第4話
文字数 2,504文字
この服装の事もあるが容易く潜り込めた。本当に雑な警備だな。
さて、ここからどうするか。黒雨について二点疑問があった。
一点目、会場でオークションの目録を目に通したが黒雨に関わる絵画が一枚もなかった。無いなら現れる必要がない。
二点目、目撃されたのが一週間前だった事。下調べはするだろうが怪盗姿でやってくるだろうか。そして警備員に見つかるという失態を犯すだろうか。
だがその疑問は直ぐに解決するだろう。
なにせ目の前に本人がいるのだから。
奴はステージ上の吊り天井を移動している。
会場の奴ら達はまだ気づいていない様だ。オークションを始めている。
取り敢えず追おう、話しはそれからだ。
だが追ってみるものの相手の距離が縮まらない。
急な梯子を登る、飛び降りる、階段を上がる、まるで自分の影を追いかけている気分だ。
漸く追いついたのは屋上だった。
月明かりと街の街灯が黒雨の映し出した時、全ての疑問が解決した。
あれは黒雨であるが黒雨ではなかった。
亡霊
だ。黒雨の輪郭は不安定に歪む。まさか今日一日で二人の亡霊に出くわすとは…
黒雨は何かを訴えかけるような声を出しているが聞き取る事ができない。
(おじさん…)
ある雨の日だった。
「何を描いているんだい?」
自分が描いている絵を見に来た。
「これは…ミミズかな?」
「バジリスクだよ」
「じゃあこれは犬かな?」
「サラマンダーだよ」
「それじゃあ…これは…コカトリスか」
「ニワトリだよ。絵描きなのに何で判んないの」
「これはまいったな…」
そんな他愛のない事だが自分にとっては少年時代の数少ないいい思い出だった。
「絵を描くのは好きかい?」
「普通」
「そっか」
「でもここに居ると家族に襲われなくてすむから少し楽しい」
「まだ仲良く出来ないの?」
「しようとしても無駄だよ。こないだ妹に小指の爪を剥がされた、昨日は弟にナイフで刺されそうだったからぶん殴った」
そう、襲われなくてすむ。それがなんて幸せだった事か。
今出来る事といえばあの世に送る事だけだ。
懐から愚者の斧に手をかける。斬りつければ浄化は出来るはずだ。
「本当にごめん…」
「待って下さい」
死角から声が聞こえた。
長身長髪の男、背丈に比べて細すぎる白い手足。そして背中に背負ったツギハギだらけの棺桶。
「大丈夫、怖くありません」
男はゆっくりと亡霊に近づく。
「さあ、手を取って」
目の前まで近づき両手を差し出す。
亡霊はゆっくりと溶ける様に消えた。
「ゆっくりと、お休みください」
男は消えゆく靄に語りかけた。
「何でお前がここにいる。あいつの差し金か?」
「いいえ違います。決してヴィンセントさんの指示ではなくて、偶然近くを通りかかったら声が聞こえまして。悲しい声でした」
今まで落ち着いた口調から慌てて振り返り早口で答えた。
男の名はユース。義理の甥の元で働いている
「本当か?偶然なんてあり得るのか?」
「実はもう一つの声を追っていたのですが既に何処かへ行ってしまったようで」
照れながら答えた。
何やら外が騒がしい。下を覗き込むと劇場の入口に人と車が集まっている。
「先程会場で貴族の一人が突然倒れて亡くなりまして」
もう一人の亡霊の仕業だ。
「クソっ今日は厄日だ。とことんツイてない」
「そんな事はないと思いますよ」
ユースの手のひらに黒い靄が残っていた。
「この方が貴方に伝えたい事があるそうです。私が代弁しますね」
手のひらの靄を胸に当てた。
『私と孫を救ってくれてありがとう』
そこには在りし日の絵描きの姿があった。
ありがとう、今の自分には縁も縁もない言葉だ。
「それでは私はこれで失礼します」
ユースは自分の横を通り過ぎた。
「待ってくれ」
反射的に呼び止めたが次の言葉が出てこない。
「何を言おうか分かっています。ですがあれは貴方か選んだ道です。見て見ぬ振りをする事もできた筈です。ですが貴方は…私にはもうどうする事も出来ません」
「どうすればよかったんだ…俺には分からない」
「覚悟を決めていた筈です。こうなる運命が来ることを貴方は分かっていた。どうか忘れないで下さい」
外が更にうるさくなってきた。
「でも…でも万が一、あい…」
振り向いたがそこには既にユースの姿がなかった。
もう時期ここにも軍が来る頃だろう。だからその前に。
胸ポケットから今まで忘れかけていた煙草を取り出し口に咥え火を点けた。
久しぶりの煙草だ。軍を辞めてからだ、吸わなくなったのは。
「こんな味だったかな」
手すりに持たれながら眼下の景色を眺めた。
「何だよこの請求書は!」
「何って今回の依頼料だが」
朝早くマレーが慌ててやって来た。
「額がいつもより違うじゃないか」
「俺に軍服を着せて嫌いな人種の群れに混ざって飲みたくない酒飲んで嫌な記憶を思い出させた額だ。正当な価格だよ」
「だとしても二桁多い…」
マレーは落ち込みながらソファーに座った。
「座るな、さっさと帰ってくれ。金は来週までに用意しろよ」
「今回の件は何だったんだ?お前が言うように黒雨は見間違えで貴族が心臓発作で死んだのは偶然だったのか」
「何事も偶然ってあんもんさ。それよりその箱何だ?」
「忘れてた、チャシャちゃんにお菓子を…」
「先生お茶沸かしてください!」
隣の部屋から助手が叫んだ。
「病人は騒ぐんじゃない。静かに寝てろ」
マレーが帰った後うるさい助手の為にお湯を沸かす。
コンロにやかんを置き火を付けた。
ズボンのポケットから軍服の中に残っていた煙草を取り出しコンロの火で付けた。
裏口から外に出てお湯が湧くまで座って吸った。
もう吸わないと決めていたが。
軍にいた頃の記憶が蘇る。
『何故行動に移せないのですか!今この時も人命が失われているのに』
『それはあくまで君の仮説じゃないか、立証もなしに我々は動かない』
『第一まだ何も起きていないじゃないか、君の妄想だけで軍は動く事はない』
『どうして…どうして死ななきゃやならなかったんだ!』
辛い、その一言に尽きる。
「…先生ー、お湯が湧いてますよー」
行くか、煙草を足で踏みつけて部屋に戻った。
第16章
怪盗の遺言
完