17:風の神へ贈る歌、平和な日常
文字数 2,359文字
「こんにちは」
「おう、クリスタルちゃん!」
初めて行ったときは私とエラ以外にお客さんはいなかったが、今日は一人いる。その人は腕の防具を見ている。
道具と修理中の弓をテーブルに置き、作業場のイスから立ち上がってこちらに歩いてくる。
「ダーツリーの弓、使い心地はどうかな?」
「堅いので最初はちょっと手首が痛かったんですけど、もう慣れました」
「やっぱりそうだったかー。まぁ、慣れてくれたんならいいんだけれどね」
私みたいに、背が高いわけでもなく、体ががっしりしているわけでもない人があの弓を使うということで、タイラーはかなり心配していたようだ。
「メンテナンスお願いします」
「あいよ。じゃあ受け取る前に聞いておこう。『ここがおかしいんじゃないかな』って思うところはある?」
使っている感覚では全くおかしいところはないので、「いや……ないですかね」と答えておく。
「分かった。今からだと……夕方の五時くらいに終わるかな。それくらいに取りに来て」
「分かりました。では、よろしくお願いします」
相棒をタイラーに預けると、私はサヴァルモンテ亭に戻る……はずだった。
サヴァルモンテ亭からタイラーの店までの道には、風の神をまつる神殿がある。
私が住んでいるウォーフレム王国は、風が強くなりやすいところらしい。西の山々から吹き降ろす風で、農作物が折れたり物が飛ばされることがある。
そこで、ウォーフレム王国は風の神を王国の守護神と定め、王都に神殿を立てて守ってもらっているのだ。
その神殿の方から、誰かが歌っているような声が聞こえる。ちょっとだけならと、私は見にいくことにした。
「吟遊詩人っていう人かな?」
神殿に続く階段の隅で、ボロい服を着た男の人が
『我らを守りし風の神は――』
どうやら風の神を
神殿で歌われている
『敵を突風でなぎ倒し 我らに勝利をもたらした』
これはおそらく、王国が作られてすぐにあった戦争のことだと考えられる。
「そっか、『神風』が吹いたおかげで敵軍が壊滅したんだっけ」
数年前に歴史の勉強として読んだ本を、うっすら思い出してみる。
『ああウィンブレス様 我らに勝利と平和を』
歌が止まり、伴奏の竪琴の音だけが響く。
長い弦を弾くと低い音が鳴って、短い弦を弾くと高い音が鳴っている。そういう仕組みなんだ……!
……と、神殿の中から正装をした人が出てきて、吟遊詩人らしき人に声をかける。
「ここで何をされているのですか」
「この竪琴を使って歌っていただけですよ」
「ここはご神殿なので……」
「ウィンブレス様へのご信仰をこめた歌なのですが」
「申し訳ないですが、ここでは参拝者のご迷惑になるので、他でやっていただけますかね……?」
遠巻きに見ていたのでしっかりは聞き取れなかったが、こんな内容の話をしているように聞こえる。
結局、吟遊詩人らしき人は追い払われてしまった。
「あぁ、いなくなっちゃった」
そうつぶやいたその時、私はもう一つのやるべきことを思い出した。
「そうだ、エラさんから頼まれてたんだった! 早く買って帰らないと」
私はエラが買い忘れた飾りミントを買いに、神殿の前からダッシュをきめるのだった。
その日の夜、今夜は風が強く店の窓がカタカタと揺れていた。
「ふぅ、頭がボサボサになっちゃった」
女の人が手ぐしで髪をとかしながら店の中に入ってきた。カウンター席に座るなり、上着を脱いで注文する。
「あ、ご主人、いつものセットで」
「はいよ」
この人はいつもこの店で一番高い、デザートつきのセットを食べてくれる。ふらっと立ち寄ってお金を落とすには高すぎる金額だと思うが。
「ご主人ってどの料理もおいしいけど、やっぱりこれが一番好きなんだよね。いつ来てもこのちょうどいい焼き加減。うん、おいしい」
エラの、産地と鮮度にこだわったミディアムステーキを食べているところに、私はセットの飲み物を置いてあげる。
「はい、ありがとねー」
「どうぞごゆっくり」
「ごゆっくりしたいところだけど、あと十分で出なくちゃいけないんだよね」
あれ? いつもは食べ終わったあとも、私の
「今日はね、夜市があるの。今ステーキ食べたから、おいしい魚買っていくつもり」
やっぱりこの人は、平民だけど金持ちっていう人なのかなぁと思ったその時。
「あぁ、夜市か」
まさかの、エラがこの話題に食いついた。
「あそこ、安くてうまい食材がたくさんあるらしいから、あたしも店をクリスタルに任せて行ってみたいくらいなんだよな」
安い……?
「ご主人は店があるからねー。ここではほぼご主人に貢いでるようなものだから、いつもの食事では抑えないと」
ということは、この人は私が思ってるよりはお金持ちじゃないのかな?
「クリスタルちゃーん、食い終わったから皿下げてくれる?」
「はーい、今行きます!」
テーブル席で銀貨を持って私を呼ぶお客さん。その二枚の銀貨をテーブルの上に置いて店のドアを開ける。代金だ。
銀貨を回収し、皿を重ねて流しに持っていく。泡水の中に突っこむと、また他のお客さんから呼ばれる。
追加で根野菜のスープがほしいようだ。
「エラさん、根野菜のスープ追加でお願いします」
「はいよー」
夜風に当たり、体が冷えた人が多かったのか、この日はスープの注文がいつもの三割増しだった。
朝はエラと弓の練習をし、そのあとはエラの手伝いとして働くという、忙しくも楽しい日々を送っていた。しかし、それは一つの出来事で乱れていくのであった……。