第2話

文字数 1,628文字

 均等に割った揚げだし豆腐を胃に納めて二杯めの生ビールを飲み干したころには、きみはすっかり酔っ払って顔を赤くしていた。
「熱い」
 とろんとした目をして、ゆったりした手つきでネクタイを緩めて襟元をくつろげる。あらわになった首筋と鎖骨を舐めるように視姦しながらぼくはカクテルを味わった。アルコールは嫌いじゃない。しかも、目のまえにはこれ以上ないほどの極上の肴がいるのだ。これで酒がうまくないはずがない。
「大丈夫? 帰ろうか」
 答えはわかりきっていたがあえて尋ねてみる。するときみは予想したとおり、ゆるゆると首を振って眉を寄せた。
「やだ。帰りたくない」
 駄々を捏ねる子どものような口調と仕草に思わず笑みがこぼれる。きみは酔うと素直になる。いつもは慎重に距離をはかるように、近付きすぎることを嫌うきみが、アルコールがまわるととたんに距離を詰めてくる。
 かわいくてしかたない。
 だから、ぼく以外の人間がきみのこんな姿を見ることは絶対に許せない。気持ちよさげにゆらゆらと身体を揺らしているきみに暗示をかけるように、ぼくはもう何度めかもわからない台詞をささやいた。
「ねえ、ぼく以外のだれかと、こんなふうにお酒を飲んだらだめだよ。わかっているよね?」
「ん、しない」
「いい子だ」
 小さな子にいうように褒めると、きみは嬉しそうにはにかんでつぶやく。
「蓮見だけ。だって、友だち、だから」
「そう、きみとぼくは友だちだ」
「ん」
 きみはこくりとうなずく。幼いころからひっこみ思案で、転勤族だった父親とともにあちこちの土地を転々としてきたらしいきみには、友だちと呼べる存在がいなかった。
 たったひとりでいい。友だちが欲しい。
 それが長年にわたるきみの願いだったという。
 だからきみにとってぼくははじめての友だちだった。
 最初のうち、人見知りをする人間にありがちな、臆病で警戒心の強いところには手を焼いたけれど、少しずつ、少しずつ、威嚇するのをやめて接近を許してくれたときにはとても嬉しかった。人に懐かない野生の生きものを手懐けたような気分だった。
 ほんとうなら、自分のものにしてしまいたい。今すぐにでも。だけど、友だちという唯一無二の立場をうしなうわけにはいかない。きみにとっては、恋人よりも友だちのほうがはるかに大きな存在なのだ。恋人は取り替えがきくけれど友だちはそうじゃない。
 きみはいつでも、恋人よりも友だちであるぼくを優先させた。
 どうして女性と付き合うのか、ときみに尋ねたことがある。もちろん、そのときのきみは今のように酔っていた。
『ふわふわして、柔らかくてあたたかいから』
 残酷なほど無邪気にそう答えたきみにぼくは笑った。
 女性を毛布代わりにするきみがあまりに愚かで、ほんのわずかだけど、きみと付き合った女性たちを気の毒に思った。けれど同情はしない。彼女たちもきみと大して変わりはない。きみという恋人がありながら、あっさりとぼくに足を開いたのだから。
 そういう意味では、交際相手がいるあいだはほかの女性に目を向けなかったきみのほうが少しはましかもしれない。きみが抱いた同じ身体を抱くのは興奮した。きみを抱くようにしてぼくは彼女たちを抱いた。ひどいことをしたとは思わない。ぼくは彼女たちを騙したわけではないし乱暴もしていない。
 むしろ、一度寝ただけできみからぼくに乗り換えようとした女にはこちらが閉口した。
 きみも、きみをふった彼女たちも愚かだと思う。よほど母性本能が強くたくましい女性でなければ、きみの相手はとても務まらないだろう。
 きみもそろそろ気付けばいいのに。
 寂しがりやで甘ったれなきみをまるごと受けとめて愛せるのはぼくくらいのものだと。
 こうしてなに食わぬ顔をしてきみの友だち面をしながら、毎晩のようにきみのことを考えて自身を慰めているぼくを知ったら、きみはどうするだろう。

 きみはなにも知らない。
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