で、不満が燻っていた。
 近いうちに、民衆の蜂起が起きるだろう。
 いずれ……自分の死後……母子が、この国を逐われる可能性は、かなり高い。

 その時、妻の、愛しいダーリン(アルべルティーナ)と、まるぽちゃの小さなおでぶちゃん(ヴィルヘルム)……両親を、「シニョーラ」「シニョール」と呼ぶよう、躾けられた子どもたち……は、どうなってしまうだろう。
 ウィーンに、彼らの居場所は、あるのだろうか。

 そうでなくとも、パルマ領有は、マリー・ルイーゼ、一代限りのことだ。たとえ、二人が、彼女の子と認められたとしても……そんなことがありうるのだろうか……、子どもたちに、領土(パルマ)の相続権はない。

 ……もうこれ以上、不幸な子どもを増やしてはならぬ。
 ナイペルクは決意した。
 苦しい中で、彼は、ウイーンの皇帝に向けて、手紙を認めた。アルベルティーナとヴィルヘルムに、どうか、庇護の手を差し伸べてくれるように、と……。
 妻には内緒で、彼はそれを、前妻が産んだ息子に託した。







 アダム・アルバート・フォン・ナイペルクが亡くなったのは、年が明けた(1829年)2月22日のことだった。
 アルプスのヨーハン大公が、長年の想いを実らせ、アンナ・プロッフルと正式な結婚式を挙げた、6日後のことである。

 死因は、水腫症*。
 55歳だった。

 ナイペルクの葬儀は、聖パウロ教会で、国葬によって、挙行された。
 マリー・ルイーゼは、喪服を着ることができなかった。ナイペルクはパルマの首相にすぎず、彼女の正式な夫ではなかったからだ。









fin







*~*~*~*~*~*~*~*~*
*水腫症
体の細胞などに、水(リンパ液)が貯まる病気です。
心臓病、腎臓病、肝臓病などが考えられます。



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登場人物紹介

カール大公

1771.9.5 - 1847.4.30

(カール大公の恋)


ライヒシュタット公の母方の大叔父。1796年の革命戦争では、ジュールダン麾下サンブル=エ=ムーズ軍、モロー麾下ライン・モーゼル軍と戦い、両軍を分断させ、勝利を収める。1809年のナポレオン軍との戦い(対オーストリア戦)の後は軍務を退き、軍事論の著述に専念する。

レオポルディーネ

 1797.1.22 ‐ 1826.12.11

(もう一人の売られた花嫁)


ライヒシュタット公の母方の叔母。皇帝フランツの娘。ポルトガル王太子ペドロと結婚する。ナポレオンの侵攻を受け、ポルトガル王室は当時、植民地のブラジルへ避難していた。ペドロとの結婚の為、レオポルディーネも、ブラジルへ渡る。

ヨーハン大公

1782.1.20 - 1859.5.11

(アルプスに咲いた花)


ライヒシュタット公の大叔父。皇帝フランツ、カール大公の弟。兄のカールに憧れ、軍人となる。

アダム・ナイペルク

1775.4.8 - 1829.2.22

(片目の将軍)


オーストリアの軍人。フランス革命戦争で赴いたオランダで片目を失う怪我を負うも、捕虜交換の形で帰国した。

ドン・カルロス

1787.初演

(「ドン・カルロス」異聞)


シラー(シルレル)の『ドン・カルロス』は、ライヒシュタット公の愛読書だった。

チャットノベルもございます

「ドン・カルロス」異聞

マリア・テレサ

 1816.7.31 - 1867.8.8

(叶えられなかった約束)


カール大公の長女。

マリー・ルイーゼ

1791.12.12 - 1847.12.17

(2つの貴賤婚)


ライヒシュタット公の母。ナポレオンの二人目の妻、かつてのフランス皇妃。ウィーン会議でパルマに領土を貰い、5歳になる直前の息子を置いて旅立っていった。以後、全部で8回しか帰ってこなかった(最後の1回は、彼が公的に死の宣告をされた後)。

エドゥアルド・グルク

1801.11.17– 1841.3.31

(画家からの手紙)


ウィーンの宮廷画家。メッテルニヒに見いだされ、採用された。グルクの死から約170年後、彼が描いた絵が、モル男爵の屋敷で発見された。モル男爵は、かつてライヒシュタット公の補佐官で、その死の床に最後まで付き添った。

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